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人生でいちばんおいしかったビール。

あのビールはうまかったなぁ、といまでも思い出す。

10年以上も前の話だ。はじめて訪れたハワイでぼくは、朝からビールを飲んだ。朝というには少し遅い、お昼に近い午前中。砂浜に置かれたおおきめのデッキチェアに身体を預け、海と太陽を見ながらぼくはビールを飲んだ。バドワイザーってこんなにうまかったっけ? 視界を埋めつくす、白と青のコントラスト。じりじりと照りつける太陽。湿気をまるで感じさせない透明な風がショートパンツの裾を揺らし、こんな贅沢があってもいいのか、と頭がくらくらした。あれ以上にうまいビールは、いまのところまだ飲めていないし、たぶん今後も飲めないだろう。


という話をすると、「たしかに昼間っから飲むビールは最高だよね!」的なリアクションがあるのだろうな、と想像するのだけど、ぼくが言いたいのはそういうことじゃない。昼間っから飲むビールがうまいのでもなく、海辺で飲むビールがうまいのでもなく、「あのビール」がうまかったのだ。


そのときぼくは、両親と一緒にハワイに行った。両親と一緒に、というよりも「連れて」と言ったほうが近い。両親にとっては、はじめての海外旅行。そしてぼくとは、20年ぶりくらいの家族旅行。不安もあったし、行きにも帰りにもケンカをしたし、何度となく「ああ、面倒くせえ!」と思った。だからなのか、どんなお店でなにを食べたのかも、よく憶えていない。ああ、なんだかディナークルーズみたいなやつに乗ったんだっけ、と書きながらいま思い出したくらいだ。

絵に描いたような親孝行をしている自分への、くすぐったさ。そして(主に言語や手続きの面で)頼りにされることの面倒くささ。ずーっとついて回る「おれがしっかりしてなきゃ」の緊張感。行くまで小馬鹿にしていたハワイの、底抜けの心地よさ。


そういういろいろな——ぼくの個人史までも含んだような——背景があってようやく、「あのビール」なのだ。あのときぼくは、父親とデッキチェアを並べて、冷えたバドワイザーを飲んだのだ。白と青だけの景色を見やって。

逆にいうと「あのビール」を飲むためにはきっと、何十年という家族の歴史が必要なのだろう。


両親はその後、ハワイが大好きになり、自分たちで何度も旅行している。その事実もまた、あのビールの記憶をおいしくしているのかもしれない。