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自己紹介その3 職務経歴書

昨日、午前中は雪がたくさん降っていて、これは積もるなあなんて思ったけど、翌朝は普通に気持ちの良い青空。
ベッドでゴロゴロと青空を眺めながら文章を書いている。


降ってる雪を見るのは好きなのだけど、積もったり濡れたりするのはちょっとなあ。
特に寒いのが苦手なので、このまま雪降らずに春に向かっていって欲しいなと思う。
雪国出身あるあるの雪嫌い。




昨晩は、オンラインでのインテリアセミナーのゲストスピーカーをやらせてもらった。
あくまで私も受講生だったので、先輩のコーディネート術に終始感心。

口下手なので、質問の答えが答えになってなかったり、話を広げられなかったり、至らない所が多かったなあと反省。
咄嗟に気の利いたことを言えるように、ボキャブラリーや表現の仕方を増やしていきたい。




自己紹介シリーズ、今回はキャリアについて。
スキを仕事にするまでの道のりをつらつらと。
かなり長文になりそう。


インテリアがスキのきっかけ

そもそも、なぜインテリアを仕事にしているか。
どうして好きになったのか。
きっかけは中3の時に、実家を新築したことだ。

その前から、模様替えが好きだった。
壁に絵を飾ったり、ドアノブに可愛い布を巻いてみたり、ヴィレッジヴァンガードで、ぷかぷかオイルが浮かぶ照明を買ってきて、アロマオイルを炊いて部屋にこもってるような子供だった。
(あれ、最近見ないけど欲しいな…)

実家の新築は一大イベントで、家族仲があんまり良くない我が家が、毎週のように図面を見たり、家具屋さんを回ったり、壁紙を選んだり、全員が夢中になって家づくりをしていた。
暇さえあれば、父の車で建築中の現場を見に行ったり、とにかく家族みんなが楽しそうだったのだ。
そしてなんだかそれが嬉しかった。

高校生になったくらいから、なんとなくインテリアとか家具とかデザインとかそういうのが好きなんだなと自覚し始めた。


学生時代

大学受験


そこそこお勉強はできたので、地元秋田の進学校に通い、迷うことなく東京の大学に行くことを決めた。
両親からも、早く田舎を出て東京に行きなさいと言われて育ったので、それが普通なのだと思っていた。

しかし、裕福ではない家庭環境だったため、私立は受けさせてもらえず、浪人も許されないというハードモードな大学受験だった。
当然ながら塾も通わせてもらえなかったので、高校の先生とZ会には本当にお世話になった。
家庭の話をすると、長女という立場から親からはかなり行動を抑制されていたため、もう開き直って勉強ばかりして、東京での大学生活をひたすら夢見ていた。
家族の話は長くなるのでまた別の機会に。



大学は公立大のデザインコースを選んだ。
東京に公立といったらひとつしかないのですぐわかってしまいますね。
その当時はインテリアが好きだけど、建築家になりたいわけじゃないしな、、絵描くの好きだしデザイン面白そうだし、美大より学費安いしここしかないと思って、高2の段階でそこだけを目指すことにした。

先日も触れたが、私はベースのスペックがわりかしアホで、苦手で嫌いな英語は本番で2割しか取れず、代わりに得意なデッサンでほぼ満点をとり、無事?に大学に合格した。



大学時代


晴れて大学に入学し、夢の東京生活。
人生の夏休みとはよくいったもので、田舎では出逢えない、気の合う人たちしか周りにいなくて本当に楽しかった。
親からも解放され、門限もなく、サークルに入って遊んでいたら、いつしか課題についていけなくなっていた。

クラスのみんなはサークル活動はそこそこに、しっかりとデザインと向き合っていた。
ここで大学3年のころに最初の挫折を経験する。
自分の作る作品と、クラスメイトの作品に圧倒的な差を感じてしまって、デザイン向いてないな、と思い始めて3年生の前期は不登校に。

学校やめたいとすら思っていたけど、根っこが現実主義者なので、留年は論外だと思っていたし、クラスメイトがこの授業は出てせめて単位は取っておこうなど、色々促してくれたおかげでなんとかなった。


インテリアがやりたくて、進学したわけだが、単位もろくに取れていなかったため、希望のゼミは諦め、あまり人気のない(失礼)人間工学のゼミに入る。
でも、ここで人生を左右する恩師に出会えた。

今になって、あの頃もっとまじめに課題に取り組んでいればよかったと思うこともあるが、それ以上に、大好きな人たち、新しい経験、田舎では出会えなかった音楽やアートなど、スキなものがたくさん増えた4年間だった。
あれはあれで私にとっては必要な時間だったなと思う。



