見出し画像

うまいこと書けなかった日には。

たとえばお店で、ポロシャツが売ってあるとする。

まったく同じデザインのポロシャツが、10色ぶん揃っているとする。圧倒的に売れるのは、紺色やグレーのベーシックな色だ。ショッキングピンクとかパープルとかの色は、ほとんど売れない。

目先の利益だけを考えるなら、紺、グレー、白、黒、くらいに絞ったほうがいい。売れもしないカラーのポロシャツを何パターンもつくるのは、いかにも無駄である。けれど、10色のポロシャツを揃え、店頭に並べる。なぜならお客さんは「選びたい」からだ。同じグレーのポロシャツを買うにしても、4色のなかから選ぶよりも、10色のなかから選んだほうがうれしいからだ。——そういう話を以前、取材した元アパレル関係者から聞いたことがある。



あるいはまた、とある料理評論家の方に取材したとき。

彼は、はじめて訪ねるお店では決まって「並」とか「竹」のメニューを注文するのだという。「特上」とか「松」とかは頼まない。それは吝嗇によるものではなく、「並」とか「竹」のなかにこそ、そのお店の基準が垣間見えるからだという。自分たちは、プロとして提供する料理のどこに基準線を引いているのか。それを知るためにわざわざ「並」や「竹」を注文し、おいしければ次回、「上」だの「特上」だのを試してみるのだそうだ。彼によると、「特上」ぶんの予算で素材を仕入れれば、多少技術がなかったとしてもそれなりにおいしい料理はできてしまうらしい。

ラーメン屋でいうとこれは、「特製ラーメン」とか「チャーシューメン」とか「煮卵付き」とかを注文せず、直球の「ラーメン」を所望するということだ。機会にケチなぼくはどうしても「せっかく来たんだから」と特製ラーメン的なものを頼む弱さがあり、いつかなんでもないラーメンを注文したいとずっと願っている。

という話はさておき、その料理評論家さんの理論でいうと、ぼくにとっての「並」や「竹」は、もしかするとここのnoteなのかもしれない。

「いやいや、これは『まかない』みたいなもんで、手間ひまかけてつくったコース料理はぜんぜん違いますから!」なんて気持ちはあるものの、ほんとうのプロ料理人がつくった料理ならばフライパンひとつの「まかない」だって十二分においしいだろう。むしろそれが裏メニューとして評判を呼ぶほどおいしいだろう。やばいじゃないか、おれ。こんなの書いてる場合じゃないぞ。


と焦ったときに役立つのが冒頭のポロシャツ思考である。そりゃあ、おもしろくない話を書く日だってあるさ。文章が粗い日も多いさ。構成が雑なことだってあるさ。でも、そういう10色や20色のポロシャツが並んでいるからこそ、紺やグレーの価値が際立つのだ。わたしはいま、せっせとカラフルな棚を揃えているのだ。

うまいこと書けなかった日には、そうやって自分をなぐさめることにしている。そのうち紺色も出すからね、と。