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『後ろは振り向かない』《徒然日記》後編

前編の記事を書く中で、《思い出》について考えました。たとえば、私は福岡に住んで早いもので16年になりますが、幼少期思春期《思い出》のほとんどは、地元である横浜での出来事です。でも、娘にまつわる《思い出》の大半は、娘が産まれ育っている福岡県産ですから、何とも言えない不思議な気持ちになることがあります。

産まれたばかりの娘のことや、成長過程で起きた細かな出来事について、『そうそう、そんなことがあったね』共有、共感できる相手は、きっとこの先も夫だけだろうなぁと思う時があります。とは言え、それは《思い出》の一部分に限ってのことです。私は夫婦やパートナー、親子、つまりは《家族》であっても、思い出の箱はちゃんと一人ずつに用意されていると考えています。だからこそ、たとえ家族であっても、《その全てを共有すること》なんてできないし、その必要もないなぁ~と思うのです。

《思い出》は大切なものです。関わった人たちとの様々な出来事や経験は当たり前ですが、後からお金で買うことはできませんし、付け加えることのできない《かけがえのない宝物》です。私はこの先も、ふとした時、寂しい時、その宝物に触れることで心を温め、救われる夜を幾度も迎えることでしょう。(勿論、いいことばかりの人生ではないので、思い出に苦しむ夜も、同じ数だけあるかもしれませんが…)

《思い出》を大事にすること、懐かしむことは誰にだってありますし、浮き沈み、波のある人生を歩む上での、《教訓》《糧》ともなります。ただ、そこに浸り留まるのはまだ早い!思い出に縛られたくない!そう思うのです。自分に都合がいい部分だけを好きに切り貼りしたそれらを楽しむのは、もっと、ずっと後でいい…。いずれは私にも訪れるであろう、《思い出の中に生きる日々》そう、母のようになる日まで…。《お楽しみ》として取っておこうと思います。

*昨日の記事をupした直後、母から『困ってるのー』と電話がきました。滅多にないことなので、ビックリ!noteの存在は当然、知りません…テレパシー?・笑。

《心穏やかな日常を》

昨年の七夕に書いた願いは、今も部屋のドアに貼られたままです。この願いは今も変わりませんし、生涯、大事にしたい心です。そして、節分を機に、その横に新たにもう一つ、短冊を貼りました。

《後ろは振り向かない》

これは、今の、そしてこれからの《私》に一番、必要な言葉だと思い、決意とも言える願いを込めて書きました。もちろん、いつもいつも前向きではいられないですし、現にここ数日は、モヤっとした気持ちを抱えたまま、1日を過ごしています。それでも…悩んでも、不安でも、心細くても、自分の背中を自分で押してあげる必要があると思っています。押すのが難しい時はせめて、軽く支えるだけでもいい…。強い気持ちで、《後ろは振り向かない》と思わないと、意気地なしで、弱虫な私はすぐに諦めて、逃げ出してしまうでしょうからね・笑。

前編、後編に渡り《徒然日記》と題して『今』私が考えていること、思っていることを書いてみました。読んで、楽しい気分になる記事にはできませんでしたが…私の心の中を少し、のぞいていただけたかな?と勝手に思っています。信じていますよ、皆さん・笑。

『人間って、大変なんだねぇ~。もっと、楽に生きようよぉー』

『そうだね~。モア』

新しい草の帽子(水草)を入れると、下に潜り、キョロキョロと不思議そうに見つめるモア。草帽子を被っているみたいで、可愛い~。そのとぼけた姿に、本当に心が和みます。この子がうちに来てくれたことには、何かしらの意味があるのかな?ないわけないよなぁ~。今日もありがとうねっ、モア♡

を覆うこのモヤっとしたくすみよ、消えて~~。早く、澄んだ青空を眺め、美味しいコーヒーが飲みたいです。Pray for peace,ラッタッタッー☆

次回も、どうぞお楽しみに。



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