見出し画像

昭和時代の小学校の給食模様

皆さんにとって小学校時代の給食は

どのような思い出があるでしょうか?

私にとって小学校時代の給食は

美味しかったとか、

まずかったという事よりも、

まさに自分の自己肯定感や

自己効力感を下げる

要因の一つであった。


前回の記事でも書いているが、

幼少期の私は食が細かった。

HSCは食の細い子供が非常に多い

という事を聞いて、とても納得できた。

快、不快を敏感に察知するHSCは

何か自分の口に入れる物に

特別に反応していたのだと思う。

また、私の場合は幼少期に

安心安全と思える親との関係性を

築けなかったことも

食が細い要因であったと思う。

HSPは脳の神経処理が深いが為に

同じ親に同じように育てられても

HSPと非HSPでは受け取り方、

影響の度合いが

まったく違うのだ。


昭和時代の小学校を知っている人は、

給食をお昼休みの時間までかかって

食べている子がいたのを

覚えているだろうか。

私の4~6年の担任の先生が

「給食は全部食べないといけない」

このタイプの先生であった。

最悪だ。

だいたいいつも

お昼休みの時間が終わり、

掃除の時間が始まるころまで

教室の後ろの方で

食べている子供が2~3人はいた。

私はその内の1人であった。


お昼休みの時間を

他の生徒たちは外へ出て行って

しーんと静まり返った中

給食を食べる事に専念させられた。

私は2-3人いる居残り組の中、

自分が最後の1人にならないよう

ドキドキ焦りながら

喉を通らない給食を

口の中でモグモグしていた。

お昼休みが終わり、

外から帰ってきた生徒に

「コイツまだ食べてんのかよ」

と思われている気がして、

自分の存在が恥ずかしかった。

私は他の人と同じような事ができない。

だから人よりもがんばらなくては。

こんな風に無意識に

思ってしまうような経験であった。


戦中戦後、その頃に生まれた親や先生は、

貧しい大変な時代を生きたからこそ

食べのを大切に。

という考え方の中、

良かれと思ったしつけ

だったのだとは思うが、

このような食の体験がその子供に

どの様に影響を与えるかまで

当時は考えが及ばなかったのだろう。


でも、この過去の出来事を

どう捉え直す事ができるだろうか?

まずは、私がその時感じた気持ちを再認識し、

よく頑張った小さな自分を最大限に褒めてあげたい。

私という存在は本当に

恥ずかしい存在だったのだろうか?

良く食べる子もいれば、そうでない子もいる。

事実はただそれだけ。

私という存在価値は他者と比べなくても

確かにそこにある絶対的なもの。

私は過去の経験から

そのように捉え直し、学ぶ方を選びたい。

出来事にどう意味付けをするかは

自分次第ではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?