- 運営しているクリエイター
2016年4月の記事一覧
築地市場の消滅と僕たちの「閾」
市場の舞台袖が好きかもしれない。また変なこと言ってますが、好きなものは好きなのだからしょうがない。
舞台袖っていうのは、舞台でいえば上手下手(右左)に掛かっている幕のすぐ後ろ。市場ならお客さんと対面してる店先や通路からちょっと逸れた場所。
完全に舞台裏ってわけでもなく、お客さんの姿も見えるんだけどちょっと引っ込んだ感じのところから、市場の気配を感じられる空間。
昔の市場には、そういう「閾」の
講談の可能性とまさかの崎陽軒で涙した話/神田松之丞さん独演会
この前「こんなこと」を書いたからというわけではないですが、予習なしで新しい世界の扉を開けてみましたよ。どこに入ったかというとザ・講談の世界。
Bar Bossaの林さんが企画された、Barでグラス片手に講談を聴くという、なかなかない機会です。
もう、結論から言いますね。なにこれ、面白い!! 神田松之丞さんすごい!
*
一応、ものかきなんていう世界にいながら、これまで落語の高
世界は鯛焼きのしっぽでできている
最近、ちょっと意識して「そのままを見る」練習してます。
動物園で何も考えずに象の動きを見てたり、職人さんが流れるように手を動かすのに見とれたり。けど、目の前にある何か、人、なんでもいいんですが「そのまま」を見るって簡単で難しい。
って、よくわからないですよね。たとえば、こういうの。僕の目の前に猫様がいるとします。その猫が、ちょっと目を離した隙に僕が買ってきて食べようと思ってた鯛焼きを嘗めている
カレーのある人生の終わりに
「カレーが食べられなくなったときは、もうお終いだ、きっと」
こんな一文をどこかで見かけたんだけど、どこだっけ。
池波正太郎先生のエッセイだったのか、どこかのカレーの店だったのか記憶は定かではないのですが。
もうなんか、なんでもない一文の中に人生が煮詰まってる気がするんですよ。煮詰まるというのは本来の意味で。せっかくカレーが煮詰まってるのに、もう食べたくない状況を想像するとなんか泣けてきます。
音楽業界も出版業界も正しいことをやりすぎて、みんなで駄目になってる件
音楽を有料で購入しないどころか、音楽そのものに無関心な「音楽離れ」が進んでいる云々の記事が流れてましたね。
まあ、これもポジショントーク要素とか、他のジャンルとの相対的要素とかあるので鵜呑みにはできないけど、そういう雰囲気はたしかにあります。
くるりの岸田さんが、その件で面白い考察をしていて、ざっくり言えば「聴かなくてもいいや」と思うような音楽が増えすぎたんじゃなかろうか、と。
「選ぶ」と「見つける」は違うんだと山岡は言った
アジフライが好きなんです。いきなりどうでもいい話ですね。すみません。
まあ、青魚系がわりと好きだってのもあるんですが、たまに無性に食べたくなるアジフライ。
けど「これめっちゃヤバいわ」って口の中で祭りになるぐらい、おいしいアジフライってなかなか出会えないんですよ。昔ながらの食堂とかで、いかにもちゃんとつくってる風に見せてる店でも残念なアジフライのとこが多いし。
べつにマズくはないんです。解凍し
木綿のハンカチーフ知ってますか?
ずっと気になってる木綿のハンカチーフ。ハンカチではなくハンカチーフ。
略さないのがポイント。
太田裕美さんの元歌をいろんなアーティストがカバーしまくってるけど、実物のイメージがないんですよね。
今でこそ木綿という素材自体がなんかお洒落で、ちょっと前のクウネルっぽくて『SOU・SOU』さんのアイテムっていうイメージがありますが、そういうのをぜんぶ取っ払った「本来の木綿のハンカチーフ」がさっぱり思
自然の中でこそ「人間の集中力」は高まるんじゃないか論
この数日間、仲間と山に篭ってました。京都の京北(けいほく)というエリアにある芦見谷。京都市内からバスに1時間揺られ、最寄りのバス停から谷沿いの道を歩いたら、さらに1時間かかる京都の秘境。
といっても現代人なので車で向かったのですがw
それでもふだんは谷沿いに住むごく僅かな人と、林業関係者、たまに釣り人が入り込むくらいで、ほんとに人の気配がしない場所なんですよ。
じつは去年の夏から、この芦見谷
ライブや舞台を観るのに予習は必要か問題
たまにありませんか? 人から誘われたり、チケットをもらったりでまったく知らないライブや舞台を観にいくっていうケース。
こういうとき考えてしまうのが、一応、予習ってしておいたほうがいいのかどうかについて。
*
自分が好きなものは、当たり前だけど日常的に追いかけてたりして情報に接してるので、あらためて予習するって概念そのものがないわけです。
あと、自分から気になった映画なんか