「取納奉行節と三村踊り」について。

そもそも明治初期までは「取納奉行節」の末の歌詞の部分が「三村踊り」であった。

それは明治初期に野村流の大家川平親雲上朝彬が著した「琉歌節組内粒寄」の中の「右外之羽節粒寄」の六十一番目の曲目に「取納奉行節」があり、その末端の歌詞がそのまま「三村踊り」の歌詞であり、同節の物語を締めくくる歌詞となっているからである。

川平親雲上朝彬は野村親雲上安趙の弟子であり、同門の松村親雲上真信らと共に「欽定工工四」の著作に関与し、曲節の選定や歌詞の採録に当たられていた方。ひ孫に川平朝申先生。玄孫に川平慈恩、建慈、慈英兄弟を持つ方です。

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