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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2023年1月の記事一覧

振り返る間もなく明日は2月。

振り返る間もなく明日は2月。

行員矢の如し。

矢のごときスピードで札束を数える銀行員を指したことわざである。ちなみに近年は紙幣を自動で数える機械が導入され、ほとんど死語と化している。なんてつまらない冗談しか浮かばないほどに光陰矢の如し。なんだか1月、あっという間だった。これを12回、いやあと11回くり返せば2023年も終わるのだから、今年もなにがなんだかわからないうちに暮れを迎え、蕎麦をすすったりするのだろう。

そういえば

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読まれたら困る下書きと。

読まれたら困る下書きと。

「誰それの手紙が発見された」みたいなニュースをたまに目にする。

戦国武将だったり、政治家だったり、芸術家だったり、文豪だったりの手紙(またはその下書き)である。たいてい専門家による「当時の○○を理解するうえにおいて資料的価値は高い」といったコメントとともに報じられる。遺稿ならともかく手紙まで「発見」され、資料としてコピーされ、さまざまの人に読まれるわけだ。難儀な人生だよなあ、と思う。

それでこ

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「忙しい」の正体を考える。

「忙しい」の正体を考える。

たまには言ってもいいだろう。

忙しい。まったくもって、忙しい。一般的に「言わないほうがいいこと」とされていることばだけれども、言うのをがまんしたって意味がない。忙しいものは忙しいのだ。

で、忙しいのだからほんとうはここで書き終えたいくらいなんだけれども、さすがにそういうわけにもいかない。そこで「忙しい」の正体を少し、考えてみたいと思う。

まず「忙しい」には、「時間が足りない」の側面がある。た

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どうでもいい記憶のなかに。

どうでもいい記憶のなかに。

子どものころに見た、クイズ番組の一場面。

クイズダービーだったように記憶している。司会は間違いなく大橋巨泉さんだった。問題は「ビートルズという言葉に、ある文字を加えるととてもカッコ悪いものになります。その文字を答えてください」というものだった。問題の画面には「○○ビートルズ」と書かれてあった。この○○に入る文字を答えよ、というわけだ。感覚・感性の話であり、いかにも大人の話であり、小学生のぼくには

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その広告を見てわたしが思ったこと。

その広告を見てわたしが思ったこと。

テレビをあまり見ていないので、当てずっぽうの話として言う。

電車やタクシーの車内広告を見るかぎり、ここ最近「転職」に関する広告が増えているな、と思っている。「うちに転職してください」という求人広告ではもちろんなく、「うちを使って転職してください」と訴える転職支援サイト、または転職エージェントの広告だ。知ってる会社もあれば、知らない会社もある。知らない会社が増えているということは、その業界が流行っ

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寒いときに考えること。

寒いときに考えること。

みんな言ってるし、明日も言うだろうけれど、とても寒い。

寒いときにはどうするか。これまでのぼくは「寒いときには寒い国の人間に学べ」と思ってきた。具体的にはロシアである。ドストエフスキーの登場人物たちがどのように過ごしていたのかを思い出す。そうすると、サモワールという卓上の湯沸かし器を用い、熱い紅茶を淹れ、そこに甘いジャムを溶かすなどして飲んでいる。あとは当然ウォッカだ。古い訳の表記だとウォトカだ

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それをマラソンにたとえる、その理由。

それをマラソンにたとえる、その理由。

一冊の本を書きあげる作業は、マラソンを走ることに近い。

長い作業のたとえとして「マラソン」はいかにも凡庸であるし、ぼくはこれまで42.195kmのフルマラソンを走ったことがなく、徹夜仕事を終えてから直行した山梨で20kmだったか27kmだったかのハーフマラソンを一度走ったことがあるだけだ。つまり不適当なたとえを不相応な人間が使っていることを承知のうえで、あえて「マラソン」と言いたい。

