「嘉手久」の由来について。


「かでく」という村は奄美大島北部龍郷町嘉渡の方言名で江戸期に「嘉徳村」となっていたものを奄美大島南部の瀬戸内町嘉徳(方言ではかどこ)と区別するために村名を変えたもの。奄美大島北部では「八月踊り唄」に「かんでく」「かんでくほーめらべ」「かんでく思鍋」などと呼ばれる踊り歌がある。

龍郷町嘉渡は当時琉球や薩摩と繋がる海の港が「赤木名」などと並び栄えており、笠利町大笠利や城や辺留辺りが古くは奄美大島北部の中心地であった。

なお沖縄での「昔嘉手久節」「嘉手久節」「遊嘉手久節」「早嘉手久節」などはこの奄美大島北部から出何かしらのを士族が再編して創作したものだと思わる。

「民謡」の「嘉手久」は屋嘉比朝寄工工四によると「遊嘉手久節」が民謡化したものと思われる。

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