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フォロワー数=魅力ではない。

Twitterは2010年頃から続けている。
初めは大学生活の暇つぶしに。大学名+本名でやっていた。(今考えると怖い)
その後は好きだった美容やコスメのアカウント。
今はキャンプと日常生活を綴るアカウント。
同時にいわゆる裏アカとして見る専門のアカウントも常に持っている。主に国内主要ニュースや資産運用系のアカウントをフォロー。

日本でSNSのはしりといえばmixiとFacebookだけれど、離れて久しい。
微妙な距離感にいるリアルの知人と繋がりが増え続けることに疲れて、匿名性と自由度が守られているTwitterに落ち着いた。

しかしどんなSNSでも共通しているのは、誰しもが自分や相手のフォロワー数の多さを気にしていることだ。
最近はフォロワー数の多さが人気・正義かのように、あらゆる手段を講じてフォロワーを集める動きが珍しくない。昔はこれほどあからさまで過激じゃなかった気がする。
SNSによる収益化の確立、FIREの流行、全世界ステイホーム生活の影響は甚だ大きいだろう。リアルよりもネットでの人事評価=フォロワー数を求める動きはこれからも続きそうだ。


勿論フォロワー集め自体が悪い訳ではないし、フォロワーが増えることで得られるメリットはとても多い。
SNSで商売がしたい、と明確な目的があるなら尚のこと頑張るべきだ。
そうではなく、単純に、フォロワーが多い=その人に魅力があるから
という表面的なイメージ像に対しては、私は常に疑問を感じている。
たぶんそれは違う。


人の価値は数字では表せない


年齢でも年収でも身長でも体重でも、そしてフォロワー数でも、数字を並べれば並べるほど、相手を知ろうとする過程がつまらなくなる。

なぜなら、人を数字で判断したがるのは、そもそもその人の本質に興味がない証拠だからだ。

数字は分かりやすく、便利で、そして揺らぎがない。とても簡単に手早く相手をジャッジできる。カテゴライズできる。初対面の段階でやたらと数字に関する話題を投げかけてくる人がいるとすれば、それはたぶん、自分と比べて相手がどうなのか(自分のほうが優れているのか、自分にとって得なのか、自分の時間を使う価値があるのか)品定めをしてきてるだけなので、興醒めする。

というわけで、フォロワー数をやたらと気にする心理を裏返すと、ひとりの人間として相手に興味がない証拠で、数字を見て面白いかつまらないかさっさと判断したいと思っている。
フォロワー数が多い人にとりあえず群がる集団はほぼこうだろう。

しかし、アカウントの主役である自分自身は、フォロワー数が増えることで、いち個人として尊重され、尊敬され、面白いと思ってもらい、愛されたいと願っている。

「もっと踊って!」コンテンツとして面白がりたい観衆。「心の声を聞いて!」個人として深く愛されたい演者。次第に噛み合わなくなってゆき、その決定的な温度差に早く気づかなければ、失言や炎上や誹謗中傷などのトラブルへと発展する。


フォロワー数に振り回されないこと


タイトルで申し上げた通り、フォロワー数は一定の目安やメリットにはなるけど、人となりの魅力を図る価値基準にはならない。
むしろその逆だと私は思うので、SNSのフォロワーが10人だろうが1000人だろうが2万人だろうが100万人だろうが、現実世界で目の前にいる家族や職場の同僚やすれ違う人にとって自分がどんな人間であるのかに気を向かせるべきではないだろうか。
電車に乗ってスマホの中で人気者を味わいながら、つらそうにしてる誰かが目の前に立っていることにしばらく気がつかない人間にはならないようにしたいものだ。

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