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ゲーム(ロックマン)から勇気づけられたことを思い出した話。

ほぼ誰にも伝わらない話。


フォローさせていただいている方の記事を読んでいて、心配事や気になることがあると不安になってついアレコレ考えてしまう、といった趣旨のことが書かれていた。

私も、非常に良く気持ちが分かる(ついコメントしてしまったほどだ)。特に仕事上ではそういう傾向が強くて、起きもしないことにビクビクして、必要以上に準備したり、チェック・確認して時間を費やしてしまう。それで結局は「まぁしょうがないでしょ!」と腹をくくって突き進む。そうかと思えば、やっぱり予期していたそういう問題が起これば「あぁ甘かった・・」と胃が痛くなり、自己嫌悪に陥ったりする。要するに負のループみたいなことを繰り返したりするのだ。

しかし、そうは言っても、現在の自分は、そういう自分自身の性質に対して本当に「嫌だな」とか「変えたいな」とかは思わなくなっていることに気付いた。「それも含めて自分」というか。それで救われている自分もあるわけだから、無理にそれを嫌いになる必要もないかな、と考えている。

そういう、神経質というか心配症というか臆病になってしまう自分を、ある時、受け入れた瞬間があったことを、ふと思い出した。

それは昔、とあるゲームの中に出てきたセリフだった。

おぼろげな記憶を頼りに調べてみると、たしか「ロックマンゼロ」というゲームソフトのエンディングだったようだ。ゲームの細かい設定やら前提条件やらを色々と書くと長くなって仕方がないので、ザックリとした記載にとどめて残りは割愛する。

こんな感じのストーリー(というか設定)のものだ。

そのゲームは、「ロックマン」という青い体のロボットが主人公のゲームのスピンオフ版というか。いやスピンオフにしては規模が大きい、というか設定が違いすぎる。そもそも、「ロックマン」というと知っている人も居ると思うが、その「ロックマン」とは別の世界観(たしかその将来の話)になっていて、「ロックマンX(以下、エックス)」というロボットが主人公になる。だが、話はもう少し複雑で、今回この「ロックマンゼロ」というのは、「エックス」ではなくて、その友人でありライバルであり戦友の「ゼロ」という名前の赤い体のロボットが主人公なのだ。

うーん、ここまで書いてみて、まったく知らない人には「なんのこっちゃ」という話になるだろう。単純に私の文章力の問題もある。

それなら、画像付きでキャラクター視点で書いてみる。

ポイントとしては、これがロックマン。見た目は可愛い。くりくり坊主みたいな。ヘルメットなんだけど。聞くところによると、英語だと「MEGA MAN(メガマン)」という呼び方になっているらしい。そのまま英語にすると「岩男」になっちゃうから変えたんだとか。ファミコン時代に出始めたゲーム。結構シリーズがたくさんある。ちなみに私は、シリーズの4と5をよく遊んでいた。

ロックマン

で、そのロックマンが活躍してから、だいぶ未来の話という設定で、ロックマンX(エックス)というのが登場してくる。もうこれは別のゲームソフト。世界観もロックマンとはちょっと違う。エックスのほうの世界は、ハイテクというか、ちょっと大人っぽい感じ。ロックマンが少年っぽいルックスとすると、こっちは青年っぽい。シュッとしてる感じ。冒険するステージも、近未来というか、都会というか。操作というか動きも、ダッシュができたり結構違う。

ロックマンX(エックス)

で、そのエックスのシリーズに出てくる戦友みたいなのが、このゼロ。色が赤い。ロックマンは基本手に付いてる「バスター」と呼ばれる鉄砲みたいなもので戦うけど、ゼロは剣を使う。サーベルと言ったかな。最初のエックスシリーズには、レアキャラみたいな感じでサッと現れて助けてくれたりした。サブキャラではあったんだけど、カッコ良かった存在。謎めいてて強いキャラって印象。そのゼロが主人公として遊べるソフトが「ロックマンゼロ」というものだった。当時は、ワクワクしっぱなしだった。

ゼロ

まとめると、

・ロックマン
↑青いロボット

・ロックマンX(エックス)
↑ロックマンの未来の世界のロボット

・ゼロ
↑エックスのともだち

という感じだ。
違うかも。とにかく、ゼロが主人公の話だ。

話を戻すと、私はその「ロックマンゼロ」というゲームのエンディングで、ゼロが話していたセリフを憶えていて、それがずっと頭の中に残っていた。今にしてみると、その言葉がきっと弱い自分を救っているというか、受け入れるきっかけにしてくれたんだな、と思った。

そのセリフは、ゼロが、エックスのコピー(以下、コピーエックス)である敵キャラを倒した際に話されていた、このようなものだった。

アイツはオマエみたいに単純な奴じゃない

いつも悩んでばかりの意気地なしだったさ

だからこそ、アイツは英雄になれたんだ

ここでいう「アイツ」というのは、「エックス」のことを指していて、「オマエ」というのは、敵キャラである「コピーエックス」を指す。

つまり、コピーエックスは、かつてのヒーローだったエックスを模倣して世界を征服しようとしたのだけれど、その強さはエックスに及ばず、ゼロによって撃破されてしまう。結局は、コピーエックスは、エックスのような、本物のヒーローにはなれなかったということだ。

