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ショートショート|迷子とか懐古とか

 飼い猫がそばにやってきて、僕に「ついてきて」と言った。僕はそのメスの三毛猫の後を追った。
「私が思いを寄せている方を紹介したいの」と尻尾を揺らしながら彼女は言う。「体格が良くて、足もすらりと長くて、それでとことん無口よ。私が背中に乗っても怒らないわ。なぜかしら、いつも同じ場所にいるの」
 そこには4本脚の椅子があった。

 駅ってわざとかってくらい複雑にできてるよな、と僕は思った。少年がちゃんと隣にいるか確認する。彼は迷子だ。蒸し暑い駅の構内で不安そうな顔をして行ったり来たりしていたので声をかけた。「どこで親御さんを見失ったの?」と訊いてみても要領を得た答えが返ってこない。子どもを探している保護者がいないか近くを見て回ったが、どうもそのような人はいなかった。それで少年と一緒に案内板を頼りに駅員室に向かうことにした。保護者もそこにいるかもしれない。
 大人になってからは少年と接する機会なんて滅多にない。こうして出会ったのも何かの縁だということを考えていると、まれにあることなのだが、自分が少年だった頃のことが次々に思い起こされてきた。それでまず、飼い猫とのエピソードが浮かんだのだ。その時の僕もこの子と同じくらいの歳だったな。
 僕は彼の緊張を解くために少年と何か話すべきか迷った。でも経験上、見知らぬ大人から声をかけられると却って緊張してしまうものだとも思った。実は僕自身も少し緊張している。話しかけるのも、話しかけられるのも、とにかく歳が離れた人と接するのってドキドキするよな。そういえば昔そのような経験があった——

 少年だった僕と彼女には歳の差が7歳あった。彼女が年上だ。大人だったら大した差ではないかもしれないけれど、歳端もいかない僕にとってそれは計り知れないものだった。
 彼女はいつもそこで本を読んでいた。家だと兄弟の声があって集中できないらしい。それを僕は知っているから読書中は決して声をかけず、読み終えて一段落ついたようなら話しかけるのだ。 
「今日はどんな本を読んでいるの?」と僕は尋ねた。「難しいタイトルの本だね。『レイ』しか読めないな」
「残念、これは『ライ』と読むんだよ。『陰翳礼讃』」と彼女は返して、そのインエイライサンという本の表紙をこちらに向けた。
「内容も難しい?」と僕は尋ねた。
「だいぶね」と彼女は答えた。「谷崎潤一郎という人が書いたの。昭和の随筆なんだけど、えーっと何て言えばいいんだろう、『羊羹が美味しいのは黒いからかもね』ってことが書かれてるんだよ」
 はっきり言って、ちっとも理解を深めることはできなかった。

 理解か。僕は視線を下げて迷子の少年を見た。この少年も親とはぐれた現状をうまく把握できず、不安に思っているかもしれない。やっぱり大人として含蓄のある何かを語りかけるべきなのかな。でも、糸口となる共通の話題が思いつかない。自分にも子どもの時代があったにもかかわらずだ。僕は悩んだ。子どもといったら何だろう? 宿題、それから虫取り、あとは駄菓子屋? そうだ、駄菓子屋だったら僕にも記憶の底に抽斗がある。

 小学校帰りの僕らに一大ニュースが飛び込んできた。学校近くの駄菓子屋が潰れるらしい。帰宅した後、急いでその駄菓子屋へ向かった。そして店に入るや否や「潰れちゃうの?」と口々に尋ねた。おばあちゃんは「そうだねえ」と答えた。
「どうして?」と友達の1人が尋ねた。僕はそこまで踏み込んで訊いていいものか躊躇していたのだけど。
「いろいろ理由はあるんだけど、一番はお金の見分けがつきにくくなったことかなあ」とおばあちゃんは答えた。高齢になって一円玉と百円玉のような硬貨の視覚的区別がつきにくくなったということらしい。
「寂しいかい?」と今度は逆におばあちゃんの方から尋ねてきた。僕らはみんな頷いた。
「そう思ってくれるのなら、それ以上のことはないねえ」とおばあちゃんは言って顔をくしゃっとした。

 でも、これを迷子の少年に話してどうなるだろう? 盛り上がりもなく、オチもないこの話を。いや、重要なのはそこじゃない。僕は根本から思い違いをしているのかもしれない。相手が子どもだからといって話を合わせることを重視しすぎなんじゃないか? 素直な思いを、これまた素直に言葉にすればいいんだ。「僕が君ぐらいの歳の頃はね、何でも欲しいものが手に入るとしたら、万能な靴が欲しかったんだ。絶対に紐が勝手には解けず、底も擦り減らないやつ。それさえあればどこへでも行けそうな気がしたから。君はどんなものが欲しい?」なんてどうだろう。いや、「靴屋さんって、人間がムカデみたいなたくさん足をもつ生物になればいいのにって思ってるかな?」の方が良いだろうか?

 あれこれ悩んでいる間に、もう僕らは駅員室を視認できるところまで来ていた。とにかくホッとした。迷子とか懐古とか、人生は大きな駅みたいに騒がしいな。でも、愛おしいとまでは言わないけれど嫌いでもないんだ。
 すると幸いにも少年の母親と思しき女性が涙ながらに駅員と話していて、こちらに気づいた瞬間、安堵した表情で歩み寄ってきて少年を抱擁した。駅員が「ちょうどお子さんが迷子になったとお母様が来られたんですよ」と僕に言った。母親は深々と頭を下げて謝辞を述べた。僕は改まって感謝されると照れてしまって、すぐにその場を切り抜けたい気持ちになった。それで話は最低限にして、早々に駅員室を後にすることにした。
 自分で言うのもなんだけど善いことをすると気持ちが良いものだ。これで爽快な気分で目的地に向かうことができる、と思ったところで、僕は電車に乗るために行くべきプラットフォームがどちらの方向にあるのか分からないことに気づいた。駅員室という普段は来ない場所に来たからルートが判然としなくなったのだ。すぐに駅員に訊こうと思ったが、駅員室にはまだ例の親子がいて今戻ったら格好がつかない。

 今度は僕が迷子になったのか……と真剣に落胆した後、親子がその場を離れるまでの時間を潰すために柱に身を隠し、不本意ながらまた懐古に戻った。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