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ものかきのおかしみと哀しみ

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すれ違った人たち
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#コラム

半分のこわい話

半分のこわい話

病院って「人間」が見える。良くも悪くも。

あ、ホラー要素ゼロなので安心して読んでください。大丈夫。

こんなに病院に通うというか、病院で過ごすなんて思ってもなかった人生だった。

病院は疾患を治療する場所だけど、同時にふだんは見えてない人間のいろんな部分が晒されるんだ。

特に診察だけでなく、通院での治療でほとんど一日中、病院の中で過ごす時間が多いと余計にそう思う。

僕が通ってるがんの治療セン

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抱き合わない話

抱き合わない話

高度成長期に「教育ママ」という言葉があった。たぶん、いまは死語。

とにかく自分の子どもの教育や習い事に熱心というか過剰に介入してマネジメントしようとする現象。

いまならなんだろう。毒親とかにも含まれるのだろうか。

時代は変わってもなくなったわけじゃない。いろんな場面で出現して周囲を困惑させているみたいだ。

いや、むしろ場面というか局所的には以前よりストレートに親の介入がある。

就活なんか

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「狭き門」は広い

「狭き門」は広い

思い込みは怖い。まあ、気づかずにいるうちは思い込みとさえ考えないのだけど。

人間とヤギをやってそれなりになるけれど、いまだに自分に見えてる世界の危うさに「ハッ」とすることがある。

「狭き門」の捉え方もそうだ。

もしかしたら、そんなの常識レベルなのかもだけど「狭き門」と言われると「大勢が殺到して、そこを通過できるのは一握り」みたいに捉えてた。

本来の意味はそうではないらしい。

作家の森博嗣

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なんか変だなと思うこと

なんか変だなと思うこと

接客がびよーんと来る。これだと、なんのことかわからない。僕もわからない。

だけど、僕もどうしていいかわからなくなったからここに書いて供養しておきたい。

その日は珍しくリアルのショッピングモールで必要な服を買っていた。

まあ、最近そうかもしれないけど、服でもなんでも圧倒的にネットで買うことが多い。村暮らしだから電車に乗って(いちばん近い駅に歩いて行こうとしたら山を越えてかないと行けない)ルミネ

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絶望感について

絶望感について

「ふみぐらさんは、こんなふうになって絶望感とかなかったんですか?」

みんなも知りたいだろうからあえて、という文脈の中で嶋津さんからそんな問いがあった。Spacesの「対話パーティー」で喋ってたときのことだ。

その問いだけ切り取って興味本位の質問みたいな誤解しないでほしいのだけど、いろんな深い話をした上での問い。

んー。絶望感か…。ここでも僕と嶋津さんが好きな沈黙が僅かに流れた。

答えたくな

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「嬉しい」は「楽しい」の上位互換だった

「嬉しい」は「楽しい」の上位互換だった

最近、嬉しいことがいくつかあった。楽しいじゃなく嬉しい。

こんなこと書くと読みたくなくなる人もいる。基本、人は他人の困難に反応しても他人の良きことにあまり興味はない。なぜか、そういう設定をされてしまってる。

まあ、そういうものだというのもわかった上での話。

ひとつは何年かぶりに、演劇仲間がお見舞いのお酒やら和ケーキやら果物や胡麻油(すごく旨い!)なんかを携えて信州まで訪ねてきてくれたこと。

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書くために、書かない時間

書くために、書かない時間

最近、僕は文章を書かない。いや、書いてるんだけど書かない。また、なんかおかしなこと言ってるけど。

このnoteもそうだけど、人は文章を書く。

なにか伝えたいこと、言葉にしたいこと、そんなんじゃなくてとにかく読まれたくて書きたい人もいる。じゃなきゃ、こんなに世の中に文章が溢れてこない。

それは、べつ悪いことじゃない。

昔みたいに、文章を書いてリリースするのが限られた人たちだけなんてつまらない

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やりたいことと「欲」は違う

やりたいことと「欲」は違う

人間は本来無欲なのか。それとも欲まみれなのか。

一般的に人は3大欲からは逃れられないって言う。けど、ほんとにそれが「欲」なのかはよくわからない。

その点、動物は欲のまま欲にストレートに生きてるなって思われがち。

でもよく見てると、欲というより「生きるため」な感じがすごくする。人間が勝手に「欲」と思ってるだけで。

もし生きることそのものが欲なのだとしたら、地球上でもっとも欲深いのは動物ってこ

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僕が小説を書けない理由

僕が小説を書けない理由

技術的には書ける。書き方も知ってる。たぶん。

仕事で頼まれて書いた小説だって何冊もある。ライトなのから、そうでもないものまで。

「売れること」が命題な小説(小中学生から大人まで幅広く読まれるやつ)も書いてきた。とあるシリーズは累計100万部超えていまも地味に重版してる。もちろん、僕だけの力ではないけれど。

なのに書けない。またちょっとこいつ何言ってんだが始まってるけど。林さんにもちょいちょい

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老後の正解について

老後の正解について

老後がわからない。

言葉としては知ってる。漠然としたイメージもある。だけど実体がよくわからないんだ。

なのに、世間には老後があふれてる。

老後に備えて〇〇をとか、これは老後の楽しみに、老後どうしたらいいか不安とかいろいろ。

いつから、こんなに老後老後言うようになったんだろう。昔からなのか、正解探しが好きな日本は特になのか、いろいろ謎だ。

その時代を生きてないし文献的なエビデンスもないから

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結論「旦那いらない」

結論「旦那いらない」

女子更衣室のロッカーに潜んで話を聞いてるみたいだった。いや、実際そんなことはしないけど。比喩。ほんとにしないよ。

なんか言葉を重ねると余計に怪しくなるので困る。まあでも、それに近いシチュエーションには毎回なるわけで。

なんでかというと通院での治療センター(化学療法なんかの患者専用の一角が病院にある)がそうだから。

カーテンで仕切られた半個室みたいなとこで、ビジネスクラスみたいなシートに沈んで

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書ける人には何があるのか

書ける人には何があるのか

いわゆる「この人、文才あるかも」って思う人。編集者目線での話。個人的な目線だけど。

文才とは何かの明確な定義はあるようでない。

ひと言で言えば文章を書く能力の中で「何かある」。なのだけど、それだとそこで話が終わってしまう。

もう少し掘っていくと、いくつかの「引っ掛かり」みたいなものがある。

書いてる人のほうは「文才あります!」「書きたいんです」とかすごいアピってないのに、勝手にこっち(読む

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小さきことのために

小さきことのために

本当は、みんなそれぞれの日常にあったと思う。小さな、ささやかだけれど大事なことが。

だけど、いまはそれが難しかったりする。仕方ないこともわかってる。

慣れた部分もあるし、慣れないものをなんとか呑み込んでる部分もある。まあ、それも人それぞれだ。

だけど、ひとつだけ慣れないのは「小さなこと」より「大きなこと」のほうがあたり前に大事だという価値観と行動。

社会全体の福祉とかそういう次元ではなく(

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不調と不調和

不調と不調和

こんなnoteは誰も読みたくないので、自分のために書いてる。というかここ最近はほとんどそうかもしれない。

noteさんが推奨する使い方とは真逆だ。みんなの役に立つもの、みんなをほっこりさせたり楽しませるもの、泣けたり、心の隙間を埋めたりできるもの、何か驚きとか発見があるもの。

そういうnoteを書いたほうがいいのだけど、いまはなかなか書けないことが多い。

技術的なスランプとかイップスってわけ

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