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【おふとんな日々Vol.34】脳内オカンの娘やめました

こんばんは!

毎週水曜日、fumiさんと旬香の交換日記『おふとんな日々』第34回です。

前回も首が痛かったのですが、いまだ完治しておらず…放置していたリングフィットアドベンチャーを再開しました。あまりにも運動不足すぎる…。
当面の目標は、スプラトゥーンをしたのと同じ時間だけリングフィットアドベンチャーをすることです。

先週末コーチングを受けていて、人生における「フェーズ1」が終了した感覚があることに気がづきました。
理想の「フェーズ2」はしっかり運動して筋力をつけている予定です。

今日のテーマでもある「脳内オカンの娘をやめる」というのも、フェーズ1で達成したことでした。

今日はフェーズ1を振り返りつつ、書いていきたいと思います。

前回まではfumiさんと「脳内のブチギレオカン」というテーマでそれぞれの脳内にいた「自分を責める声」について書いていました。

▼前回の記事はこちら

さて、9月6日(水)の「おふとんな日々」は旬香が担当いたします。
ぜひチェック、いいね、スキ、よろしくお願いします!


「子ども」の意識を抜けた

さっそくですが、タイトルの「脳内オカンの娘やめました」について話していこうと思います。
ちょっと語感が強いですが、縁を切るとかそういう話ではありません。

ではどういうことかというと。
最近やっと「母の子どもである」という感覚を手放せた気がしているという話です。

イメージで言うと、よくある「男の子はいつまでも子ども」や「実家に帰ると息子の気分」などが近い感じ。
普段から自分は子どもだと感じているわけではないのに、ふとした瞬間に子どものような気持になってしまっていました。

そういうときは決まって「怒られる!」「見捨てられる」とすごく気分が沈んで自分に価値がないと落ち込んでいた記憶があります。

子どもの感覚が悪いということではなく、実際の私はもう大人で離れて暮らしているので怒られても見捨てられても生活に支障はないのに、親に怒られて見捨てられて困った子どもの頃と同じ感覚だったということです。

子どもの感覚を手放せたのは、母ではない判断基準を自分のなかに持ったからだと今になって解釈しています。

今回のテーマ「脳内オカンの娘やめました」は、脳内オカン以外の判断基準を手に入れる選択をしてきたからこそできたことなので、どんなふうに選んできたか振り返ってみようと思います。

罪悪感がなくなった

ちょっと脱線しますが、最近すごく達成感のある出来事があったのでお話しさせてください。

きっかけは妹からのLINE。
「6月から父が帰ってきてる。母と妹が大変だから、出ていくように説得してほしい」という内容でした。

父はかれこれ16年単身赴任で家にいませんでした。それが仕事を辞めて帰ってきたようで、タバコの煙やフキハラに困っているそうです。

父の様子は単身赴任をはじめる前とまったく変わらずで、今更説得したところでどうにかなるものじゃありません。出ていってほしいと言っている家も全額父の給料で買った家。

単身赴任という仕組みを使って問題を先送りしてきたに過ぎないうえ、一度は父と離婚したのになぜかまた再婚した母から、妹を通じて「助けて」と言われても、私にできることがあるとは到底思えません笑

妹にはいくつかアドバイスをしつつ、「助けて」「説得して」は丁重にお断りをしました。

そのときにうれしい&達成感があったのが、「罪悪感を感じなかったこと」

正直いうといずれこうなる予想はしていました。
単身赴任は退職とともに解除されるものですしね。

そして私がしてきたのは「そのときが来たら、自分の生活を大事にしながら適切な情報を伝えるための準備」
福祉の資格を取って、経験を積み、理論もたくさんの事例も知っているから、自分は悪くないと信じることができたと思っています。

だって私が父に電話をかけるよりも離婚した方が解決にはなるし、私が実家に帰って一緒に苦しんでも何の解決にもならない。

「本当に解決したかったら、こういう方法があって制度の説明はしてあげられるよ」と言える。
本人たちが口に出す希望は、本当に叶えたいこととちがう場合があると知っている。

