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20代の最後にロンドンに飛び立ったときのこと

今から6年前、残り数ヶ月で30歳になろうとしていた29の私は、20代の最後をこのまま平凡に終わらせたくないという衝動に駆られて、一人でロンドンに飛び立った。といっても、大それたことではない。ただの一人旅である。

20代は色々迷走していた。大学を卒業してからすぐに洋服関係の仕事をしたけれど、物足りなくて1年でやめた。それからずっと都内でマーケティングやウェブ関係の仕事をしていたが、社会(というか会社)に迎合しすぎた結果、自分を見失い身体も壊して29歳の時に思い立って東京を去り地方にある地元に引っ越した。
そもそもマーケティングの仕事なんて全然好きじゃなかったし向いてもいなかった。ただなんとなく聞こえがよかったからやっていただけだった。29歳で東京を去った私は敗北感を抱えたまま、地元の百貨店でアルバイトをし、なんとなく英会話スクールに通い、自分自身の次の生きる道を探し続けていた。

20代のほとんどを、自分のためではなく「社会人」として、あるいは「周囲から見て立派に見える自分」として生きていた。また、それが誇らしくもあったのだ。それに、はたと気が付いた私は思い切ってアルバイト先に無理を言って1カ月の休みをとりロンドンに行くことにした。なぜだか分からないけれど、ここではないどこかに行きたいという衝動に駆られたのだ。そうすれば、何か変われるとおもったのだと思う。これまでの会社員生活で貯め続けた少ない貯金をほとんど使い切って。(今ふと思ったけど「社会人」って言葉ってなんなんだろう。)

数ある旅先のなかでなぜロンドンに行ったのかといえば、日本語が通じなくて、知っている人が一人もいなくて、行ったことのないところにいきたかった。わたしは都会が好きだからどうしても都市が良かったし。せっかく英会話スクールにも通っているのだから英語圏がよかったというのもあった。
29歳という年齢もあったのだろう。結婚しているかどうかだとか恋人がいるのかどうかだとか結婚したら家はどうする子供はどうするというような「将来」のことばかりを気にして生きている人ばかりの地元にはウンザリしていた。(もちろんそんな人ばかりではない)その時の私は「今」楽しいかどうかが何よりも重要だったのだ。

そうこうして2014年の9月某日、わたしはひとり、ロンドン、ヒースロー空港についた。
入国審査官に「ロンドンには何しに?」と聞かれた。
わたしは、咄嗟に「Sightseeing」という言葉が出てこなかった。
私「あれ、何しに来たんだろう。」
審査官「じゃあどこに行くか決めてるのか?大英博物館?トラファルガー広場?」
私「・・・公園(Park)」

私の英語力が壊滅的だったわけではなくこれは本音だった。
都会の公園にただ行きたかった。ただ歩いてカフェでコーヒーやサンドイッチを買って(ヨーロッパってどうしてパンがこんなに美味しいのだろう)公園でのんびりとそこにいる人を眺めたりして過ごしてみたかった。
私は、本当に「文字通り」ホテルと航空券を予約しただけで、なにも決めてこなかったのだ。

行き当たりばったり、というのは今に始まったことではない。毎度、わたしの一人旅なんてそんなものなのだ。

ロンドンには3週間ぐらい滞在した。審査官のおじさんが「ロンドンには素晴らしい公園と美術館がたくさんあるから楽しんで」と言っていたが、それは本当だった。
だいたい美術館はどこも無料だ。ホテルの近くにヴィクトリア&アルバートミュージアムがあったのだがそこには何度も行った。これまで私が訪れた美術館の中でも、最も好きな場所の1つになった。

私は何をするでもなく毎日朝早く起きてコーヒーと、パンとチーズなどの簡単な朝食を食べて(ホテルの朝食がだいたいそんな感じだった)1日中街を歩いて過ごした。日本とは全く違った類の美しい建築物、街並み。そして誰も自分を知らない土地。心地よかった。

