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【おふとんな日々Vol.35】脳内オカンの娘やめました〜後編〜

こんばんは!
毎週水曜日、旬香さんとfumiの交換日記『おふとんな日々』第35回です。

本日9月13日(水)はfumiが担当いたします。ぜひチェック・スキ・コメントお願いします!


まだまだ暑いのに、日が落ちるのは早くなってきて、秋の足音は着々と大きくなってきていると感じる今日この頃。

私はというと10月9日(月・祝)に開催される一箱古本市千石ブックメルカードの出店に向けて、準備真っ最中。

本をセレクトして、ショップカードを作り直しているところです。

今年は絵本がテーマということで、普段はあまり取り扱っていない絵本を少しばかり用意しました!

1ヶ月後、本好きの方達にお会いできるのがものすごく楽しみです。


さてさて、本題です。

シリーズ的にお送りしている「脳内オカン」の話。脳内にいた「自分を責める声(脳内のブチギレオカン)」をどうやって追い出したのか?

追い出し経験者(?)の2人なんですが、私の場合は、旬香さんとは少し違う追い出し方でした。


▼前々回・前回の記事はこちら。ぜひシリーズでチェックをお願いいたします!



「働いていないと非常識な人」は本当?

私の脳内オカンはいつ消えたのでしょう?

振り返ってみると、はっきりとした境目はわからないのですが、2018年ごろから始まった「適応障害→離婚→コロナ期」の流れが大きな節目だったように思います。

2018年、私は適応障害の診断を受け、休職することに。のちに退職せざるを得ませんでした(当時は結婚していたので、結果的に専業主婦でした)。

しかし、働いていない状態への罪悪感に長く苦しめられたんです。


もともと、小さい頃から「仕事をしていない人は非常識で変な人」「きちんと勉強して働いて、自立した大人になりなさい」と母に刷り込まれてきた私。

母方の祖父、父方の祖父、どちらも決まった仕事についていない。父方の祖母もいろんなところにマルチに出稼ぎに行くような人。(ちなみに母方の祖母は、母が幼い頃に出ていってしまったらしく、見たことがありません)

父こそそれなりに仕事をしていたのですが、母はそんな家族にコンプレックスを持っていたようでした。

たぶん「普通になりたい」という思いが人一倍強かったのでは、と思っています。


そんな母に育てられたものだから、私は枠にハマっていないと不安なタイプ。

「変なこと言ってないかな?」
「この場の空気読めてるかな?」
「自分の意見より他人の意見を優先しなきゃ」
「いつも自分が迷惑をかけないように」

頭の中はこんなことばかり。必死で考えて振る舞っていました。

迷惑をかけた日には、もう寝られず、ご飯も食べられず、数日生きた心地がしないのでした。

もちろん、脳内のオカンも「ほらまたそういうことばっかりして」「ちゃんとしないから」と大騒ぎです。


働き方も、働く量も自分で選べるんだ!

話は戻ります。適応障害による休養の最中に、離婚が決まりました。

そこから再び正社員として働き出します。しかし、またしても体調を崩して転職。

前の職場はスタッフ同士の成績を争わせたり、かなりタイトなスケジュールで働いたり、ピリついた職場でした。職場の雰囲気が合わなかったのだと思います。

2021年、非正規雇用になり、
「私ってやっぱりバリバリ働けるタイプじゃないんだなあ」
「私も非常識な大人になってしまったのかもしれない」


そう思っていたときに出会ったのが「ナリワイをつくる(伊藤洋志)」でした。

それぞれみんなキャパがあって、みんな同じように働けるとは限らないんですよね。

周囲と戦うのが苦手なら戦わなくていいし、自分なりに生存戦略を持てばいい。働き方もそれぞれ、働かなくても生きて行く方法を考えるのもまたひとつ。

別にバリバリ働けなくてもいいんだ。それも自分で選択できるんだ。

「仕事をしていない人は、非常識で変な人」の思考でがんじがらめになっていた私は、視野が狭くなっていて「働き方も、働く量も自分が無理をしない範囲で選択していい」という事実に気づいていませんでした。

