映像業界のはしっこで思う、女性キャラの魅力の広がりと「ヒロイン元年」
なんとなく昔から、映画に描かれる女性ってパターンが狭いなと感じてた。
小学生の頃「ジュラシックパーク」とか「インディジョーンズ」とか、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のワクワク感に憧れて以降、映画をたくさん見て、今も映像制作の仕事なんかやるくらい、ずっと好きだけど。
父の影響で見た「スティング」とか、ミニシアターブームの頃の「Lock, Stock and Two Smoking Barrels」や「ユージュアルサスペクツ」、「アパートの鍵貸します」みたいな往年の名作、ミシェルゴンドリーの「僕らの未来へ逆回転」、内田けんじ監督の「鍵泥棒のメソッド」とかマーベルとか。人生にワクワクを与えてくれた作品がある反面、違和感を感じるものにも出会ってきた。
もちろん全てがそうじゃないけど、幅の広い男性のキャラクターの魅力に対して、女性キャラクターの魅力は狭く設定されている作品が多い気がしていて、ある種のステレオタイプも感じていた。
例えば「セクシーで美しいわけあり」とか。最初から言語化できていたわけじゃないけど、そうした違和感を、世間はそういうものだと受けいれていった気がする。それが自分の生きにくさにも、繋がっていくんだけど。
実際、以前は世間に認められる女性の生き方も魅力の幅も、今よりずっと狭かったんだと思う。そういう価値観は、やっぱり時代のあらゆる作品に反映されるものだから。
でもここ5年の間に、そんな流れが明確に変わってきたと感じる。
2018年頃に感じた映画のヒロイン元年
それは凄く映画に表れている。映画は時代を反映するから。2018年付近は私の中で「ヒロイン元年」と呼べる年で、新しい魅力を持った女性キャラクターにたくさん出会えたし、映画の中で担う女性の役割も、ここ二十年で大きく変わったと感じた年でした。
例えばこの2作。上は90年代に大ヒットした、小惑星を爆破しにいく宇宙飛行士たちを描いた「アルマゲドン」。下が2018年に上映された「オデッセイ」。「アルマゲドン」時期には男性ばかりだった宇宙飛行士に「オデッセイ」では女性が2人もいる。
しかも「オデッセイ」チームの責任者は左端の女性。元軍人で強靭なメンタルと決断力を見せ、情に流されず判断を下さなければいけない立場で、めちゃくちゃかっこいい。
フィクションだけど、重要で、危険なミッションに男性も女性がいて、さらにチームで一番過酷な判断を下す役をジェシカ・チャステインが演じたということに、なんかとても衝撃を受けたし嬉しかった。
魅力的な女性キャラが大渋滞のマーベル、ディズニー、ピクサー
マーベル映画には魅力的な女性キャラクターがたくさんいるけど、特に印象に残ってるのが「ブラックパンサー」オコエと「キャプテン・マーベル」。
オコエは、坊主で筋肉質で、王国のジェネラルで、男性より強い。
今までは強いキャラクターであっても、女性には綺麗でセクシーなことと、男性よりも強くないことが求められがちだったと思うけど、オコエはそれを全て覆してきた感じ。そしてそのキャラクターが映画上、一番輝いて見えて美しく感じて、美しさの基準の広がりを感じた映画でした。
「キャプテン・マーベル」も、どの男性キャラより強いチートお姉さん。元パイロットで、世間の「女なんだから」に何度も立ち上がっていくクライマックスが好きすぎて、何度でも見ます。強すぎて作品にあまり登場させられないから、宇宙飛び回ってる設定も好き。
マーベルのキャラは基本全員好きだけど、「マイティ・ソー」のヴァルキリーと「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のガモーラもかっこよくて好き。マーベルの魅力的な女性キャラが一同に会す「アベンジャーズ・エンドゲーム」にて、スパイダーマンを女性キャラたちが守るシーン、マーベルの意思表示を感じて最高すぎて何度でも見てます。
キャラ変度ナンバーワンだったのはトイ・ストーリーのボーピープ。1で登場した時は美しく、しとやかで、芯の強い、古き良き女性像という感じで、ほとんど印象に残ってなかった。でも4では武器のように杖を持ち、パンツスタイルになって自立した女性として登場。