数日が経った頃に、大英博物館に行った。
この日は朝からちょっと身体がだるい感じがしたのだが、近くのスターバックスで濃いめのコーヒーを飲んで少し休憩してから向かった。案の定だ。大英博物館の入口に入ったとたんにめまいと頭痛に襲われて軽いパニックになってしまったのだ。これはまずい、死ぬかも、と思い受付の人に「体調がとても悪いのでどこか休むところはないですか」と(あるわけがない)聞いてみた。
受付の親切な男性は、「そういう場所はないのだけれど、外のベンチでとりあえず休んでいて。担当を呼ぶから」と言われ、私は言われた通り、入口の外にあるベンチで座ってまつことにした。
数分後、紳士風の男性が水とおしぼりをもって私のところへやってきた。
彼はいくつかの質問を私にした。
「いつからロンドンに?仕事?」
「3日前。旅行です。ちょっと気持ち悪くて。」
「ロンドンはどう?楽しい?」
「ええ、楽しい。パンとコーヒーが美味しいです(なんだそれ)でもちょっと頭が痛くて」
そういうと、「それは完全に時差ぼけだよ。きっと明日にはよくなる。水もよかったらどうぞ」と言った。
その紳士風の男性と、その後もいくつかの、意味があるようなないような会話を交わした。もらった水を飲んで10分ぐらい会話をしていると、ずいぶん体調が良くなってきた。それを察した彼は「ロンドンの旅を思い切り楽しんで。何か気になることがあればここにくればいい」という意味のことをいってその場を去っていった。きっと本当に時差ぼけによる体調不良だったのだ。もしかしたらスターバックスのコーヒーが濃すぎたからかもしれない。いずれにせよ、男性は紳士風ではなく本当に紳士だった。

結局、大英博物館の中には入らず、その日は他の日と同じように公園にいったり、テムズ川沿いを散歩をしたり、適当なカフェに立ち寄って見たり、美しい本屋でのんびりしたりして過ごした。途中でオーガニックサラダを売りにするレストランでスムージーを頼んだ。わたしの英語が拙すぎたのか、頼んだものとは別の青色の不思議なドリンクが到着したが、それが思いがけず美味しくてなんだか得した気分になった。
とてもいい一日だった。

別のある日は、イーストロンドンに位置する「ショーディッチ」というエリアに行った。ニューヨークで例えたらブルックリンのような場所だ。おしゃれで感度の高い若い人が多くて、わたし好みのブティックや雑貨屋が多くあった。そこは中心市とは街並みも、歩いている人もずいぶん違って見えたが、それがまた都市らしくてとても気に入った。芸術家が多く住んでいるらしく、ストリートアートが街に溶け込んでいた。

そういえば、ロンドンはどの場所にいってもゴミがほぼ一つも落ちていなかった。
街でごみをひろう仕事なのかボランティアなのかをしている人がいるからだ。とても素晴らしいと思った。

その日、歩き疲れた私はショーディッチでもおしゃれなカフェの1つと言われる「ALBION」というお店でお茶を飲んだ。グローセリーストアが併設されていて、そこでお店のロゴが入ったコットンの丈夫そうなトートバッグと、お土産に良さそうなチョコレートを何個か買って帰った。その近くのエリアはすこし物騒な場所があり、夕方になってきたので足早に駅へと向かったが、その途中で肩にかけていたカーディガンがなくなっていたことに気がついた。数年前に新宿伊勢丹で購入したマークジェイコブスのお気に入りのカーディガンだった。物騒な箇所を再度走って戻り、ALBIONに行って「グレーのカーディガンはなかったでしょうか?」と聞いて探してもらったが、お店にはなかった。きっと足早にあるいていた時に落としたのだ。だがもう道のどこにも、それは落ちていなかった。
なにせロンドンにはびっくりするぐらいゴミが落ちていないのだ。落ちていれば、仕事かボランティアをしている人が即座に拾って片づけてしまうのだ。少しだけ残念な気持ちにはなったが、手放す時期だったような気もして、すぐにあきらめてホテルに帰った。

こんな風にしてなんでもない出来事が続く日々をロンドンで過ごし、3週間後、私は日本へ帰った。

当たり前だが、ロンドンへ行く前と後で何か暮らしの景色が変わったわけでも、自分の次の人生の方向がわかったわけでもなかった。
そして思った通りに数ヶ月後、わたしは30歳になった。
もちろん30歳になったからといって、何も変わらなかった。

ロンドンで過ごした3週間は、日本であれば忘れ去れてしまうようななんてことのない1日なのかもしれない。
でもこうして記憶の扉をひらけば、その時のことを細かくつらつらと思い出す。
だからわたしは、この後からますますひとり旅が好きになった。

美術館で芸術を見ずに入り口でお水をもらって紳士と会話しただけで終わった1日や、カーディガンを無くして少しだけがっかりしつつも、すがすがしくもあった1日や、間違った注文が思いがけず美味しかったりした1日。

特別ではないけれど、人生ってこんな感じなのかもしれない、とあれから6年たった今は思う。

あの時、ロンドンに行って本当によかった。


※ショーディッチの写真を少し。

左にいるのがゴミを片付けている人。こういう人を何度も何人も見かけた



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