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2018年7月の記事一覧
ことばの根っこをどう育てるか。
ゲスいことは書かない。
もしも若いライターさんに文章力向上についてアドバイスを求められたとしたら、ぼくはそう答えるかもしれない。テクニック以前の、身の置き場として。自分がどういうフィールドで切磋琢磨するかの話として。たぶんこれ、多くの人が思っている以上にたいせつな話だと思う。
たとえば、「あの人、書いてることはゲスくて賛同できないことも多いんだけど、文章はうまいんだよなあ。なーんか読ませちゃう
見つける人、見つけてもらう人。
編集者とライターの関係について考える。
おそらくは「編集者と作家」の関係もそうだと思うけれど、ぼくは作家じゃないので、ここでは「編集者とライター」の話としておく。
編集者はいつも、いいライターを探している。そしてライターはいい編集者に見つけてもらうことを待っている。発注する側と、受注する側。紙媒体の時代は完全にそうだったし、たぶんウェブ媒体でも基本の構図は変わらないはずだ。
20代の一時期、
ボキャブラリーということばの意味。
ボキャブラリーが貧困だ、っていうじゃないですか。
ぼくが思うにそれは、「ことばのデータベース」が容量不足だって意味ではないんです。どんなにたくさんのことば(単語)を知っていても、それだけで豊かというわけじゃない。そりゃ、たくさん知ってるに越したことはないですけどね。
たいせつなのは、どこまでが「自分のことば」で、どこからが「受け売りのことば」なのかを、きちんと自覚すること。そして、その「自分の
ハッピー・バースデー、ミックさん。
元旦から大晦日まで。365日がずっと、誰かのそれであるのだけど。
きょうは、ミック・ジャガーの誕生日なのだそうだ。御年75歳。むかしからトカゲやイグアナに喩えられてきたその特異な相貌は、もはや完全なダイナソーになっているし、なんだったらロック界のキング・オブ・モンスター、ゴジラと呼んでも差し支えがないバケモノだ。
今年45歳になるぼくは、ミック・ジャガーと30歳違いということになる。
なので
人生でいちばんおいしかったビール。
あのビールはうまかったなぁ、といまでも思い出す。
10年以上も前の話だ。はじめて訪れたハワイでぼくは、朝からビールを飲んだ。朝というには少し遅い、お昼に近い午前中。砂浜に置かれたおおきめのデッキチェアに身体を預け、海と太陽を見ながらぼくはビールを飲んだ。バドワイザーってこんなにうまかったっけ? 視界を埋めつくす、白と青のコントラスト。じりじりと照りつける太陽。湿気をまるで感じさせない透明な風がシ
BGMとしての映画。
きのう『スローターハウス5』の映画を観た。
カート・ヴォネガットの原作は、何度となく読んでいて——こういうときに軽々しく「何百回も読んだ」と言う人がいるが、さすがにそれは嘘だろうとぼくは思う。せいぜい何十回がほとんどだろう——これからも折に触れて読み返す本だと思っている。たとえば『嫌われる勇気』という本のなかには、件の小説からこの有名な一節を引用させていただいた。
神よ、願わくばわたしに、変え
そのとき、誰の顔が浮かぶのか。
これもやっぱり、あれなのだろうか。取らぬ狸の皮算用、なのだろうか。
5月の終わり、ぼくは犬と一緒に小旅行に出た。千葉の海辺の、はじめてのホテル。おおきなドッグランが併設されたそのホテルは、まことに居心地がよく、犬本人もおおよろこびだった。食事もおいしく、スタッフさんもやさしい。もうここを定宿にしてしまおう。年に何回もここを訪ねよう。初日からそんな思いを固めるほどに、すてきなホテルだった。というか
いいインタビューの条件。
来年ぼくは、「文章の教科書」のようなものを書くつもりでいる。
いまのところそれは、「ビジネスや就職活動にも役立ちますよ」的な本ではなく、もっと具体的で専門的な「ライターの教科書」に近づけたかたちの本をイメージしている。なんといってもコンセプトは、「ぼくが文章の学校をつくるとしたら、こんな教科書がほしい」なのだ。
当然その本には、「取材について」の章も設けようと思っている。ライターにとって、取材
特上よりもたいせつな「並」の味。
10年ほど前、ある高名な料理評論家の方に取材させていただいた。
はじめてのお店に行くとき彼は、ひとつのルールを守っているのだという。たとえば懐石料理のお店で、コースが「松」「竹」「梅」に分かれていたとする。このとき彼は、それがどんな値段であろうとかならず「梅」を選ぶのだそうだ。あるいはとんかつ屋さんで「特上」「上」「並」の定食がそれぞれあった場合、決まって「並」を注文する。いちばん安価なコースを
あれやこれやとワールドカップ。
仕事から健康、親の恩に至るまで。
ありがたみとは一般に「なくしてわかる」ものだとされている。そのお説教をなぞるようにいうと、たしかにありがたかったなあ、と思う。夢のような季節だったよなあ、とへらへらする。今週からぼくが(ぼくらが)なくしてしまったもの。そう、サッカーW杯の話である。相も変わらずぼくはまだ、あの余熱にあてられている。
アンチ・スーパースターの時代。フランス対クロアチアの決勝戦。多
わたしはズボンをもっていない。
みんな「ズボン」を穿いている。
そう気づいたのは、いったいどれくらい前のことだっただろう。いまどきの人は「ズボン」などと呼ばずそれを「パンツ」と呼んでいる、なんてツッコミはもう20年以上も前から聞き飽きた話で、どうだってよろしい。いまでもぼくは、胸を張ってそれを「ズボン」と呼ぶ。両の足を別個に通す穿きもののことを、そう呼ぶのではない。「ジーンズ以外のパンツ」のことを、ぼくは「ズボン」と呼び、世の
ナポレオンとワールドカップ。
「余の辞書に、不可能の文字はない」
ナポレオンがなにをやった人なのかはよく知らなくても、このことばを残した人だということは広く知られている。しかし実際にナポレオン・ボナパルトその人がこう言ったわけではなく、かろうじて「不可能とは、フランス語ではない」とか「不可能とは、愚か者の辞書にのみ存在する」とか、そんなことを言っていたらしいという記録が残っているだけで、それすらも出典があやしいというのが歴史
選ばれし者どもの1週間。
よのなかには、これは経験者にしかわからないだろう、という感情がある。
きのうのサッカーW杯ロシア大会準決勝、フランス対ベルギーを観ながら、ぼくはある感情を思い出していた。試合中ではなく、試合後ではなく、試合前の中継映像を観ながら、ぼくは18歳の自分を思い出していた。
数少ない杵柄のひとつなので前にも書いたことがあると思うけれど、ぼくは高校3年生のとき、サッカー部で県大会優勝を果たした経験をもっ