走り(書

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こんなことを書いていながらおれも。

こんなことを書いていながらおれも。

ウソと呼ばれる言動には、おおきくふたつの種類がある。

ひとつめは「子どものウソ」である。これは「隠すウソ」と言ってもかまわない。たとえばお皿を割ったのに、割ってないと言い張る子ども。おもちゃを壊したのに、壊してない、自分は知らないと言い張る子ども。大人だって仕事やプライベートのさまざまな場で、似たようなウソをつく。ここでのウソは「怒られないこと」をおおきな動機としている。

ふたつめは「おとなの

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想像力とはなにか。

想像力とはなにか。

これはほんの一例として。

いまよりずっと若いころ、正月に報じられる「もちを喉に詰まらせたおじいさん」のニュースを笑い話のように聞く自分がいた。むかし話のワンシーンのようでもあり、コント番組のようでもあり、(実際に起きた事故であるにもかかわらず)どこかおもしろがっていた。

しかしながら最近、これをとても恐ろしい事故として受け止めている自分がいる。自分の近親者がそうなりかねない年齢ばかりになり、笑

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継続がもたらす心の平穏。

継続がもたらす心の平穏。

先日、「バトンズの学校」1期生のオンライン懇親会が開かれた。

懇親会というより同窓会である。卒業後に出版社や編集プロダクションへの就職が決まった人、ライターとしてたくさんの仕事をこなしている人、個人としてあたらしいコンテンツに取り組んでいる人、みんなたのしそうに近況報告をしてくれた。

自分として振り返っても「バトンズの学校」は、やってよかったと思う。初回ならではの反省点は多々あるものの、やって

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人はみな、悩みごとを抱えて生きている。

人はみな、悩みごとを抱えて生きている。

朝から病院に行った。

具合が悪いわけではなく、いわば定期検診のようなもの。前回におこなった血液検査の結果が示され「全項目満点。パーフェクトです」とほめられた。むかしは少しくらい悪い数値を示されたほうが「そうだよなあ。最近無理してるもんなあ」なんて、よくわからない優越感に浸れていたものの、最近はすっかりその気持ちもなくなっている。とにかく無事に。心配ごとをひとつでも減らして。それが近年のモットーで

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サプリメントと神さま。

サプリメントと神さま。

「目、肩、腰に」をキャッチフレーズとするビタミン剤がある。

効果のほどは知らない。毎日飲んでいるけれど、どれくらい効いているかはわからない。けれども現代人が疲れを実感しやすい箇所といえば、まさしく目と肩と腰であって、うまいこと考えたものだなあと思う。

うまいこと考えたといえば、サプリメント全体がそうだ。たとえば偏頭痛に襲われたとき、ぼくらは消炎鎮痛剤を服用する。効いたとか効かなかったとかが、わ

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わたしの今年の相棒は。

わたしの今年の相棒は。

昨年末に、膝を痛めた話を書いた。

痛みの峠は越えたものの、いまだまったく本調子ではない。グラグラして膝の安定がかなわず、グキッと本来曲がるべきでない方向に曲がって、不快な疼痛が走る。それで太ももの筋肉を意識して歩いてみたり、ふくらはぎを意識して歩いてみたり、すねを意識して歩いてみたり、足裏を意識して足指で砂を噛むような歩きかたにしてみたり、いろいろした。若干の改善があったような気もするし、完全な

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うまいこと書けなかった日には。

うまいこと書けなかった日には。

たとえばお店で、ポロシャツが売ってあるとする。

まったく同じデザインのポロシャツが、10色ぶん揃っているとする。圧倒的に売れるのは、紺色やグレーのベーシックな色だ。ショッキングピンクとかパープルとかの色は、ほとんど売れない。

目先の利益だけを考えるなら、紺、グレー、白、黒、くらいに絞ったほうがいい。売れもしないカラーのポロシャツを何パターンもつくるのは、いかにも無駄である。けれど、10色のポロ

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