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ショートショート

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2021年3月の記事一覧

ショートショート|冬、合宿所、絵画

 自宅のトイレに小さなデジタル時計が備え付けてあって用を足すたびに視界に入るのだが、この時刻が清々しいほどズレている。今が夜であることは疑いようもなく、僕が手首につけている電波で時刻を合わせてくれる腕時計も20時38分を示しているのに、トイレのこの時計は5時15分を伝えている。はっきり言って時計としての役割を全く果たしていない。よくもまあ悪びれもせず、という感じだ。時々、トイレのこのデタラメな時計ぐらい豪放磊落に生きられたらなあ、なんて思う。でも実際にはそれができないから僕は

ショートショート|ワンルームのラジオ局

(洒脱なオープニング)  ワンルゥーームラジオォ(少々耳障りなエコー) (流れている音楽の音量が小さくなる)    今週も始まりました、ワンルームラジオ! 略してワンラジ! パーソナリティの****です。  この音声を収録しているのは3月だけど、これがYouTubeにアップロードされてリスナーのみんなに聴いてもらえる状態になるのは4月1日だね。4月と言えば入学、入社のシーズン。新しい環境に身を投じる人が多いと思う。そんな人は今からドキドキしてるんじゃないかな? 友達や仲間

ショートショート|忙しないある昼下がりの物語

 13時少し過ぎ、あるカフェの椅子に座って店内を流れているおそらく一生そのタイトルを知ることはないであろう曲に耳を傾けていると、苛立ちを隠せない表情の女性が赤ちゃんを抱っこしながら入店した。彼女がレジカウンターで店員にコーヒーか何かを注文をしているのを眺めながら、ひょっとして彼女は旦那と喧嘩をして家を飛び出したのではないか、と俺は考えた。マリッジブルー、マタニティブルーとこの頃は憂鬱になりやすく、それはしばしば喧嘩の火種になるものだ。いや、他人のことをどうこう憶測するのも失礼

ショートショート|太陽を昇らせる仕事

 2007年7月31日午前5時前、自宅の縁側、薄明なのは太陽が昇ってきている証拠であり、その事実を噛み締め一安心する。私は部屋に戻り、国立天文台が発表している翌朝の日の出の時刻を確認する。午前5時20分だ。それから例の箱についているツマミを回し、液晶パネルにデジタルで表示されている時刻が〈2007/08/01 05:20〉になるようにセットする。これで明朝も太陽が昇る。明け方の隠居仕事は終わり。ご苦労様。  天文台が太陽を観測することで日の出の時間が判明していると世間の人は思

ショートショート|想起椅子

 中学生の時に校内で行われた合唱コンクールが終わったその日の話。生徒会役員の1人(具体的には校内の美化を担当する委員会の長)だった僕は、生徒会副会長と一緒に来賓である幼稚園の園長先生に謁見する機会を得た。田舎だから幼稚園から中学まで同級生は同じ面子みたいなもので、かく言う僕も生徒会副会長もその先生には幼稚園児の頃にお世話になっているのだ。 「まあ、久しぶり。(生徒会副会長)ちゃん、(僕)君。すっかり大きくなったね」と先生は言った。  僕が驚いたのは先生がちゃんと僕たちの顔と名

ショートショート|次のパンダのニュースです

 テレビの電源を入れた。この後に外出する予定を組んでいるのだが、それまで時間があったから。画面には動物園でタイヤを使って遊んでいるパンダが映っている。 「……でした。タケの他にサトウキビ、リンゴ、ニンジンを食べました。また、糞を調べたところタケの消化率はおよそ19%で、これは正常な数値と言えます。永久歯も無事に生え始め、問題なく成長しているとのことです」  ニュースキャスターは「次のパンダのニュースです」と述べ、今度は別のパンダの現状を伝えようとしている。僕は遠い目でテレビを

ショートショート|人生を流れる水に例えたら

「九州はシリコンアイランドと呼ばれています」と先生は言い、続けてこう問うた。「半導体産業が盛んだからですね。私たちが住んでいるこの町にもその工場がいくつかあります。ではなぜここでは半導体産業が盛んなのでしょうか?」  私は頭を捻った。小学6年生に問いかけるにしてはあまりに難問ではないかな? そんな工場がここにたくさんあること自体初めて知った。答えがわからないから誰も挙手をしない。 「うーん、ちょっと難しいかな」と先生は言い、少し時間を置いてからこう告げた。 「正解は水が綺麗だ