ずっと準備してきたからこそ、最低限のことはしたと胸を張って言えた気がしました。

子どもの感覚を手放したと言いましたが、ある意味両親のことを大人として扱うようになったとも言えます。子どもの頃はずっと母のことを助けてあげるべき人だと思っていました。でもどんな人にも自分で決める権利があって、自分で決めたことへの責任がある。適切な情報さえ伝えたら、あとは本人の決断なんだと思えるようになりました。

新しい考えに手を伸ばせた

最近のエピソードにもあった通り、仕事で使っている福祉や子どもに関する理論は私生活でも拠り所にしてきた概念でした。

大学で出会ってからもうすぐ10年。ずっと虜になり続けていて、読む本の半分が子どもに関するもの。もはやオタクです笑

こんなに拠り所にしてきた理由は色々ありますが、今までになかった発想だったというのが大きいと思っています。

・こんなに可哀そうなのに解決できないのは、手のかかる子どもがいるからだ
・母のことが好きならなんでも言うことを聞いてあげないといけないんだ

ずっとそう思ってきたけど、福祉や心理を学ぶとぜんぜん別の解釈がありました。

・慣れや新しいものが怖いから抜け出せないって心理があるんだ
・なんでも言うことを聞いてあげるのがいいわけじゃないんだ

長い間信じてきたものを手放すのはすごく難しいことで、なぜあのとき受け入れられたのか今でも不思議です。

適職診断をするとだいたいカウンセラーやソーシャルワーカーと出るので、親和性が強かったのはラッキーでした。

決して福祉や心理である必要はなくて、「今までの価値観とちがうもの」に手を伸ばせるかどうかはすごく大事だったのだなぁと今になって思います。

もうひとつ、私が取り入れた新しい価値観は、夫の価値観です。

結婚してからまあまあ大変なバトルを経て、今の我が家は夫の価値観をベースにしています。

例を挙げると

【私】
・言うことを聞けないなら家族じゃない。家から出て行ってもらう
・ごはんを作るのは当たり前。味に文句を言われても当然。
・稼ぎが少ない方が家事をするのは当たり前

【夫】
・稼ぎに関係なく作れる方が作ったらいい
・家族は助け合うもの。できない日があってもいい
・ごはんは作ってくれたことにお礼を言おう

こんな感じです。

夫の価値観に対して、最初は「そんな上手い話があるわけがない」と全く信じていませんでした笑

でも私の価値観ではお互い苦しい。夫の価値観に本当に罠じゃないなら、私はうれしい。

楽な方に流れることがどうしてもできなくて、絶対落とし穴があるんじゃないかと疑心暗鬼の時期が2年ほどありました。

それでも結局「もう苦しいのはイヤだ」「元気に生きたい」と思って、とにかく夫の価値観を自分に言い聞かせることにして、自分に染み込ませることができました。長かった…。

自分の価値観を疑え、という話ではなくて、楽とか、許されるってことに対するものすごい罪悪感があってそれを消し去るのはすごく大変なだったけど、楽な方に手を伸ばして良かったと思っています。

この罪悪感はリアルの母が感じていたものでもあって、母と育んできたもの。

思い切って手放したことが、脳内オカンを頭から追い出すことにも、娘という感覚を手放すことにも繋がったのだと今では解釈しています。

というわけで、今回は脳内オカンの娘やめました!というテーマでお話ししてきました。
私とfumiさんは、同じように脳内オカンを住まわせていて今は手放しているけれど、「その手放し方はきっと全然ちがうよね」と企画の段階から話していたこのテーマ。

どの手放し方が正解ということもなく、それぞれにあったやり方がある。それぞれのパターンを見て「そういえば自分はこうだったな」「自分にとってこれが手放す一歩になるのかも」と何かのきっかけになればうれしいです。

次回のfumiさんの「娘やめましたエピソード」も楽しみにしています。

ではまた!

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