Fumika

敏感さはネガティブとイコールではない。HSPである自分、脳の神経処理が深い自分をポジテ…

Fumika

敏感さはネガティブとイコールではない。HSPである自分、脳の神経処理が深い自分をポジティブに捉えて強みとして活かしていきたい。そんな思いから、このブログではHSPである私の幼少期や過去の記憶、また日々感じた私の心模様をゆるりと綴っていこうと思います。

最近の記事

心、体、魂のバランス

思えば私は、小さい頃から さまざまなカラダの不調があり、 良く体調を崩す、いわゆる体の弱い子供だった。 心、体、魂は全部つながっているというが、 幼少期の困難などから、 それらのバランスが崩れていて 免疫力が低かったのだと思う。 そんな私は、大人になっても 相変わらず体が弱かった。 23歳の時、インフルエンザから髄膜炎になり、 そして更には脳症になってしまった。 金づちで殴られたような頭痛から、 自分の頭と体は別物になり、 気づいたときには病院のベッ

    • HSPな私の心理占星術

      月の象徴の解釈 太陽系にある10個の天体は、生命体であり、 それぞれ動きを持っています。 人間の行動パターンやエネルギーを考えるのに、 10天体 (太陽、月、水星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星) それぞれの象徴を読み解くことが重要とされています。 月が目指していることとは何か。 月は、かに座の支配星であり、 かに座は、水のエレメントで活動サインある。 水のエレメント、活動サインが意味する 行動パターンや性質とはなにか? 【私の月はどんな感じだった

      • 心理占星術が面白い

        私は星占いが好きで、 ある特定の好きな占い師さんの 本や雑誌の占い特集を 良く読んでいた。 いつも自分という人間がわらからくて、 私って本当はどんな人間なのか、 という答えをいつも 探しもとめていたように思う。 自分という人間を理解するために、 何か手がかりが欲しかったのだと思う。 ある時、心理占星術という言葉を聞いて、 どんなものなのか興味を持った。 私は人の思考、 考えや方や態度、 どのようにして人の 人格形成がされていくのか。 など心理学

        • 体は覚えている

          先日103歳で亡くなった 父方の祖母の3回忌があったので、 祖母を偲んで記事を 書いてみようと思った。 祖母には2人の息子(私の父と叔父) がいたが、そのどちらも 祖母が亡くなる前に 亡くなっている。 祖父は私の父が7歳ぐらいの時に 病気で亡くなっているので、 祖母は戦中戦後の 大変な時代の中、 女手一つで2人の息子を育てたのだ。 祖母が亡くなる数か月前に 祖母の居る施設から、 食事をしなくなった。と連絡があり、 もうすぐお迎えが来るかもしれな

        心、体、魂のバランス

          人生を変えたヒトコト

          中学2年生になり、 Aちゃんと仲良くなった事で 他の生徒とも仲良くなり、 少しずつ楽しい学校生活へ と変わっていった。 担任の先生も印象深い 国語の先生だった。 今でこそ健康志向や ヨガなど普通だが、 30年以上前に彼女は その先を行っていた。 授業の一環でクラブの時間があり、 先生はヨガクラブを担当していた。 「ヨガってなんだろうね?」 と興味を持ち、 Aちゃんと一緒にヨガクラブに入った。 先生の見様見真似で 呼吸と共にポーズを取る。 「

          人生を変えたヒトコト

          ぎこちない2人

          私が通った公立中学校は A小学校と隣町の B小学校の 生徒が一緒になるタイプの中学校だった。 私はA小学校で6年生の1年弱だけを 過ごしたので知っている生徒は少ない。 おまけにA小学校の生徒は中学生になると 半分ぐらいは私立へ行くため、 さらに知っている生徒は少なくなった。 中学1年生になりクラス分けされた 教室へ行くと、知っている人は誰もいなかった。 完全なるアウェイ状態で 私の心細い中学校生活はスタートした。 新学期始まって早々、 係の担当を決め

          ぎこちない2人

          引っ越し

          家の引っ越しがあり 小学6年生のGWという 中途半端な時期に転校をした。 4年生から5年生まで クラスで合唱コンクールに出たり、 美術に打ち込んだり おとなしいなりに仲間と 何かに一生懸命取り組んだ。 そんな思いがあった。 最後の日、ふみかさん、お別れの一言 と先生に言われ、前に出て挨拶をして終わった。 目立つタイプの生徒が引っ越した時は、 お別れ会的なものがあったのを覚えている。 ここから私がいなくなることを 特別誰かが悲しんでくれている よう

          引っ越し

          昭和時代の小学校の給食模様

          皆さんにとって小学校時代の給食は どのような思い出があるでしょうか? 私にとって小学校時代の給食は 美味しかったとか、 まずかったという事よりも、 まさに自分の自己肯定感や 自己効力感を下げる 要因の一つであった。 前回の記事でも書いているが、 幼少期の私は食が細かった。 HSCは食の細い子供が非常に多い という事を聞いて、とても納得できた。 快、不快を敏感に察知するHSCは 何か自分の口に入れる物に 特別に反応していたのだと思う。 また、私の場

          昭和時代の小学校の給食模様

          くみちゃんのおばさんの味噌おにぎり

          恐らく今の私を知る人は 想像できないかもしれないが、 私は幼少期から中学生ぐらいまでは 物凄く食が細かった。 母は食べさせるのに苦労していた。 幼い頃の私は食事の時間や、 食べる事が特別楽しい という感覚は無かったように思う。 食べる量も少なければ、 食べるのも凄く遅かった。 終戦直後に生まれた私の両親、 特に父は、「もったいない残すなよ!」 という主義。 全部食べなければ食事の時間を 終える事ができないのだ。 全部食べ終える前に 食べる事に疲

          くみちゃんのおばさんの味噌おにぎり

          思考の連想ゲーム

          私には頭の中でグルグルと考えて 思考が止まらなくなるクセがある。 これもHSPならではの特性の一つなのだと分かったが、 何か一つの事を考えだすと 頭の中の連想ゲームが止まらなくなるのだ。 たまに思考の連想ゲームにハマっていることに気付き、 どこからスタートしたのか思考を戻ってみると、 かなり遠くまで来てしまった事にびっくりすることがある。 人間というのは常に何かを考えている。 私はずっと、これは人間の標準装備だと思っていたのだが、 どうやらこれもHSPの特

          思考の連想ゲーム

          後ろが怖いってHSPあるある?

          小さい頃の私は超が付くほどの怖がりだった。どんな感じだったかというと、後ろが怖いのだ。霊的な何かが見えるとか、小人のおじさんが見えるとか、そんな力は無かったが、なぜか後ろがすごく怖い・・・。 4~5歳ぐらいのある日、母に家で1人お留守番を頼まれた。怖がりの幼い私には1人でお留守番なんて怖くてたまらない。 冬だったのだろう、こたつのお布団が部屋の隅にたたまれ置かれ、その上に座布団が乗っていた。 私はその上に乗り、壁にぺったりと背中を付け、少し高くなって部屋が見渡せる、そんな風

          後ろが怖いってHSPあるある?

          自己紹介

          はじめまして。Fumikaです。 SNSの情報から、ある日、自分がHSP(Highly Sensitive Person)ということが分かり、HSPの事を勉強する中で、「そっか、だからか!」と思える事が沢山ありました。 敏感さはネガティブとイコールではない。HSPである自分、脳の神経処理が深い自分をポジティブに捉えて強みとして活かしていきたい。 そんな思いから、このブログでは私の幼少期や過去の記憶、また日々感じた私の心模様をゆるりと綴っていこうと思います。 自律神経の働き、

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