生まれる場所は選べない。人生は自分で選んだ分だけ、自分のモノになる/『あのこは貴族』感想
あえて先に触れて消化しておくと、
貴族・門脇麦はあまりにも尊くて儚くて可憐だった。
この点を消化しておかないと感想が詰まって出てこないので、はじめに触れさせてもらった。
映画は、まぎれもない傑作。これから長く普遍的に愛される日本映画のひとつだと思う。
<あらすじ>
東京の渋谷区松濤で生まれ、家柄の良い家庭で何不⾃由なく育った華子(門脇麦)は、結婚を考えていた恋⼈に振られたことで初めて焦りを覚える。
心惹かれないお見合いなどを重ね、ようやく出会ったのが良家の⽣まれである弁護⼠・幸⼀郎(高良健吾)だった。
対して、富山生まれの美紀(水原希子)は、名⾨⼤学の合格を機に上京するも学費で苦慮し、夜の世界で働くも中退。都会での生きがいを見出せずにいた。
華子と美紀。生まれ育った環境の異なる2人が、思わぬ形で交わるとき、人生は新たな局面を迎える。
門脇麦が主演。評判もいいらしい。
映画を観た理由はこの2点だった。
原作も未読、あらすじにも目を通さずに観に行った。
あまり感じたことのない手触りを覚えた。
派手な見せ場やミステリーの配置によって先まで引っ張る作品ではない。それゆえ繊細な芝居や場面転換、美術や衣装に至るまで、確かな世界観を構築するための調和は難儀だったに違いない。
監督の手腕なんだろうね。
繊細な要素をよほど丁寧に重ねて調和が取れなければ、実写として魅せるには簡単じゃない原作だと推測できる。一方で、原作や役者の技量への信頼も感じる。根底に漂う空気に余計な力みが見えなくて、物語は真摯に紡がれてゆく。
東京と地方、内部と外部、男性と女性、タクシーと自転車。外野からは一緒に見えるような高貴な階層にも、またその中でカーストがあり、対比がある。
説明的な演出が入るのではなく、登場人物たちのちょっとした所作や立ち振る舞いによって見えてくるのが良い。
予備知識なく観たため、無粋な先読みが働かずにじっくりとストーリーを見守れたのは良かった。とはいえタイトルやテーマから察するに、微細な先入観があったのも事実。それをいい意味で裏切ってくれた。
ドロドロとした見下し合いや虚栄心。上流階級からの没落。上だと思っていた人間がさらに上のカーストに出会って立場を思い知らされるーーなどといったありがちな文脈をなぞらないのが秀逸。
華子、美紀、幸一郎。それに華子が心を許す逸子(石橋静河)に、美紀の親友的存在の里英(山下リオ)。
物語の中心にいる5人の言動に、悪気や作為の類をまるで感じないのは、育ってきた環境によって培われた自然な立ち振る舞いだと信じられるからだろう。彼女たちは不必要に誰かを傷付けることもなければ、愛憎に満ちた関係へと堕ちてゆくこともない。
この映画が終始一貫として気品を保ち、鑑賞後も大きな好感度を持つことができる理由は、ただ家柄の良い人たちの描写をしたからではない。
若い5人がそれぞれ純粋に、自分の置かれた世界を理解しながら、人生をまっとうしようと健気に生きているからだ。
扱っているテーマのわりに人間模様が最後まで澄んで見える要因として、女同士の友情が信頼関係に満ちて描かれる点も見逃せない。
門脇麦は永遠に好きな女優だけれど、何度観たって呆れるほど役に生きている人だなと恐れ入る。幸一郎と初めて出会った場面、帰りのタクシーでの「こんなことってあるんでしょうか」の表情。ああ、素晴らしい。
水原希子は配役として合うのかなと初見では違和を感じたものの、彼女だった意味が観るにつれて分かってくる。地方から東京、名門大学から夜の世界、庶民から上流階級。彼女は分断するのではなく"横断"する自由の象徴で、軽やかでシームレスな存在感を放つ水原希子の魅力とパーフェクトに融和した。
門脇麦×石橋静河という邦画界の旨味を煮詰めたような共演も最高で、逸子が劇中で果たした役割は大きい。
物静かそうな美少女だったイメージからすっかり大人の女性へと変貌している山下リオ。今回演じた里英は、女の子なら誰もが友達にしたくなるキャラクター。夜の東京を美紀と自転車でニケツするシーンは邦画史に残る美しさ。
幸一郎は塩梅が一番難しい役だったと思う。どっちにも受け取れてしまう、ある意味で誰よりも空っぽな人間を、その双肩に託された高良健吾のお芝居は絶妙だった。
生まれてくる場所は選べない。
選べない場所からスタートして、その後も案外選べるようで選べない人生は誰しも続く。貧しい家庭だからこそ選べないことも、高貴な家柄ゆえに何もかも既定路線で選べないことも、両方あるだろう。
人生において、わずかでも選べることがあるとすれば、その選択によって段々と人生は自分のモノになっていくのかもしれない。
自分で選択できる範囲が限られてきた幸一郎や華子は、人生が自分のものだという実感が薄い。
華子が訪れた美紀の部屋には、美紀の物だけで溢れていた。華子は落ち着くといい、その理由を「美紀さんの物しかないから」とつぶやく。あらゆる局面を自分の意思で選んできた美紀は、おそらく華子よりも「自分の人生」を生きている。
かといって美紀のほうが幸せかといえばそれはまた一面的な話に過ぎない。どちらにも比較できない幸不幸が同じにある。そんな普遍的な視点を、華子に優しく語りかける美紀の言葉に乗せた場面は間違いなくハイライト。
「その日あったことを話せる相手が、一人でもいれば十分」
華子に逸子が、美紀に里英がいてほんとうに良かった。
いい映画だった。
あ、最後にまた触れさせてください。
貴族・門脇麦はあまり尊くて儚くて可憐だった。
サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います