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プロフィール

have a nap (hnp)

1998年生まれ。山形県鶴岡市出身。
大学は京都で4年間過ごし、しっかりくるりに感化され第二の故郷と言わんばかりに京都愛を育む。
京都愛が強すぎて京都ガイドブック(SHINKUPACK)を作成。
新卒で人材のベンチャー企業に入社。就職を気に上京する。
社会人2年目。鎌倉に引っ越しこの記事を書いている。

山形県での生活

高校卒業までは、山形県は鶴岡市というところで生まれて育った。
小さい頃から祖父母と触れ合う機会が多かったので、幼稚園で水戸黄門の
モノマネやお猪口を持って酔っぱらったふりをするような子供だった。
おままごとなどはほとんど興味がなく、変わった子供だったと思う。

当時はDSやゲームボーイ、たまごっちは、小学生にとってのマストアイテムで、遊ぶと言ったら全員持っていた。ゲームを買ってもらえない教育方針だったため当然同級生と話が合わず、小学生の頃はほとんど自分で遊びを作って一人で遊んでいた気がする。(ネガティブではない)
段ボールなど使ってゲームを作ったり、自分たちでゲームのキャラを自由帳に書いて対戦させたりしていた。

そんなことばかりしていたので、一人遊び歴は人一倍長いと思う。
大人になって自分で作ったり、自分で調べたりするのが得意だと感じるのはこのせいだと思う。

なかなか同級生と話が合わないと学校の先生とよく話した。
特に図書館にはよく通った。図書館に入り浸っているというと文学をたくさん読んだような印象になりがちだが、文学を読まずに月間バスケットという雑誌を熱心に読みふけっていた。
おかげで今活躍しているプロ選手は中学時代から追っている。

小さい頃の夢の文集が出てきたが、なかなかませたこと書いている。
当時は、CMプランナーになるか京大にいくのが夢だったと思う。
なぜ京都に行きたかったか曖昧だが、情熱大陸で密着されている方がCMプランナーで京大出身だったからだと思う。
そんな子供だった。


京都へ

思春期が加速するにつれて山形を出たいという気持ちが強くなった。
サイゼリアもない、イケてる服屋もレコード屋もない。けいおんは、東京では2期が始まる頃に1期が放映開始するくらいだ。
田舎なんてもううんざりだ。シティーに行くんだ。
みんなとは違うんだと中2病こじらせた受験生だった。

くるりを聞きながら、新幹線で7時間。
乗り換えは、新潟と東京で2回してやっとの思いで上京した。
母と一緒に行ったのだが、当分両親に甘えられないと悟った京都駅。
ものすごく寂しかったのを覚えている。

京都時代は、とにかく京都の大学生を満喫するぞと意気込んだ。
たくさん京都スタイルの若者のルールに則ったし、
鴨川で朝まで話し込んだりした。
ただ、はじめからそんなことできたわけではなく、ガイドブックが私には必要だった。先輩も友達もいなかったので「POPEYEの京都特集」を片手に中古で買ったママチャリに跨り回り尽くした。

慣れてくると馴染みの店もできて、憧れる先輩やバイト先もできた。
夏休みや春休みはバックパッカーとしてタイやスペイン、モロッコなんかにも行った。ダイビングをするためだけに海外にも行った。
この海外へ行く経験は、今でも考え方にものすごく影響があると思う。
そして、死にかける経験もここで。。。。

京都の話をすると止まらないので、この辺で切り上げようと思う。
とにかく、京都を4年間で大満喫したわけだ。
そしたら、シティーのラストステージ「東京」に行こうと思った。


東京で就職

就職は、東京に本社を構えるベンチャー企業に就いた。
渋谷勤務だったので、三軒茶屋に住んでいた。
家賃が本当に高くて、空気が汚い。それがよかった。
ああ東京だ、私も東京に住んでいるんだとおのぼりさん脳丸出しでくるりの東京を聞くのであった。

おそらくどの同世代もそうだろうが、学生から社会に放り出されて少したった頃、これからの自分の人生と働くことなどを考えるのではないか。
できないことが山ほどあって何者でもないのに、やる気と元気はある。
そんなどこにでもいる悩める24歳である。

今は、鎌倉に引っ越してきている。
海が近くて、小麦肌の人がたくさんいる。おじいちゃんとおばあちゃんも。
よろしくしたいもんだ。


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