社会人編



小さな挫折の末、「デザイナーではなく、自分がスキなモノを扱う仕事にしよう」と方向転換をし、高級家具も扱う某キッチンメーカーに新卒入社する。


ここからが怒涛のジョブホッパー生活の始まり。

・1社目 某高級キッチンメーカー


デザイン向いてないと自分に言い聞かせて、入社したキッチンメーカーではショールーム勤務をしていたのだが、接客や数字をとることにあっという間に疲弊してしまった。
成績は1年目にしては悪くはなかったが、営業的な仕事がとにかく向いてはいなかった。
加えて激務なのに手取りが14万円程度で、大学出てるのにこれはないと思い、1年足らずで退職。

この時、次の会社から内定をもらっていたのだが、会社辞めると伝えた直後に内定取り消しされて、新卒1年目にして路頭に迷う。
ちょうど季節は今くらいのバレンタインの時期だったので、ヒカリエや東急渋谷本店でチョコレートを売るバイトをして食い繋いだ。

そういえばこの年(2014年)のバレンタインは雪が積もったんだった。

このときの不安といったらない。人生終わったと思った。

この時23歳。


・2社目 映像作品の美術装飾(小道具さん)アシスタント

ホワイトデー向けのお菓子をせっせと売りながら、とにかくどこでもいいから就職せねばと見つけた求人が、インテリアスタイリストのアシスタントの仕事だった。
インテリアと名のつく仕事ならなんでもやるという気概だったので、即応募。
面接で「引っ越し屋みたいな仕事です」と言われるも、当時は体力には自信があったので自信満々に答えていたら内定もらえた。

仕事はCMやMVやドラマの美術部さんといえば分かりやすい。
映像に出てくる俳優さん以外のものを全て調達するのが仕事だ。
小道具のピックアップや製作、撮影現場での建て込み、時にはスタンドイン(俳優さんの代わりにカメラや照明チェックのためにセットの中でモデルみたいなことする)もやりながら、何現場も同時進行していく。
早朝からロケして次の日の朝にやっと帰れるとかも全然ある。
あそこにいる人たちは全員体力お化け。。

慣れない撮影現場の雰囲気、鬼怖い上司(人生で一番相性の合わない人だった)、休みは月一あるかないか…
先輩が運転するハイエースで高速で壁にぶつかりそうになって死にかけたこともある。
(映像業界の人は慢性的に寝不足なのが常)

でも、悪いことばかりでは無かった。
いろんな空間を作る楽しさを知ったのはこの仕事のおかげだし、小道具を黙々と作ったりするのは楽しかった。
車の運転が好きになったのもこの仕事のおかげ。
毎日のように美しい芸能人の皆さんを見られるのも一種のモチベーションになっていたような気もする。

後ろに貼ってある習字をひたすら書いたりした

とはいえ、長くは続かなかった。
たしか8ヶ月くらい…?
体力の限界、上司と折り合いが悪く精神的にもしんどかった。
そして、映像業界で食っていくぞという気概が私には全然足りていなかった。
今でもあの業界で頑張っている先輩や友達。
心の底から尊敬している。

この時24歳。

・3社目 家具屋さん


入社当日に、年増の女性店長に「妊娠とかしないでよね?すぐ辞められたら困るから〜」と言われ、なんかこの人嫌だなと思って4日で辞める。
(仕事を辞めることに抵抗がなくなってきている)


・フリーター期
大学教授の助手と伊勢丹とキャリアスクール

勢いで家具屋を辞めて、ほんとのほんとに無職になってしまった私は、工場の日雇いバイトとかをして1ヶ月くらい、どうなりたいかをぼんやり考えていた。
なぜこんなことになったのだろう…

この頃は、実家が都心に引っ越してきていたので、一人暮らしの部屋も引き払い実家暮らしをしていたので、死なずに済んだ。
薄給だったのでもちろん貯金はゼロだし、奨学金も返さなくてはいけない。働かなくてはいけない。

誰でもいいから大人に助けを求めたくて、大学のゼミの先生に連絡をしていた。
無職の24歳だっていい大人である。

先生に会いに行った。案の定怒られた。
そんな簡単に仕事は辞めるもんじゃないと。
社会を舐めすぎみたいなことも言われた気がする。
でもそのあとに、
「ひらのさんは、ライスワークではなくライフワークをしていく人なんだから」
と言われた。

すごく救われた。

落ちこぼれの自分にはできないと決めつけていたけれど、本当にやりたいのはスキなことを仕事にすること。
ただインテリアに関わるだけじゃダメで、本当はクリエイティブな仕事がしたい。


自分の気持ちに気付いてからの行動は早く、インテリアデザインを学べるキャリアスクールに入学して、しっかり勉強しなおした。
(親に40万円ほど借金した)
その間、先生のご厚意で大学の研究のお手伝いをさせてもらったり、派遣で伊勢丹のカード入会の仕事をしたり、あっという間の一年を過ごした。
勉強は楽しかったし、お金をもらいながら大学に通うのもなんだか面白おかしかった。

順調に転職活動もし、設計事務所に内定をもらった。

この時、25歳。
ようやくスタートライン。


・4社目 設計事務所

チェーン店の店舗設計をやっている、小さな設計事務所に入った。
ここでは、ひたすら某ラーメン屋や某うどん屋の設計を担当した。
インテリアと違くない?と思われるかもしれないが、飲食店が設計できたら、空間なんでもできるのでは?という考えのもと、あえて店舗設計をやれるところを選んだ。

