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ウェブデザイナーの私が古道具屋を始めた理由 -きっかけ偏-

古道具屋を始める前、当時私はデザイン制作会社でデザイナーとして働いてました。

その当時お仕事していた企業の一つに、ある住宅系ITベンチャーの会社がありました。今でもフリーランスとしてお仕事させていただいております。

ITやテクノロジーを使って住宅業界を変えていこうとしている会社で、メイン事業は「家屋解体のマッチングサービス(解体業者とお施主さんをインターネット上で直接マッチングするサービス)」。

私は、請負でその事業のサイトのデザインや構築など行っていました。

社長や社員とも仲が良く、よく一緒に飲みにも行くほどで、私の勤務する会社のオフィスで飲むことも多くありました。

ちなみに私が勤務していた制作会社はかなり変わった会社で、まずオフィスがかなり個性的(?)だったんですが、そのオフィスというのが、名古屋駅近い場所にあった戦前からのオンボロのメリアス工場でした。

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デザイン会社とは思えぬオシャレさマイナス100ぐらいの風貌(笑)なんですが、ここは社長の親戚の叔父の持物件で、名古屋駅にも近く便利が良かったので、オフィスとして借してもらっていました。

解体×古物を組み合わせて事業にする

話を戻しますが、ここのオンボロオフィスに先述した会社の社長さん(以下Kさんと言います)がいつものように飲みに来てくれた時に、突然思い付いて提案しました。

私「解体する家って、やっぱりこういう感じで古いのが多いんですか?」

Kさん「うんそうだね」

私「それなら古いものってたくさん出ますよね」

Kさん「うん、そうだね」

私「そういうのって捨ててるんですか」

Kさん「そりゃ解体だから全部捨ててるよね」

私「そうですか…例えばあそこにある窓とかって(会社の窓を指差して)割と貴重だと思うんですよ。ああいうものって売ろうと思えば売れると思います」

Kさん「え?嘘、あんなもの売れるの?」

私「…多分。私割と古いものの感覚が分かるので、売れる気がします。試しに売ってみませんか?」

Kさん「へーそれ面白いね!それならうちで古物販売事業やってみようか」

という話で盛り上がりました。

社内ベンチャーなども積極的に行っていた新しい風潮の会社なので、Kさんはノリ良く話にのってくれました。

Kさんの会社は全国規模の解体案件を扱う会社です。

その全国規模の解体の情報を使って、全国の解体される家から捨てられている古いものもう一度誰かの手に渡すことができる。社会的意義も高く、そんな壮大なミッションを思いついたら、あまりに楽しくなってしまって。

こんなやりがいのある事業はない、そう思いました。

古物事業はうまくいかなかった

古物事業をやってみようと話になり、まずは試しに現在解体の依頼が来ているお宅の中で良さそうな家を1つピックアップして、見に行こうということになりました。

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そしてとある岐阜の古いお家へ行ってみました。上記の写真のお家です。元煙草屋さんでした。
現場にはお施主さんが居たのですが、

「これどうですか?」「これ結構いいものだと思うんですよ」

など話してくれるのですが、それが価値があるのかわからない。
「これは売れますよ!」とか「これは価値がありますね!」とは言えず、口を濁すことしか出来ずに、終了。すごすごと帰ってきました。

その時「古いものの知識が何もない。どうしよう」と思いました。

これいけそうだなと思うものはあったのですが、私が良いと思うものだけを引き取ってきたり、適当な金額で値付けすることは出来ません。

Kさんの会社のサービスを背負ってやるため、適当なことは許されない。サービスに対しての信頼と価値に傷をつけることになります。

この経緯もありつつ、そもそも古物事業をやるにあたっても誰がメインで動くのか(私はただの外注にデザイナーなので)など、色々問題点があり、この古物事業の話はうまくいきませんでした。

しかし、解体される家から古いものを救うということを考えついてしまった。そして、私はこの古物事業をどうしてもやってみたくなってしまったのです。

オフィスの解体から初めての買取へ

そんな古物事業の話が消えかけた時に、突然オフィスを壊すことが決まりました。

オフィスとは先述したオンボロオフィスです。

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オフィスは名古屋駅から近く、土地の価格が高騰していたので、一帯の土地を他の家と結託して、まるごと壊して売ることになりました。