当時、このゼロのセリフを読んで私は、「あっ、弱くてもいいんだ。臆病でも不安でもいいんだ」という気持ちになった。それを今になって、思い出した。

それまでの私は、「強さ」というのは、自信たっぷりで居たり何にも動じないことや、誰にも負けないことだと思っていた。しかしそうではなくて、いやそれもたしかに「強さ」かもしれないけれど、誰かのために動けることだったり、愚直に自分の道を大事にできることも、それも立派な「強さ」になるのだと知ったのだ。その優しさによって困っている誰かを助けることが出来たりとか、ひたむきさによって難しい課題も突破できたりする。それは紛れもなく「強い」ということだ。誰かを打ち負かすこととは違う。

だから、こうして自分が何かに思い悩んだり、迷ったり、不安に思ったり、自信が無かったりしても、それでいいのだ。誰かのためだったり、いやいや自分のためにだってよくて、「これが正しい道なのだ」と思えたら、まずは進んでいけばいい。失敗もするだろうし、恥ずかしい思いもするかもしれないが、きっとそれによって喜んでくれる人が居たりするかもしれないし、何よりそのほうが胸はスッとするはずだ。

別に私はヒーローになろうとは思っていなかったが、当時は、そういう生き方もあるのだ、と少し心強く感じたのだった。

で、今、もう少しこの「ロックマンゼロ」を調べてみて、もう一つ、思い出したことがある。それは、最後の敵を倒した後に、エンディングで呟かれた、ゼロのこの言葉だ。

オレは、悩まない

目の前に敵が現れたなら、たたき斬るまでだ

そうだった。エックスは、ヒーローだけれどどこか自信が無さげで優しい性格だったが、ゼロはその正反対で、一貫してブレない、悩まない、スパッとした性格。つまり、バリバリのデキるヤツだった。私は、自分がそうではないと知りつつ、いや、そうではないと分かっているからこそ、ゼロのような思い切りの良い思考とそれに伴う行動力に、憧れていたことを思い出した。

当時の私は、エックスのおかげで弱い自分を受け入れるきっかけを貰い、ゼロのおかげで物事をテキパキさばいて解決していく姿勢を学んだ。

たしかあの頃、中学生か高校生だったと思うけれど、その当時の自分と、今の自分を比べると、内面的(精神的)にはそれほど変化はないかもしれない。

それでも、日々の仕事や生活のなかで、エックスもゼロも、どちらの思考・行動エンジンも大事だということを身を持って知っていった。

悩んでばかりではだめで、サクサク進めて行かないといけない場面がある。やるだけやったら後は野となれ山となれ、というか。他方で、目の前に立ちはだかる問題が、何でもかんでもロジカルに解決できるものとも限らないのだ。一見非効率に見えても、愚直に地道に細かく手を動かしたり、人間が相手ならできるだけ寄り添ったりすることは、無駄ではない。むしろそうすることで、ただ機械的に進めた結果とは、違う良い方面に向かうことだってあるからだ。

そういう考え方というか姿勢を、知らず知らずのうちにゲームから学んでいて、そのことに、二十年くらい経って今更ながら気付いた。


さて、こんなに長々と、普段書かないゲームの、それもかなりレトロなジャンルに入るソフトを語ってしまった。

うーん、やっぱり「なんのこっちゃ」感がすごい。
誰にも伝わらないでしょう。

もう一つついでに言ってしまうと、ここまで偉そうに書いておいてナンだけれど、そこまで私はロックマン自体に詳しくないという・・。全然ガチのほうではない。憶えている限りだと、ロックマンシリーズは4~7くらいまでしかやったことなくて、エックスシリーズもたしか X と X2 までだったと思う。ゼロシリーズは、最初のだけ。全クリもしたりしなかったり。ロックマンのシリーズは、どちらかというと、ゲームの内容よりも、BGMのほうがすごく好きだった。なので、ニワカと言えばそうなのかもしれない。

それにしても、自分は今は、本当にゲームというものを全くやらなくなってしまったけれども、小学生時代は、ファミコンとかスーファミ、ゲームボーイあたりは、もうほんとに毎日、四六時中、暇さえあればずっとやっていた記憶がある。思い出が山ほどある。

ただ、決して家にこもってゲームばかりしていたわけではなくて、あの頃は、ゲームボーイ持って公園に遊びに行って、そこで友達と一緒に、ゲームのプレイを見せたり見せてもらったり、情報交換をしたりして過ごしていた。エアガンを持ち寄って公園や友人宅の敷地内(今考えるとめちゃくちゃ迷惑)で、打ち合いのサバイバルゲームしたり、珍しい古本やゲームを求めてチャリで遠くの町まで行ったりとかもしたけれど、やっぱり遊びと言えばゲームが中心の小学生時代だった。時間が幾らあっても足りなかった。

そういえば、我が家の息子は、大のゲーム好きだけれど、私の子供なので、きっと放っておいたらずっとやってしまうのだろうな。ゲーム自体は否定しない(というか私自身こんなふうにして育ったので、否定なんてできるはずもない)が、あんまりやりすぎると視力低下が心配。彼に、私のようなこんな自堕落な人間になってもらうのも困る。なので、ある程度は制限をかけている。けど、夜寝る前の息子の愛読書が、スーパーマリオの攻略本という時点で、なんとなく血は争えないような気もしている。

あれっ、何の話だっけ。
そうそう、おっさんの昔の思い出話でした。

ゲームから学んだことは案外多いかもしれない。
また機会があったら書きたい。

おしまい。

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