この本に出会ってよかった。

考え方に余裕が生まれてから、脳内オカンの「働かない奴はおかしい」と責める声がなくなり、少しずつ母の影が薄れていったように思います。


いろんな生き方があって、選んでいい

そして、転職した2021年、一箱本屋を始めた2022年、かつてないくらいいろんな人との出会いがありました。

そこで気づいたのは「働き方だけではなくて、“生き方”だって選ぶことができる」ということ。

事実婚をしている方、独身を貫いて趣味に生きる方、今まであまり関わったことのない年齢層の方、夢を叶えようと必死に努力している方、今まで周りにいなかったような方にも出会えました。

そんな方々の姿を見ていたら、今までの私が考えていた、結婚して、子どもを育てて、仲良い家族と共に暮らす、いわば「常識ある人生」って私にとっても幸せなのか?

もちろん幸せに暮らせる人もいるけど、それぞれ幸せの形は違って当然なのではないか?と考えをシフトできました。

本やウェブの世界じゃなくて、生身の方々と出会えたことで、生き方も自分の思うように選べるんだと実感。


ちなみに、過去の私は、母との関係性からか「特に歳上には失礼を働いてはいけない」「怒らせてはいけない」と無意識のうちにバリアを張っていて、歳上の方との関わりを恐れていました。たしかに、上司や取引先、お客様なら丁重にする必要も出てくるかもしれません。

でも、プライベートなら対等な関係を築いてもいいんだというのも目から鱗でした。


こうやって選択肢の広さに気づいた私ですが、頑固な面も持ち合わせているので、他人に「もっと選択肢があるよね?」とアドバイスされてもきっと響かなかった。

自分と向き合って、探り、実感したからこそ、「自由な選択肢を持っていいんだ」と納得できて、脳内オカンを追い出せたのだと思います。

旬香さんと具体的なきっかけは違いますが、母から受け取った判断基準を壊したという点では、私も同じ。

旬香さんは「福祉や子どもに関する理論を私生活でも拠り所にしてきた」とありましたが、“新しい考え方・判断基準を取り入れる”のは、追い出し策として有効なのかもしれません。


実は脳内オカンを追い出し切れてないかも?

ただ、脳内オカンを追い出せたと言いながら、実は追い出し切れていないかも、と感じている最近。

好きな人に対しての態度がなんだかおかしい……。友人でも恋人でも、仲良しな同僚でもなぜかチグハグな態度をとってしまいます。

・異常なくらい合わせてしまう
・勝手に「連絡しすぎてうるさいかな」と考えて距離をとってしまう
・自分で全部先周りしてやってしまう

相手が「これ、つまんないね」と言ったら、自分がおもしろいことでも「そうだね」と言ってしまう。

相手から連絡がこないと「もしかしてうるさかったかも」と相手の感情を悪い方向に先読みして、しばらく連絡できない。

遊ぶ約束をしたとき、一緒に行きたいところを出し合えばいいのに、言い出せない。

脳内オカンはいなくなったけど、やっぱり何かがおかしい……。


どうやら、母と父の関係性をなぞっているみたいなのです。
かつて、母は、父の顔色を絶えず伺い、いつも父に振り回されていました。

見捨てられるのが怖い、言いたいことを言えない、そんな家庭だったので、いまだに意見を言い合える夫婦関係をイメージできません。

唯一無二の仲の良い関係にはとても憧れるので、仲良しな人たちと意見をしっかり言い合える関係を築きたいんです。というか、築いているつもりでいた。

でも、結局、自分自身が意見を言えてない。

調べてみると、複雑な家庭で育った人によくある思考のようですね。

気づいているだけ改善の余地があるはず!
なので、もっと意見を主張する勇気を持ちたいです。

私自身の人生の手綱を握るまで、もう少しといったところでしょうか。

今後もnoteで触れることがあるかもしれませんので、温かい目で見守ってくださると嬉しいです!

旬香さんの日常は最近どんな感じですか?
次回、覗き見れるのを楽しみにしております。

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