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10代をどう生きたか


私は22歳だ。大学をあと二ヶ月で卒業する。


たまたま乗ったバスに女子高生が20人くらい乗ってきた。席も少ないので私の隣の席にも座った。女の子特有の甘い香りがマスク越しにも伝わってくる。友達と過ごす様子を見ていると自分の高校時代を思い出す。

世間は「Z世代だ」「21世紀生まれだ」とはやし立て、そのうち「コロナ世代」だとか言われるのだろうか。今の高校生と5歳くらいしか離れていないが、自分を客観的に見つめ直せるくらいには、自分は歳を取ったのかもしれない。

そう思ってしまうのはもう10代ではないからなのか。過去を顧みるのは青春を過ぎたからなのか。


私は、友達に恵まれていたし、不自由を感じなかった。
生徒会をやっていたから先生からの信頼も厚かったし、中学は野球部だったから人間関係の軋轢も大きくなかった。勉強も努力を認めてもらえたし何より志望校には合格し続けた。
朝井リョウの小説の中の言葉を借りれば、

「家族に恵まれて育ち、友人や恋人に恵まれ、学校を卒業し社会人となり自分の生活基盤を築くというルートの内側に生まれ落ちることができた(引用:朝井リョウ 『正欲』)」


10代は多感だった。
受験だって経験するし、恋だってした。
1つ1つの経験が初めてで、何もかもが新鮮だった。
たくさん悩んでもがいて、
それしか視界にはなかった。

10代の頃、何もかも下手くそだった。
野球も上手くなかった。
恋愛はもっと下手だった。
そもそも女の子と話せなかった。
だから高一で初めてできた彼女との初デートも苦い思い出だ。
映画の途中でトイレに行ったり、誕プレだって自分本位で選んでいた。

10代は友達と過ごした。
放課後は部活に行き、その後、塾に行った。
家にいて家族と過ごすより、友達と過ごした。
一人で生きる力がなかったからなのか。
その方が楽しかったからなのか。
考えたこともなかった。
考えなくても当たり前のように毎日が繰り返された。

社会人になるとどうしても友人関係は薄れる。
両親の友達と会った記憶は幼稚園の頃の記憶で止まっている。私は東京にいくので、小中の友達とは否応なく離れる。
それが寂しいかと聞かれるとそうでもないのだが、故郷はやっぱりあたたかい。安心できる。

結婚する前に地元に戻るかもしれない。
東京で結婚しても、子供が不登校になったら私は地元に戻ることを選択するだろう。

なぜなら、10代の頃、帰る場所があり、相談できる人が身近にいてみんなに見守ってもらえたから私の今がある。

パートナーとは、こういう考えをしっかり共有していたい。だから、有名人が、世間が、と言うのではなく、「私はこう思う。」という軸を持っている人がいいなと思う。


小学校の同級生は結婚して子供がいる。
半分はもう社会で働いている。
看護師に、教師になったという話も聞く。
そもそも大学のために県外に出たのは1割もいない。
小学校の頃掲げた夢は、叶っていないのか、忘れたのか分からない。
叶っている人もいるし、違う夢を掲げている人もいる。

何もしらなかった。
何にでもなれると信じていた。
僕らはひたすらに夢を口にした。
理想が原因でけんかもした。
そのくらい全力で生きていた。
校庭を走り回っていた。
机に向かって勉強していた。


今思うと、勉強はしておいてよかった。
新しいことを吸収することにおいてためらいがない。
新しいスキルを身につけやすい。
何より学歴で、信頼を得やすい。


10代は人と繋がり、思い出を作ればいい。
きっと10代でしか得られないから。
いっぱい経験だけして、歳を取ってからあれはこういう意味があったとか、これに生かせるとか考えたら良い。

もう戻れない。
それくらい若いって素晴らしい。


自分の子供ができて、
子供が10代になったら、海外に連れて行ってあげたい。いろんな世界を経験させてあげたい。
逆に10代でいい。それより早いと覚えていられないかもしれないから。


10代は全力で生きて、全力で楽しむためにある。
と思ったりするのです。


あなたの10代はどんな子でしたか?
どんな人と関わり、
どんな友達と過ごしましたか?
家族は好きですか?故郷は好きですか?

そして、そんな自分を好きでいますか?



最後に私の好きな歌詞をどうぞ(カンザキイオリ『大人』)

大人になって分かったことなんて単純だ
夢は叶うこと努力は報われること
一人は寂しいこと二人は気まずいこと
人間は難しいこと

大人になって分かったことなんて単純だ
人は醜くて人は優しいこと
心の奥に眠る憎悪が剥がれ落ちても
何も変わらない

大人になって分かったんだ
二度とは戻れないんだ

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