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父と映画

私が映画好きになったのは、間違いなく父の影響だ。
子供の頃、父は夕食の後で1人、自室を真っ暗にして白い壁に映画を映して観ていた。私は何か特別なことがそこで行われているのだろうと子供心にわくわくした記憶がある。

私が初めて映画館で映画を観たのは、バック・トゥ・ザ・フューチャー・パート2だった。それは1989年の冬のことで、私はまだ3歳だった。なぜかその日は兄と母はおらず、父と2人で出かけた。本当は、年末の買い出しにきたはずだったのだが、父がどうしても観たいとごねたのだ。(3歳の私ではなく当時33歳の父のほうがまちがいなくごねていた)

映画が始まるや否や、まだ幼い私には刺激が強くて怖くなって泣いた。(今観たってパート2の“ビフ”の形相はかなり怖い。)

だからしかたなく途中で映画館を出ることになった。あの時の、私の涙と鼻水まみれになった父のグレーのセーターと、がっかりした顔をなぜかとても鮮明に覚えている。
今思うと、父のほうがずっとわがままで、無謀なことをしてくれた、と思う。

私が高校生になると、私の土曜日の授業を早退させて(本当にどんな親だ)2人で「スピード2」を観にいったこともある(しかもなぜか2ばかりだ)。父はパート1のキアヌ・リーブス版のスピードの方が好きだったらしく、「イマイチだったな」と言っていた。決まっていつも映画館の近くのドトールでコーヒーと、サンドイッチをテイクアウトして映画を観るのが父の日課だった。まだ当時の映画館は持ち込みができたのだ。私は映画よりも、暗闇の中ドトールのサンドイッチを食べるのに苦戦したことの方が印象に残っている。

大学生になり、私が上京すると、両親は私の暮らすマンションに時々遊びにきた。そんな時はよく父と2人で映画館に行った。
確か、恵比寿ガーデンプレイスで、私のリクエストで「ある子供」という映画を観たこともあった。ダルデンヌ兄弟の作品で、その年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した作品だった。父はどちらかというとハリウッド大作のほうが好きだと思っていたから、楽しめていないだろうと思ったが、隣に目をやるとどうやらそうでもなさそうで、安心した記憶がある。

映画が終わると「こういうのを好むなんて、お前も相当映画好きだな」と父は言った。


それから何年も一緒に映画館に行くという機会はなくなったが、
つい2年ぐらい前、父からLINEが来た。

「七人の侍がデジタルリマスター版で上映されるらしいから、観に行こうよ」

父と映画館に行くのはとても久しぶりだった。

話好きの父は、昔からよく黒澤映画のセリフを引用して物事について語ることがあった。実家にも全作品のDVDとレーザーディスク(懐かしい)がある。そんなに面白いなら、まあ観てもいいか、と誘いに乗ることにした。

実際に、「七人の侍」は、私の想像していた映画とは全然違っていた。とてつもなくエンターテイメント、だった。何度も声を出して笑ったしちょっと泣けた。そして私は黒澤映画によく出演する「志村喬」という素晴らしい役者を知った。「喬」は私の兄の名前に使われている漢字なのだ。
その時は母も一緒で、私も母もとても楽しんだので、父はいつになく、満足げ(というか得意げ)だった。

話題の映画があれば、公開日にそれを観ることが趣味の父も、今年に入ってからはもう、映画館には行けていないらしい。さすがにそれは少し寂しい気持ちになった。

つい昨年なんかは、ジョーカー、ワンスアポンアタイムインハリウッド、スターウォーズなどが公開され、父はどれも公開日に観に行き、私にその感想をLINEしてきた。(毎回ネタばれされて大変いい迷惑だ)

そういえば、思い返すと、いつも、そうだ。

私と父は真剣な話をするとすぐに喧嘩になる。ふたりとも血気盛んなのだ。そんな時、数週間(ときには数カ月)音信不通になっても、映画の話題を切り出せば、喧嘩のことを忘れて自然に仲の良い親子に戻れる。

私はずっと父のことを、厳しくて自分勝手でちょっと冷たい人だとばかり思っていた。でも「ニューシネマパラダイス」や、「隠し剣 鬼の爪」などの映画に泣いて感動している姿を見ると、そうばっかりでもないのかな、と思ったりするようになった。

今の私は子供がいないから、子供に自分の好きな役者の一文字を名前に忍ばせたり、幼い娘に大人向けの映画を付き合わせるというようなことは、できない。
代わりにこうやって、時々映画の思い出を文字に綴って忘れないようにしておきたいと思う。

でも私は、たまに破天荒になる父の血をかなり受け継いでしまっているから、忘れることは多分ないのだろうけれど。

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