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他の誰かになる必要なんてない。自分のままでいるための、ひとやすみ。

 夏休みの間、ず〜〜っと音楽を作っている。この夏はボカロを投稿するために、没頭して作業したのち、パタリと集中が切れた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきて、甘いものを食べて、散歩したり、ぼーっとしたりする。

 最近は息抜きに読書しつつ、音楽に試行錯誤しながら、いろんなことを吸収しては吐き出して、その繰り返し。決して無駄にしないぞっていう自分への呪縛に苦しめられて、長期休みはどう過ごすのが正解なのかわからない。


 すごいものなんか作らなくていいんだっていうことを、私はよく忘れてしまう。大事なことは、楽しく、続けることだ。やり続ける。作り続ける。たくさん作っていくうちに、知らないところで成長しているもんなのだと、以前、誰かに聞いた。

 その時は、聞くだけ納得して、そこまで意識していなかったのに、今ふと思い出して、「確かにそうだなあ」って、しみじみと実感している。

 自分もできているつもりになっているのに、いざ実践していくと、その罠にどんどこハマってしまうので、全く厄介である。

 誰かに良いって言ってもらえそうなものを作るんじゃなくて、自分が本当に好きなものを作れるように。好きなものからもらった幸せを、誰かにお裾分けできるように。飾らずにそのままの自分で音楽を作っていけたらいいな。


 先日、久々に本を読んだ。加藤シゲアキさんの『チュベローズで待ってる・AGE22』だ。その本にどハマりした。その本の余韻が、線香花火のようにぱちぱちと私の頭のなかで弾けている。

 この本は、今まで読んだことのないタイプの本で、私の知らない本の読み方を教えてくれた本だった。「こんな本の読み方があるんだ」っていう衝撃が走った。衝撃っていう言葉は、こういう感覚のことを言うんだと思ったくらいだった。本の感想は、2冊目を読み終わったら、また改めてじっくり語りたい。


 なんだか文章を書くのは久しぶりな気がする。ノートに日記のようなものはたくさん書いているものの、やっぱりペンで書く文章と、パソコンのキーボードで書く文章は、やっぱり少し違う。この時間が、私を「私」に戻してくれるような感じがある。

 ふと思ったことはいつもメモしていつものの、やっぱりまとまった文章を書き出して、それにタイトルをつけて、公開する、という一連の流れは、頭の中を整理してくれる。なにより、今の自分を大切にしているような気がして、落ち着くのかもしれない。

 「ずっとこうである」なんてマニュアルは存在しなくて、自分の考え方や感情は、常に更新し続けていく。noteを更新することは、自分の思考のアップデートのようなものに近いだろう。


 noteにあれこれ書いているものの、実際は「こうでありたいな、素敵だな」という願望を書いている。そのままの自分をさらけ出すのって怖くて、ついつい格好つけてしまいたがる。
 その中で、「自分の好きなもの」ではなくて「自分がこれを好きかどうかはわからない、でも人に良いって言ってもらえそうだから優れているんだろうな」っていう方を選択してしまいがちだ。

 でもそれは自分にとってすごく苦しい方を選ぶことなんだと気づいた。しかもその時は、自覚がなく、これをやりたいのだと思い込んで、気づきにくて、どんどん自分で自分を苦しめてしまう。
 人にどう見られるかは、自分では選べない。それなら「自分が楽しくて、愉快で、好きで仕方のない方」を選んでしまえばいいじゃないか、ということに辿り着く。
 でも創作というものは厄介で、好きって思った方向に突き進んだのち、また同じことを繰り返す。なんなんだろうね、ほんと。そういうループから抜け出すためには、何も考えないこと、何もしないことが有効である。そして気づいたときには、なぜか心が軽くなって、自然とやりたくてワクワクするものが出てきて、それに没頭する。きっと今はその繰り返しでいいのかもしれない。少しずつ前に進んでいる。


 ふとした瞬間に思ったことを書き出すと、大体300〜500字くらいだ。noteに投稿するには短くて、かといってツイートするには長すぎる。そのメモを膨らませるか、複数を繋ぎ合わせて一つにするか、どうしたもんかと悩ましい文章のカケラが、私のPCの中にはたくさん転がっている。

 それらはとりあえず寝かせておくことにして、試しにnoteの記事の投稿用の、空白の、文章を書き出すためのページを開く(この文章を書いてるこのページはなんて呼ぶんだ)。そして何も考えずに、ぼーっと文章を打っていると、なんだかんだ1000字を超えていて、「ああ、なんだ、これでいいのか」といつも思う。そして書き続けていくうちに、「これがいいんだよなあ」っていう感覚を思い出してくる。

 別にたいそれたことなんて書かなくていい。noteは「こういうテーマで書こうかな」とか、そういう思考で書くと、続かない。
 文章を書くとき、私は自分に対して、ありのままの自分をさらけ出せる場所であることが、私にとっての幸せなんだと思う。

 今はこう思ってる。でも来週は、全く正反対のことを考えているかもしれない。でもそれでいい。どれが正しいとか、間違ってるとかじゃない。その瞬間の自分に素直であれば、それでいい。
 だからこそ、何もない、「今の自分」が詰まっただけの文章を、書くのも読むのも、私は好きなんだと気づけた今日でした。