ショートショート|病棟患い

 極端に物が少ないのになぜ病室には独特の匂いがあるのだろう、と僕は不自然なまでに白いシーツを見ながら考えていた。 「で、どんな病気なんだ?」と彼は僕に尋ねた。僕は知っている情報を動員してそれに答える。 「首を前に曲げる際に脊髄がひどく圧迫される状態になっていて、それが原因で恒常的に右手の指のいくつかが動かなくなったり、震えたり、握力が弱まったりしてるんだ。運悪く利き手の方だ」 「なるほど」 「そうそう、握力に関してだが、測ってみたら13kgしかなかった。これは8歳の平均と同じ

ショートショート|もっと光を、もっと音楽を

 バスに乗った僕はルーティンのようにイヤフォンを耳に装着し、ミニ音楽プレーヤーの電源を入れる。そしていかにも気取っているみたいだけどショパンの『別れの曲』を聴く。ピアノの鍵盤の中央わずか左から始まる演奏。ゆっくりと今の自分とその曲を重ね合わせる。起伏のない毎日を過ごす僕が何に別れを告げるというのか? この平穏な朝にだ。バスが高校前に着くと間もなく勉強という名の戦いが始まる。受験戦争とはよく言ったものだ。  『別れの曲』が終わると、次は曲がシャッフルで再生されるように設定す

ショートショート|夢見る睡眠研究会

 おやすみなさい、睡眠研究会。私はノートパソコンを閉じてスリープ状態にさせた。もう23時だし私も寝なくては。さっき君が忠告してくれたように寝酒はしないよ——  就活と卒論を終え、大学のキャンパスを(もうじき、ここを歩くこともなくなるのか)としみじみ思いながら散策していると、大学生活ではハンカチも倫理学の単位も落としたなと懐古していたちょうどその時、掲示板に張り紙があるのを目にした。紙の上部にはピクトグラムのように簡略化された枕のマークが大きく描かれており、その下に見出しと何

ショートショート|迷子とか懐古とか

 飼い猫がそばにやってきて、僕に「ついてきて」と言った。僕はそのメスの三毛猫の後を追った。 「私が思いを寄せている方を紹介したいの」と尻尾を揺らしながら彼女は言う。「体格が良くて、足もすらりと長くて、それでとことん無口よ。私が背中に乗っても怒らないわ。なぜかしら、いつも同じ場所にいるの」  そこには4本脚の椅子があった。  駅ってわざとかってくらい複雑にできてるよな、と僕は思った。少年がちゃんと隣にいるか確認する。彼は迷子だ。蒸し暑い駅の構内で不安そうな顔をして行ったり来た

ショートショート|非濫読家

 濫読家の女性がいた。いわゆる本の虫。彼女は多様な分野の本を片っ端から時間が許す限り読んでいた。文学も哲学も芸術も産業も自然科学も社会科学も。しかし、ある時から自分の読書体験は正しいものか疑問を持つようになった。一期一会と言うべきか、次から次へと本を読み終えては書庫に仕舞い込んでしまい二度と紐解かないのは、果たして本を愛する者としてあるべき姿なのだろうか。苦悩した結果、彼女はこう決心した。「私はこれからの人生、1冊の本しか読まない」と。非濫読家になろうではないか。元来、極端な

ショートショート|地球にて惑星対抗野球大会

 宇宙の膨張するスピードよりも速く物を転送する装置が開発されたのも昔のこと。それを用いて地球から各星に封書が届けられた。ペンで文字を書くのがロストテクノロジーになりつつある今、親善の意を示すためにわざわざ紙に綴られたそれには以下のことが書かれていた。ここでは火星に送られたものを例示しよう。ちなみに、アメリカ英語で書かれた文章を和訳したものである。各星に地球の言語を読み解く力が備わっていることは事前に了解済みであり、地球の公用語として英語が使われた。  親愛なる火星人へ  こ

ショートショート|招待券を探せ!

 メールが来た。初めて見る名称の遊園地からだ。〈【重要】あなたに招待券を差し上げます。ぜひご来場ください〉と書いてある。そのような物が手に入るプレゼントキャンペーンに応募した記憶はない。近隣住民に配っているのだろうか。まあ、無料で遊園地で遊べるなら棚からぼた餅だ。メールにはPDFファイルが添付されており、それを開くと招待券の表と裏を写した画像が表示された。また、別に数字とアルファベットの羅列によるコードも記載されており、これをコンビニに設置してあるマルチメディア端末に入力して