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もうこれ以上、幸せをお金で増やせない

私は他に何を手に入れたら、幸せになれるだろうか?

私は、消費者として、もうこれ以上の幸せのバラエティを楽しむことは難しいのだろうと思う。

私は今、年を経るごとに収入を得て十分な生活を送っているし、
社会だって同様に、長い目で大局的に見ればこれまでにないほど豊かだ。

私は他に何を手に入れたら、幸せになれるだろうか?

iPhone11を買っても、美味しいご飯を食べても、その幸福感は長く続かないし、
その幸福感の継続期間もどんどん短くなっている気がする。

多くの人が、収入は限られているし貯金もしたいので、
例えば、メルカリに出品して、売れたお金を手にしてまた新しいものを買う。ややもすると、バカな消費者は、自分の欲望に負けて、収入の範囲を超えてリボ払いを使う沼に嵌まる。

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消費財に関わらず、欲しい気がしたものを手に入れても、その幸福感は長くは続かず、新しいものへの欲望という不満につながるだけである。

この反論を想像してみると、お金で買えない幸せこそ重要で、
オリンピックに出るとか、歌手になるとか、愛する人と一緒に過ごす時間だとか、好きなことを仕事にするとか、自分の気のおける仲間・コミュニティを複数持つだとか、、、
あるいは、お金はあればあるほど良い(そりゃそうだ)、お金を稼ぐこと自体が楽しいだとか、、、、、、
そういうものを生きがいとすることが、幸せであろうというのが大半だろう。

私はそのどれからも今は遠い状況にいるような感じがしている。
もう大人だから欲しいもののバラエティも増えないし、正直人付き合いも苦手で、ほとんどの余暇を一人で過ごしていて、誰かと一緒になる未来も到底見えないし、起業して世界を変えてやるぞみたいなアイデアも能力も気概もない。

だけど、それでも、せっかくだから、自分の全潜在能力を、最大限発揮して、人生に満足した状態で死にたいし、可能な限り幸せも感じたいという欲望がある。

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人生の満足度と感情的幸福

Princeton UniversityのDr. Daniel Kahneman、Dr. Angus Deatonが著された有名な研究*1が、人生の満足度 (Life Evaluation) は高収入によって得られるものの、感情的幸福 (Emotional Well-Being) は年収7万5000ドル*2までは収入に比例して増えるが、それを超えると比例しなくなる、また、低収入は人生の満足度が低いことにも、感情的幸福が低いことにも関係しているという結果を示している。

人生の満足度は、例えば、自分の人生について考えたときの評価/考えを指し、感情的幸福とは、個人の日常経験の感情的な部分、要は、人生を楽しくしたり不快にしたりする、喜び、ストレス、悲しみ、怒り、愛情の頻度と強さを指している。

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国税庁の民間給与実態統計調査 (2019年11月29日発表) 結果によると、現在の日本の年収分布は下記のような感じのようだ。


figure1: 年収別人口分布スクリーンショット 2020-01-18 22.50.53

年収900万以下の労働者は全体の93%である。

このデータには低収入になりやすい若年層や既婚女性も含まれているため、留意が必要ではあるが、国民のほとんどが、まだ、収入増加によって、感情的幸福が増えると言えそうである。

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一方、人生の満足度についてはどうだろうか?

PGF生命が、2019年10月9日~10月11日に、20~79歳の男女2,000名を対象に実施した「人生の満足度に関する調査」によると、全体で40.2%が満足していると回答し、31.0%が満足していないと回答している。
また、収入別の満足度について、株式会社Emotion Techが2018年6月14日〜6月26日に、世帯年収400万円未満(828名)と世帯年収1000万円以上(76名)の被験者を対象に実施した「お金と時間の使い方、人生の満足度調査」によると、年収が高くなっても、日本の場合は人生の満足度が高くなるとは限らないと結論づけられている。

一生懸命働いて、高収入を得ても、人生の満足度を感じられず、また、感情的幸福にも物足らなさを感じる人がたくさんいる可能性を示唆しているように思える。

私は研究者ではないので、これは戯論の可能性も大いにある。
しかし、正直そんなことどうでも良い。ただ私の中で最も重要なのは、私自身が将来、将来そういう人になりそうなことに危機感を感じていることである。

Dr. Daniel Kahnemanらの論文では、収入と教育は人生の満足度と密接に関連していると述べられている。
私も学生時代までは、この主張を信じていたし、学び探求することは好きだったこともあり、幸いにも、それなりにちゃんとた教育を受けてきたし、サラリーマンとして働いて収入も得ているが、ただただ空虚な感じがすることに危機感を感じているのだ。

このまま一人で暮らして、死ぬ時私は何を思い出すのだろう、と。

私の生きがいは何だろう

さて、私の性格を鑑みると、しばらくは会社員だろうし、新しいコミュニティに積極的に入ることもないだろうし、運命的な恋に落ちることもないだろう。

私は、どうしたら生きがいを感じられるだろうか。

つまらないアプローチだが、まあ、一番打ち手を講じやすいのは仕事関連なのだろう。
有名な図で、自分と向き合うためのツールとして、ikigai mapというものがある。


figure2: ikigai map
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会社に入社した以上、その会社のビジョンにある程度は共感しているのと、
会社に必要とされている貢献と概ねお金をもらうに値することは、私の場合は同等に扱っても、私の思考整理には何ら問題を与えないので、自分用に書き換えてみる。


figure3: ikigai map for myself
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(より会社という環境に合わせるとこんな感じか。。。。)



figure4: ikigai map for myself (2)スクリーンショット 2020-01-18 22.58.48


比較的大企業に勤めていることも1つの要因と考えられるが、
かなり業務が細分されていて、不要と思える仕事が多く、本質的にはこんな具合に感じられる。

緑の丸の大きさと相対位置が変わらない場合には、好きなことと得意なことを、会社に求められることに寄せに行くほかない。
もう一つできることは、緑の丸を変えに行くことだ。

潜在能力を発揮したい欲望

マジでくだらないと思う仕事はこの世の中にたくさんある。

私たちは、かなり不平等な世の中に生きていて、
これまで皆で積み上げてきた富の恩恵を受けているのは、ほんの一部である。

私が今生きるフラットな(あるいは、そうであると期待する)世界では、
誰もが自分以外の人や市場の状況を、概ね手にとるように見ることができる。
そして、人間はおしなべて自分の全潜在能力を発揮したいと思っているはずだし、特に若い人はよりそうだろう。

一定の能力のある人々は、実直に働き続けても、想定される幸せ・満足度を大きく上回ることは難しい社会では、もうこれ以上、幸せをお金で増やすことはできない。

そろそろ重い腰を上げ始める時かもしれない。



*1 Kahneman, Daniel, and Angus Deaton. "High income improves evaluation of life but not emotional well-being." Proceedings of the national academy of sciences 107, no. 38 (2010): 16489-16493.

*2 年収7万5000ドルというのは、当時の為替レート(TTB)で約668万円で、現在の物価を鑑みると、年収830万程度であろうか。


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