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076 窓辺で本を-『ことり』

私は今、とあるホテルの一室でこの文章を書いています。
普段、人工的な高いところはあまり得意ではなくて、タワーマンションも高層ビルもタワー類にも興味が持てなかったのですが、あることから視点を変える必要性を感じて高層階の部屋を予約しました。

なるべく窓の大きい(でも壁全てがガラスになっているものではなくて、ちゃんと窓らしい窓がついている)部屋で変わりゆく景色を感じながら、高層階の静けさは特別だと思いました。

これまで実家でも今暮らしているマンションでも音が全くない、という状態は経験したことがありませんでした。もちろん、夜は静かなのですが、隣の家で暮らしている人の気配や家族の寝息、虫の声など、もしかしたら耳までは届いていないかもしれないけれど確実に存在する音の気配のようなものは常にありました。

それが、この部屋には音の気配すらなくて、まったくの無音。
明るい時間からそうなので、突然時間が止まっちゃったのかも、と思い、何度も窓から外を確認しました。車も人も小さいながらも見えて、それぞれきちんと動いていて安心しました。

このような完璧な静謐空間の中で一冊の本を読みました。
高いところで読むのなら、鳥さんの本がいいな、と思い、小川洋子さんの『ことり』を選びました。

『ことり』は、小鳥の歌に耳を澄まして暮らしていく兄弟の一生を描いた小説です。
お兄さんは人間の言葉ではなく、鳥のさえずりに似た(というよりもほとんど鳥の)言葉を話します。
弟(小鳥の小父さん)はお兄さんの言葉を理解すると同時に人間の言葉を話すこともできます。
そんな二人のやさしくて少しかなしくてしあわせなお話です。

このお話を読んで感じたのは、音の気配がある静かさ。
それは、兄弟二人ともあまり話さないけれど、「二人だけにわかるもの」が発している気配だと思います。お兄さんは弟よりもずっと早く亡くなりますが、亡くなったあとも気配はずっと残っています。

お兄さんと弟(以下小父さん)は、自分たちの小さな秩序ある世界を静かに守ります。
俯瞰してみれば、大変変わった人たちです。
お兄さんは生涯働かずに家にいるので、はたから見れば、社会に適合できていない人、ということになるでしょう。
小鳥の小父さんも、ボランティアで毎日幼稚園の鳥小屋をぴかぴかに掃除をしたり、メジロの鳴き声を上手に真似ができたりと、そう何人もいるような人ではないと思います。

そういった、ちょっと人たちに、「社会に適合している」と思われる人々はときに色々と言ってきます。
二人は静かにそれを見つめます。

例えば、お兄さんは、お母さんに病院に連れて行かれる時も言語学の先生のもとに行くときも、黙って従います。お兄さんが、拒否する反応を示したのは、小父さんに対して、それも一回だけです。それは、小父さんがお兄さんを旅行に誘ったときのことです。お兄さんは旅行に乗り気でないながらも完璧な荷づくりをします。しかし、出発するときに「行かない」といったのです。
お兄さんは、自分が暮らしていく上で必要な最小限の場所で満足していますし、それ以上遠くには行きたくなかったのです。このエピソードから、幼いころ、どれほど自分の心を抑えて母についていったかがわかります。

お兄さんが小父さんに「行きたくない」と主張できたのは、「ほんとうに嫌だった」ということと「拒否しても、弟なら受け入れてくれる」という絶対的な信頼があったからです。実際、小父さんは兄の思いを尊重し、その後は兄弟独自の旅行をします。


また、小父さんもお兄さんが亡くなったあと、周囲の人からの声が入ります。
例えば、幼児誘拐事件が起きた時、何の証拠もないのに、ただ「ちょっと自分たちと違う」というだけで近所の人々から犯人扱いされてしまったり、荒れた庭(ごみがあるわけではありません)が不衛生だと苦情がきたり。

しかし、そういったことに対して小鳥の小父さんは無言を貫きます。
もちろん、感じていることはあるはずですが(幼稚園の道を避けたり、「ことり(子取り)」というささやきが聞こえているので)、それに対して抗議も主張もしません。

ただ、時間が過ぎ去るのを待ちます。


また、小父さんはお兄さんよりもさまざまなひとと出会います。図書館司書、公園の鈴虫おじいさん、幼稚園の子どもたち、園長先生、メジロをたくさん飼っているエゴイスト。それぞれ、さまざまなエピソードがありますが、それが終わるとさっと出てこなくなります。気まぐれな鳥のように小父さんのところに来ては飛び立ってゆきます。

兄弟は起こることを起こることのまま、見つめます。
誤解をされても、そのまま受け入れます。
それができる強さを持つ理由は、すでに二人の世界が確立されているからです。
何人たりとも侵すことのできない、何があっても崩れることのない確信があるからでしょう。


お兄さんは、こう言います。
「小鳥は僕たちが忘れてしまった言葉を喋っている」

また、こんな言葉もあります。
「小鳥の歌は全部、愛の歌だ」

人は皆、空間的に同じところにいても、それぞれちょっとずつ違う世界を持っていると私は思います。それが自分の持つ世界よりもちょっと離れたところにあっても、愛があれば理解できることもあります。もちろん、それでも理解できないこともあると思いますし、理解できなくて攻撃をする人もいれば、無関心になる人や、わからなくても受け入れる人もいると思います。

兄弟は、自分たちの世界をわかってほしいわけではありません。
ただ、小鳥の声を聞いていたかったのです。

人が忘れてしまった言葉で歌う、美しい愛の歌に耳をすませていたかったのだと思います。

私は小鳥たちの言葉はわかりません。
でも、せめて小鳥の声の美しさを感じる心は忘れたくないと思いました。

読み終わったあと、静かすぎる部屋で、メジロの素敵な声が聞こえた気がしました。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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