ななこ

琉球弧民謡研究会の会員 会員の聞き取りをまとめています。

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最近の記事

冨原宮古根について

沖縄民謡に「冨原宮古根」という曲があります。これは「冨原盛勇」さんが歌い「座喜味ヤマー小」と呼ばれた久志の方の三線で録音されていた古い音源から各民謡の師匠が銘々「リメイク」されたもので、いずれも高度な技巧が用いられています。 ウタは「冨原盛勇さん」三線は「座喜味ヤマー小さん」をコピーしていった訳です。 原盤はと言うと至って「ヤンバルの遊び宮古根」であり、伊江島の「木ぷぞ」や「本ニャークニー」にも似た独特のリズムがあります。 元は「ヤンバルの遊び宮古根の歌名人と三線弾き名

    • 唐船ドーイについて

      「唐船ドーイ」は琉球地域を代表するゾメキ曲であり、古くは琉球古典音楽に「漢那節」として記録されており、民間では「畦越い(あぶしぐい)」という唄の系譜として広く分布している。 沖縄本島と周辺離島各地では「唐船ドーイ」などと呼ばれることが一般的であり、古い歌詞の部分を抜粋した「島尻真壁ぬ首里ぬ主」なども派生している。 与論島では踊り歌の一部となっており、沖永良部島では「畦越い(あぶしぐい)」又は「畦越いぬ水(あぶしぐいぬみじ)」などと呼ばれ「ヤッコ踊り」で使用されている。 徳之島

      • 「稲摺り節」の系統の曲について

        「稲摺り節」の系統の曲は脱穀の様などを模した踊り付きで凡そ「琉球全域」に分布している。北は奄美大島・喜界島をはじめとして徳之島や沖永良部島などの奄美群島各地。沖縄県内は沖縄本島と周辺離島各地でそれぞれの地域ごとの歌詞やメロディで伝承されている。 宮古諸島は「粟碾(ユニシリ)」として宮古島では保存されている。 八重山諸島は「稲摺(稲磨)節」として伝承されており、石垣島などでは同節のメロディを用いた「ししゃま(しせま)節」も伝承されている。 与那国島では「稲摺り節」が保存されてい

        • スーリ東節について

          「スーリ東節」は古い歌曲で、琉球最古の工工四である「屋嘉比朝寄工工四」には「綾蝶節」として掲載され、明治初期の川平朝彬による「俗風工工四」には「蝶小節」として掲載されている。ちなみに調弦は「一揚」であり、野村流や安冨祖流で保存されている。本調子で演奏する場合もあり、民謡のものはこの本調子のパターンである。範囲は北は鹿児島県奄美群島の沖永良部島から沖縄本島や周辺離島にも分布している。 類曲に八重山民謡の「胡蝶の舞(唄)」があり舞踊曲である。八重山のものは同じ島内でも字や集落や

        冨原宮古根について

          「取納奉行節と三村踊り」について。

          そもそも明治初期までは「取納奉行節」の末の歌詞の部分が「三村踊り」であった。 それは明治初期に野村流の大家川平親雲上朝彬が著した「琉歌節組内粒寄」の中の「右外之羽節粒寄」の六十一番目の曲目に「取納奉行節」があり、その末端の歌詞がそのまま「三村踊り」の歌詞であり、同節の物語を締めくくる歌詞となっているからである。 川平親雲上朝彬は野村親雲上安趙の弟子であり、同門の松村親雲上真信らと共に「欽定工工四」の著作に関与し、曲節の選定や歌詞の採録に当たられていた方。ひ孫に川平朝申先生

          「取納奉行節と三村踊り」について。

          「嘉手久」の由来について。

          「かでく」という村は奄美大島北部龍郷町嘉渡の方言名で江戸期に「嘉徳村」となっていたものを奄美大島南部の瀬戸内町嘉徳(方言ではかどこ)と区別するために村名を変えたもの。奄美大島北部では「八月踊り唄」に「かんでく」「かんでくほーめらべ」「かんでく思鍋」などと呼ばれる踊り歌がある。 龍郷町嘉渡は当時琉球や薩摩と繋がる海の港が「赤木名」などと並び栄えており、笠利町大笠利や城や辺留辺りが古くは奄美大島北部の中心地であった。 なお沖縄での「昔嘉手久節」「嘉手久節」「遊嘉手久節」「早嘉

          「嘉手久」の由来について。

          民謡 「屋嘉の浜」について聞いたこと

          T先生、O先生をはじめとした諸先輩に聞いた話。昔、石川の方やコザの方では物売りや芝居などのコマーシャルにサンドイッチマン(という広告をする人)がいた。 有名どころでは、小那覇舞天先生や芝居師の池原センスルーさんなどもよくやっていたようだ。そのような物売りの広告の歌が特段上手いサンドイッチマンをやる大島(奄美)出身の人がいた。その人が歌っていたのが、屋嘉の浜であり、曲は昔の古い「海のちんぼーら」で、歌詞は奄美民謡でよく歌っていた歌詞(糸繰り節)。確かに歌を聞くと一番は「綱や切り

          民謡 「屋嘉の浜」について聞いたこと

          三線、胡弓の用材

          ○三線胡弓とも主に沖縄県内及び鹿児島県奄美群島 ○「三線店」や「木工所」などで工芸品として製作されているが「廉価品」や「多売品」として海外ベトナムや中国等で製作されている「廉売品」も多い。 ○棹、三線、胡弓とも製作に使われる材は同じであるが、胡弓は現在「四絃」が主流となっているためその分小さいものの太めになっている。 棹材は変形や狂いの少ない「超硬質木」が向いており、特に沖縄·奄美においては「黒木(黒檀類)」が好まれており、昨今「超稀少木」となっている「黒木」が王道であ

          三線、胡弓の用材

          三線、三味線についての覚書

          琉球箏曲は乃木調子 ★三線の基本調子 ○ 本調子 ○ 二揚(にあげ) 日本三味線の二上りと同じ ○ 三下(さんさげ) 日本三味線の三下げと同じ ○ 一二揚(いちにあげ)  ○ 一揚(半音上がり) ○ 一揚(唐チンダミ) 中国三弦の基本調子と同じ ○ 一下 日本三味線の本調子 三下と一二揚の調弦の各弦間の音の高さのバランスは同じだが、本調子から調弦を変える際に三下は三の弦を一音下げるのに対して、一二揚は一と二の弦を一音づつ上げて調弦するものである ★三線の弦の種類 ○ 絹

          三線、三味線についての覚書

          琉球弧民謡研究会とは

          琉球弧(沖縄県および鹿児島県奄美群島地域)の民謡のメロディーや歌詞のいわれ、意味、分布等を考察研究しながら、沖縄や奄美の三線(三味線)や胡弓(琉球胡弓)なども覚えながら歌い学ぶことで琉球弧の伝統文化に親しみ理解を深める活動をしています。 いわゆる琉球地域(沖縄奄美を含めた琉球弧地域)には由来やいわれなどを様々なところから発生して広範囲に歌だけ歌詞だけあるいはどちらもが似たような形であちこちにちらばっていることが多く意外とそのルーツを同じとする曲や芸能に気づかないものです。

          琉球弧民謡研究会とは