見出し画像

【ふなログ362】地震が起きた翌日、防災と「危機管理」「キャリア」「人生を守る」を考えてみた。


昨日の晩、
久しぶりに大きな地震で驚きました。

「大きな地震が、いつか来るだろう」
と日々思ってはいますが、

実際に起きた後、
「いつか」と思っている日々とは
比較にならない程、感情が大きく揺れ動きます。


「普段から地震などの災害に備えているか?」
揺れが収まった後に起きた問いです。

そんなことを考えながらも、
また日常生活が始まると、
普段通り目の前のことに
知らないうちにまた、一生懸命になってしまいます。

このようなことになる前に、
実際に起きた後、
真っ先に行動に移すことが一番です。


人は痛い目に遭ったりした時にこそ、
「そうならないように」
実行に移すかどうか?
を真剣に考えるチャンスだからです。


本当は痛い目に遭う前に
入念に準備することが大切なのですが、

準備出来ていないのであれば、
「痛い目に遭った時に行動せずして、いつ行動するのか?」
という話になります。


一応、
一定量の食料品は備蓄として備えており、
防災セットも家族分用意していますが、

「すぐに使える状態」
「何がどこにあるのかわかる状態」
までしていなかったことに気付きました。

今日これを書いた後に
防災セットを整理します。


ある人の勧めで、
ヘッドライトも早速注文しました。

富士登山しまくっていた頃は、
とてもお世話になっていたのですが、
登山を辞めた後手放していました。

ヘッドライトは、
フリーハンドで暗闇を照らすことが出来るので、
夜間の登山では必須でした。
防災用としてもお勧めですよね。


このように、
「危機回避のための行動」を始めてみると、
不謹慎な言い方になりますが、
少し高揚感が湧いてきます。

これまで
「危機回避」というと
いわゆる「守り」の行動であり、

「攻撃は最大の防御なり」という言葉からは程遠く、
地味でツマラナイイメージを、
これまで強く持っていました。


どうせなら、
完膚なきまで相手を叩きのめして(叩くのはあくまで比喩ですが)、
痛快な程大勝ちしたいし、

死ぬ寸前、負ける寸前のところを
一気に押し返して「起死回生」の逆転劇、
土俵際に追い込まれて「うっちゃり」で勝利する
というイメージの物語に
どうしても私は憧れてしまうのです。


「三国志」でも曹操率いる大軍を、
劉備と孫権の連合軍が知恵と結束力で撃退する
「赤壁の戦い」など、
まあ昔は結構心踊らせたものでした。

あとは、
春秋戦国時代の
「合従軍(他の六国からなる連合軍)」を撃退する戦いとか。
(斉と秦、別々であった戦い。秦の方は漫画『キングダム』でも描かれていた)


しかし、
このような「大勝利の物語」にも、
運の要素はもちろんあったと思いますが、

例外なく「守る」ための準備や
入念な戦略やシミュレーションは
「やり過ぎ」な程行われていたはずです。
(あくまで推測の域は出ませんが)

「防戦一方」と言うと
とても地味だし歯痒いものを感じますが、
下手に撃って出て将や王が討ち取られてしまったら、
その時点で終わりです。

負けたら終わり、死んだら終わり。

「負けないこと」「破滅しないこと」
が、他の何よりも重要なのです。


かつて私も
「稼いでウハウハする」ことしか考えずに
FXやら小商いで大ダメージを被ったことがありました。

これは、根拠なき自信で乗り切ろうとしたわけでなく、
「負けたらどうするのか?」に
真剣に向き合っていなかったというのが
最大の原因でした。


「人生を勝負事に全て例えるのはどうか?」
という話でもありますが、

「人は皆、何らかの幸せを掴むために
何かを賭けて勝負しながら生きている」
ということを考えると、

どんなカタチであれ、
人は皆、勝負事をしているのだと思います。


だからこそ、
守ることを疎かにして「勝つ」シナリオだけ考えて、
「負けてしまった」時に
ダメージを最小限に食い止めるとか、

最悪「死なないようにする」というシナリオを
全く考えようとしないのは、

「自分の未来に向き合うことを半ば放棄している」
と言っても、
言い過ぎではないように思います。


みんな普段、
自分の都合の良いことしか見ようとしないし、
見たくないものです。

しかし、
そこを逆らって
「見たくないもの」に向き合って対峙して、

そうならないように、
もしくはそうなってしまった時に
ダメージを最小限に食い止める、という行動を取るのは、

実は長期的に「勝つ」ために
重要な要素だったりします。


私が3ヶ月前から学んで
インストラクターのお仕事で教えている
AWSという分野でも
「単一障害点をなくす」という重要な考え方があります。

システムの構成上、
「このポイントが故障したら、システム全体が止まってしまう」部分を
「単一障害点(SPOF: Single Point Of Failure)」と言い、

いかに冗長構成を取った仕組みを
コスパ良く作り込んでいくか?
というのが、重要な腕の見せ所になります。


ITシステムが故障して責任者が謝罪会見を開くことを、
時々ニュースで見ますが、

そもそも「故障が生じて当然」という前提に立って
しっかり仕組みを整えていなかった、

もしくは、
「人はミスするものだ」という前提に立って、
チェックする時間とコストを割いていなかった
という事例も多々見かけます。


一番後悔してしまうのは、
「起きて欲しくない」ことが起きない前提で、
向き合おうとせず、「起きない」ことだけ空想して
何もしないことです。

冒頭の防災の準備に話を戻すと、
「防災」なんて後でいいよ
という気持ちで
普段はなかなか感情が動かないものですが、

今回のように地震を経験した直後に
「未来を守る」行動に早速移せるかどうか?
ここが大事ですね。


キャリアにおいても
今勤めている会社がいつ倒産するか分からない。

それなのに、
一つの勤め先しか勤めていないのは、
「倒産なんて滅多にしないだろう」
という思い込みがあるからです。

だからこそ、
複数の収入源を仕込んでおくのは
極めて合理的な話であり、

いま金融資産が乏しければ、
「会社の力を借りずに、いかに個人として対価を頂けるお仕事をしていけるか?」が、
とても重要になります。


これは私の考えになりますが、
「得意な人だけやればいい」とか
「出来ないよ」なんて
言っている場合ではないかもしれません。

地震が来たら自分達で身を守らなければ、
大切な人を守れないのと同じく、

それはお仕事の話でもあり、
我が身の人生の話にも広がっていくのです。


地震が起きた翌日、
このような「危機管理」と
「守ること」について考えました。

この出来事を教訓として、
我が身に刻んでいきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?