「自分のために生きる」ということが、「おもちゃ」としても「女性」としても大きな決断を要することで、彼女は変わっていく時代や自分の周りの環境の変化の中で、自分も変わるという決断をしたんだということが、自分にも重なってとても良かった。
このエンディングは賛否両論あったみたいだけど、私にとってはしっくりきた。与えられた役割をまっとうできなくたって、しなくたって、幸せでいいし自由でいい、自分でいいと言ってもらえた気がした。
もしかしたら1の時彼女は、世間から求められた役割を、こういうものだって受け入れて演じてたのかもしれないし。
小さい頃からVHSで何度も何度も見たディズニーの「アラジン」にも変化を感じた映画の一つ。アニメーション映画が公開された1992年には、お姫様が「選ばれる」立場でなく「選ぶ」立場であることが、それまでのプリンセス映画、白雪姫やシンデレラと違って、新しいプリンセス像だった。
2019年の「アラジン」はもっと進化していて、アラジンではなく、ジャスミンが国を治める立場になります。1992年当時はアラジンが王様になることに全然違和感を感じてなかったけど、よう考えたらそうだよな。ジャスミンは聡明で勇気があり、きっと今までも教育を受けてきていて、政治も間近で見てきてる立場。急に出てきたアラジンがやるよりよっぽどいいと思う。
ロケットランチャーを放つ60代サラが最高に素敵
最後はターミネーター。ターミネーター絶対屠るというリンダ・ハミルトン演じるサラのクレイジーさは昔から凄くよかったけど、ターミネーター・ニューフェイトで60代になったリンダ・ハミルトンはもうめちゃくちゃ最高!
でっかい四駆に乗ってコンバットベストを着て颯爽と現れて、スーパーショーティ ショットガンとロケットランチャーをぶっ放し、手榴弾をラフに捨てた後の「I’ll be back」なんてテンション上がりすぎて私が屠られる。
もちろんここでも役割の変化があって、昔は救世主の母としての強さだったけど今回は違う。それは大きなネタバレなので気になる人はぜひ見てください。
「若い」がすぎた後ってどうなのかなって思った時期もあり、自分が変わらなくても世間が変わるのだろうかと思ったこともあったけど、ニュー・フェイトのサラ・コナーには本当に勇気をもらった。実際、今のところ年々楽しいし。現在37歳の私も、ショットガンとロケットランチャーが似合う60代になりたいです。
人生ガチャに関わらず、自分を追求していい
映画に描かれることは、本当に時代を反映する。世間が少しずつ変わってきたから、女性の描かれ方も変わったんだと思う。
映画のキャラに感じていたように、昔は、私自身も、違和感を感じながらも何も言わなかったことがたくさんある。全然メリットにならない仕事上での女性扱いとか。傍目に小さい子どものいる男性が変わらず働く様子を見つつ、自分が17時に帰る瞬間とか。第二子を妊娠した時も、区外の認証保育園だったので退所になったり。
それぞれ、何も言わなかったのはめんどくせえと思われたくなかったから。そして、それが世間の普通だったから。声をあげたところで世間なんて変わらないし、変わるのはかなり後だろと思ってた。自分があまり享受できないことに力をさくよりも、目の前の問題のことで頭がいっぱい。今も昔も、大義とか何もない人として生きてます。
価値観というものは進化し続けていくもので、まかり通っている当然に対して「違うよね」というのは勇気がいることだし、そもそも気づくことも難しい。
でも最近は少しずつ違和感には「?」を言えるようになってきた気がする。長いこと、世間が決めた価値観に自分を無意識に縛っていることがあったけど、映画にも反映されているように、言ってもいい世の中になってきたことで、自分も言いやすくなってきたのかもしれない。
価値観も時代も変わり続けて、時代や人によっても当然が違う。でも、人生ガチャで与えられた能力や環境に関わらず、幸せの総量はあがっていけばいいと思うし、誰もが自分を貫いてもいい世の中であればいいなと、業界のすみっこで映像を作りつつ、映画を見ながら密かに思ってます。