その一帯の中には、オフィスと繋がった明治期からの大きくて古い家がありました。一回も入ったことなかったその家は、オフィスを貸してくれていた社長の叔父の持ち物で、長年空き家状態だった家でした。

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上記の写真はその家で、初めて入らせてもらった時のものです。

これはあまりにも偶然の出来事でチャンスでした。
私は、社長から叔父さんへ頼んで伝えてもらいました。

「ここの家のもの全部まるごと私に買い取りさせてください」

古道具販売のテストケースを構築

交渉は無事成立しました。

Kさんの会社との古物事業と違って、社長の叔父さんの家のものを私一人で売ってみる分には誰の迷惑もかけない。

私はその家から自分が良いと思うもの・売れると思うものを、好きな分だけもらってきました。

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そして、私は自分一人でインターネットで販売してみることにしました。そこでテストケースを作ることにしました。
オフィスとこの家と2軒分でしたが、検証するには割とそれなりの量はありました。

Kさんの会社の話がなくなってしまい、でも一度思いついたアイデアはどうしてもやり通したい性分なため、ほぼパッションだけ(笑)で古道具屋としてスタートを切り始めました。

本当はKさんとの会社の古物事業はダメになってしまったのが悔しかったので、見返したい気持ちで始めたというのが本音です。

それでも解体×古物というアイデアは、自分の人生をかけても実現させてみたいミッションになりました。

ソーシャルデザインとしての古道具屋

古道具屋というと、表側からだけだと「お洒落なアンティークショップ」という風に見えるかと思います。

実際センスの良いお店が多く、「自分もこんなお店をやってみたい」と憧れて、古道具屋をやり始める人も多いです。

しかし先述した通り、私は「お店を持ちたい、自分の好きなものを売りたい」というモチベーションから古道具屋を始めたわけではありません。

むしろその裏側にある「古道具が存在する場所とその入手の仕方」に面白さを感じてこの仕事をしています。

古道具のある場所は古い家です。埃を被って解体時に捨てられるまで、息を潜めて待ってるモノたちです。

それを救い出せる仕事が古道具屋という仕事なんです。

私は大学の頃からソーシャルデザインに関心があり、ソトコトやgreenzなどの雑誌やメディアも好きでした。

社会課題をアイデアと行動で解決するのがソーシャルデザインです。

当時空き家問題取り上げられる事が多くなり、解体の必要性も高くなってきた時、ゴミを大量に排出する解体という事象から、ものを救い出し、価値を上げて流通させることができる古道具の活動は、サステナビリティの高い取り組みです。これはまさにソーシャルデザインです。

長野県にリビルディングセンタージャパン(通称リビセン)があるのは知ってますか?

彼らの売ってるものは古道具屋と同じですが、ソーシャルデザインの文脈で活動しています。解体される家から、古材や古道具を救い出し、それを流通させる仕組みや文化を作る。(文化ってところがいいですよね)

私のやりたいことはこのリビセンと割と近いです。リビセンが立ち上げ当初クラウドファウンディングを始めたのですが、「ああ、同じ考え方だなぁ、やられたぁ」と思いました 笑
(リビセンと違うのは、古物の最適化をしたいという目標がありますがそれはまた別途書きたい)

つまり私が一番やりたいのは、価値がないと思って捨てられるものを、できるだけ救い、それを価値の転換をして、また世に流通させる仕組みを作りたいということです。なので、私は買付は必ず直接お家から買い付けることをミッションに掲げています。(買付の話はまた別の記事で書きます)

でも救うだけでなく、ブランディングもして、お店づくりも頑張る。

デザイナーだった私は、長年クライアントワークをしてましたが、自分の作ったものに対して、もっと手触りがあってフィードバックが得られることに自身のデザインスキルを使いたいと思っていたので、自分でブランド・お店を持つことは最適な選択でした。

つまり自分のスキルセットと理念を詰め込んで始めたのが、この「古道具めぐる」というお店です。

大層なことを言ってしまった割に、大層に活動もしてないし、大層な投資もしてないので、大変お恥ずかしいのですが、それでも大層なことができるようになるための、その一歩になるように、今このnoteを書いています。

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