チェーン店の設計なので、デザインとはまた違って、決められたデザインフォーマットやレイアウトを空間に当てはめていくパズルみたいな仕事だった。

でもとにかく楽しかった。
工事現場で見たことないものを見たり、深夜まで図面を書いたり、何も分からないのに1人で出張させられたり、自分が引いた図面が形になっていくのが楽しかった。
壁紙とシートの違いもわからないような人間だったので、内装の仕事にどんどんのめり込んでいった。

そしてここは人間関係がすこぶる良い会社で、本当に居心地が良かった。
特に上司に恵まれて、ふたまわりほど上だけど、毎日のように飲みに連れて行ってもらって、仕事もたくさん助けてもらった。
結婚式の挨拶も彼にお願いした。
辞めて随分経つがOBOGが仲良く、今でも遊んでもらっている。

じゃあなぜ辞めたのか。
理由は給料と方向転換。
楽しく居心地が良いとはいえ、手取りは17万円くらい。
すでに20代後半だったので、自分の周りの友達と比べてもかなりの薄給だった。
あとは、元々やりたかった住空間のインテリアの方に方向転換したかった。

辞めるのが心苦しかったのはこの会社だけかもしれない。
少しずつスキルを身につけた私は、やりたいことに近づくために前向きに転職することにした。

この時、27歳。

・5社目 オーダーキッチンの会社

高級キッチンのオーダーキッチンの会社に転職した。
元々はキッチンメーカーに勤めていたのもあり、住宅におけるキッチンの重要ははよく知っていたし、ここの会社が作るキッチンはとにかく美しかった。
ここでは設計として、キッチンの図面をひたすら書き起こしたり、現場の納品も立ち会ったりした。
家具の構造や、素材についても勉強になった。
著名人の自宅や別荘などの仕事が多く、普通じゃ立ち入れないような豪華絢爛な内装を見れたりするのは楽しかった。
年収も100万円以上上がって、言う事なしではあったのだが…

女性社会の人間関係に疲れて辞めた。
私自身が巻き込まれていたわけではないし、うまく立ち回っていたが、周囲のギスギスを見ているだけで気持ちが参ってしまって、女って嫌だなと思った。笑

あとは、やはり一流の内装を見ているうちに、キッチンに留まらず内装全体の仕事がしたいと思ったから。
やりたいことのために突き進むことがもう怖くなくなっていた。

この時、28歳。


・6社目 リノベーション会社

現職の会社。
今も勤めているのであんまり詳しくは書かないが、住宅のリノベをしている会社に転職。
施工管理兼デザイナーみたいな感じで入社。

設計事務所時代、設計監理もしていたので施工管理も余裕と思いきや、全然無理だった。
段取り組むのが死ぬほど苦手で、かつ、社内のデザイン業務も担当していたので半年でパンク。

ある朝起き上がれなくなり、涙が止まらなくなり、うつ病になっていた。

社長と話し合い、施工管理は離脱して、デザイナーの仕事だけに専念することになった。
勤務体形もアルバイトに切り替え。
普通なら辞めてしまうところだったが、まだ働きたいという気持ちもあったし、会社としても残してくれる選択をしてくれたのは本当にありがたい。

副業がOKの会社だったため、アルバイトで時間に余裕もあったため、細々とインテリアコーディネートのバイトを始めた。
一件あたり3000円という激安案件だったが、家具のコーディネートでお金をもらえた嬉しさったらなかった。

この頃から、フリーランスのインテリアコーディネーターの人たちに興味を持ち始める。

この時、29歳。

いい加減受験するか…と重い腰をあげてインテリアコーディネーターの資格試験勉強を始める。
ICの勉強もしつつ、InstagramでフリーランスICと繋がったり、インテリア業界で働いてる人と会ったり、とにかく色んな人と会った時期だった。
試験も無事一発合格。
これは実務を積んだおかげ。
現場を見ずにテキストだけじゃ理解できなかったと思う。

・現在

資格を取ってそろそろ3年経つ。
この3年間で、会社は正社員に復帰し、個人事業主として開業もし、フリーランスの仕事も増え始め、今に至る。
住宅の内装の仕事をしたり、スタイリングの仕事をしたり、家具のコーディネートをしたり、これまでの経験を活かしてお金を稼ぐことができている。
長々と書いてきたこれまでのキャリア、全部無駄なことが無かった。

(プライベートでは離婚したりしたので、本当にジェットコースターみたいな日々だった。)

只今、32歳。

仕事を軸に話をしてきたが、仕事じゃないものやことも大切にしていくことも、ようやく覚え始めた。
今の生活や、この先どうしていきたいかはまた別のタイミングで書ければいいなと思う。

ここまで、5500文字overだと…
読んでくれてありがとうございます…!

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