第7章:雑種形成実験その2
医師にしてノンフィクション作家のフランク・ライアン氏の手による動物変態の研究史「The Mystery Of Metamorphosis-A Scientific Detection Story-」の大半は、ウィリアムソン博士の研究内容と幼生転移仮説に割かれている。その中には、今まで博士が自著で僅かに記載していたエピソードを見つけることができたり、その後の研究内容まで含まれていることに気づいたり、と、大変興味深いものであった。
<初めての雑種形成実験>
1986年に、ウィリアムソン博士が幅広い科学実験のノウハウもない状態で、雑種形成実験に選んだ動物はヨコエビ科Gammarus duebeniであった。この甲殻類は英国では淡水から塩濃度の高い水域まで住む唯一のエビとして知られる。交尾では雄はtothed feetと呼ばれる肢で雌にしがみつくのだが、事を終えた後になると、雌は育児嚢に受精卵を抱えるようになる。交尾する前では、このような抱きかかえる行為はほとんど見られないらしい。博士は、ヨーロッパホンウニの一種Echinus esculentusの精子とGammarusの卵を混ぜ、雑種形成を試みた。二日後までは卵は生きていたが、これ以降~7日後はほとんどの卵はできていなかった。しかし、博士が丁寧に卵膜を剥がし、顕微鏡で観察したところ、卵内に幼生らしきものを見ることができたというのだ。
しかし、当時は機器の操作に習熟しておらず、画像などで記録することができなかったことを、博士は大変悔しがっている。雑種形成による進化の過程で胚発生の末に生じた、失敗作である雑種形成の結果としての幼生を見たのかもしれない、と考えているようだ。
<球体形の幼生(spheroid larva)その後>
1996年に英国バンガー大学出身の大学院生セバスチャン・ホームズは博士号のテーマの研究をするために、博士のいるマン岬にやってきた。彼の研究テーマはフジツボの集団に関するものだったが、博士の幼生転移仮説を日常的に学び、大病を患って体が思うようにならない博士の実験のその後を行いたいと思っていた。
1998年に博士号を取得したセバスチャンは、ポスドクを経て、2002年に博士が1989-90年
の雑種形成実験の追試をすべく、海産無脊椎動物の採集を行った。以下の動物である。
・ヨーロッパムラサキウニ(Psammechinus miliaris)
・オカメブンブク(Echinocardium cordatum)
・ヒトデ(Asteria rubens)
・ヨーロッパザラボヤ(Ascidiella aspersa)
・カタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)
・“血塗れのヘンリー”ヒトデ(Henricia occulata)
・トゲヒトデ(Marthasterias glacialis)
セバスチャンは上記の動物の卵と精子の雑種形成を試みた。海水中の卵とミルク状に見える精子を混ぜるシンプルなものだが、20分後余分な精子を除き、変化をつぶさに観察した。なかなか変化を観察することはできなかたが、二通りの組み合わせで嚢胚まで観察でき、三通りの組み合わせで幼生の発生まで見ることができた。いずれも、その後は発生中の個体が分解してしまって観察を続けることができなかった。
ただし、ヨーロッパムラサキウニの卵とヨーロッパザラボヤの精子で、ついに胚発生を確認することができたのだった。その個体発生は繊毛を有する嚢胚から四本の腕足を持つプルテウス幼生まで進んだのだが、次の日の発生3日目にはこの腕足がなくなり、直径0.1-0.2mmの球体形の幼生(spheroid larva)になり、培養皿に付着するようになった。一時間に1mm以上動くことはなかったとのことだ。
しかし、ここからが未知の領域であった。この幼生は伸長し、その途上で収縮環を作り、枝別れが引き裂かれるように分裂し、全長2mmの塊(原文ではclampsと表現されているが)になった。このようなものが幾つも生じたとのことだ。セバスチャンは、ホヤの胚の初期発生に似ていると考えたが、これらのその後の発生は進まなかった模様で、成体になることはなかった。
2003年、フランク・ライアン氏はかのセバスチャンより当時の幼生の写真を送ってもらい、それらを拝見したところ、この球体形の幼生の枝別れは、サンゴやコケムシで見られるような無性生殖としての群体のように思えたという。彼は、この枝別れはヨーロッパザラボヤの知られざる群体の生活様式ではないのか、と考えている。また、発生経路に必要な遺伝子の大規模の抑制が異種間の受精の結果生じ、海産無脊椎動物の祖先型である最も単純な形態を見ているのではないか、とも考えているようだ。
この一連の研究は論文や書物として世に出ておらず、フランク・ライアン氏のセバスチャンへのインタビューと2006年にポルトガルのアルべリオで開催された行われた第38回欧州海洋生物学シンポジウムで発表されたのみである。Worthington Book Reviewなる書評と著者からの返答では、フランク・ライアン氏が、解像度は低いものの、本ポスターのURLを紹介してくれている。結果報告によれば、カタユウレイボヤとヨーロッパムラサキウニとの雑種形成では、嚢胚期を過ぎた受精後5日目において、発育不良のオタマジャクシ幼生となり、数時間後に死んだという。しかし、ヨーロッパムラサキウニとナツメボヤの一種Ascidia mentula との雑種形成では、最初の5日間は正常に発生が進行して4本の腕を持つプルテウス幼生になるが、変態後、腕は吸収され、受精後26日目までには凝集し、前記の球体形の幼生が生まれたのだという。この幼生は全て運動性を持ち、水柱に残っていたという。そして、43日目までには、二通りの個体発生経路に分かれる。球体形の幼生の1/3は原基を発生させるが、5日後には溶解して“稚体”が生まれるが、残りの2/3はそのままの固着状態を続け、成長し、70日目まではホヤのような特徴を備えた個体になる。そして、前者では、“稚体”が60日目ぐらいから枝別れのような分裂を始める。そして、新たな稚体になるのだという。ポスターでは、各々の発生段階のカラー写真が掲載されている。
<補遺:カンブリア紀の乱交が脊椎動物を生んだかもしれない証拠について>
UCLAデイビス校の微生物・小児科に属するマイケル・シヴァネン博士とジョナサン・デューコア博士は、主要な動物系統間のゲノム配列を比較したところ、脊椎動物の起源について、常識では考えられない推測に行きついた。約500種のタンパク質では「被嚢類は脊索動物に近縁」という結果になったが、別の約600種のタンパク質では、「被嚢類は節足動物および線形動物に近縁」という結果になった。これらのことから、1つの動物系統の成立には遺伝子の水平移動が関与しており、被嚢類であるホヤの成立には原始的な脊椎動物のみならず、それ以外の他の系統の動物との雑種交配があったのではないか、と彼等は考察した。
使用文献
The Mystery Of Metamorphosis Frank Ryan著 CHELSEA GREEN 2011年
Phylogenetic hybridization (larval transfer): A source for genetic novelty in contravention of Dollo’s law? Sebastian P Holmesら発表 第38回欧州海洋生物学シンポジウム 2006年
Whole genome comparisons reveals a possible chimeric origin for a major metazoan assemblage Michael Syvannen, Jonathan Ducore著 Journal of Biological Systems, Vol.18, No.2(2010) 261-275
追加情報
2003年の学会発表については、フランク・ライアン氏の自著に関する書評への反論のサイトにて、ポスターおよび抜粋の画像のリンクを知ることができた。以下にリンク先を紹介したい。
自著に関する書評への反論
www.washingtonindependentreviewofbooks.com
学会発表に使用されたポスター
ポスターで使用された雑種形成実験の結果に関する画像の抜粋
Hybrid Pluteus, Spheroid Photos.pdf
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