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ショートショート|想起椅子

 中学生の時に校内で行われた合唱コンクールが終わったその日の話。生徒会役員の1人(具体的には校内の美化を担当する委員会の長)だった僕は、生徒会副会長と一緒に来賓である幼稚園の園長先生に謁見する機会を得た。田舎だから幼稚園から中学まで同級生は同じ面子みたいなもので、かく言う僕も生徒会副会長もその先生には幼稚園児の頃にお世話になっているのだ。
「まあ、久しぶり。(生徒会副会長)ちゃん、(僕)君。すっかり大きくなったね」と先生は言った。
 僕が驚いたのは先生がちゃんと僕たちの顔と名前を憶えていることだった。卒園したのは約8年前のことなのに。
「憶えていただいているなんて嬉しいです」と僕は言った。すると先生はにっこり笑ってこう言った。
「そりゃあ忘れないわよ。可愛い教え子だもの」

 これが今から約5年前だ。一方僕は合唱コンクールで何の曲を歌ったか、指揮者が誰でピアノ奏者が誰だったか全く思い出せない。もっと言うと自分が何組に属していたかもすっかり忘れている。1年間も同じ組に属し、他人ではない自分のことなのに。
 要するに記憶力には大きな個人差があり、そもそも記憶自体、我々にとって完璧ではないということだ。憶えておくべきことでも打ち上がった花火みたいに脳から消えてしまうし、すぐに忘れたいことでもスニーカーの黒ずみみたいに脳にこびりついて離れない。

 だけど、それを解決する時代が来た。開発された〈想起椅子〉によって。今、僕はそれを利用するために病院の待合室にいて、名前を呼ばれるのを待っている。それまでに心の準備の意味を込めてこの想起椅子について情報を整理しておこう。
 想起椅子とは〈消えた記憶を蘇らせる装置〉だ。生み出したのはアメリカの泣く子も黙る超巨大IT企業の****社で、施術(と言われる)は病院で行われる。工学と医学の融合は近年目覚ましい成果を挙げているらしく、人工知能に組み込まれたニューラルネットワークとか人体のリバースエンジニアリングとかはよく話題になる。こういった言葉は一時は自分のものにした気になるんだけど、ちょっと掘り下げて深いところまで知ろうとすると全然理解が及んでいないことを認識させられる。だからあまり詳しく言及するのは避けようと思うんだけど、想起椅子の仕組みを簡単に説明すると、記憶を一旦コンピューターに送り込んで情報処理——記憶の残滓を大脳皮質から取り出す——をし、その成果物を脳に戻すみたいだ。施術は非侵襲で痛かったり血が出たりはしない。
 と、ここまで来れば薄々気づいていると思うけど、この装置のメインは頭にペタペタ貼り付けるケーブルつきのアレとそれに繋がれたコンピューターであり、椅子自体には何の仕掛けもない。だけどよりキャッチーで分かりやすい名称の方が良いということで〈想起椅子〉と呼ばれている。
 ちなみに、これとは逆に指定した記憶を取り除くことができる〈忘却椅子〉も世に送り出されたが、狙った記憶だけでなく残しておくべき記憶まで消し去ってしまうバグが発覚し、今も運用は休止中。それが発生する確率は航空事故に遭うのより低いとされているし、被害に遭ったら今度は想起椅子で記憶を取り戻せばいいのではという意見もあったが(しかしこの場合の成功率はかなり低い)、万が一のことを考えての判断らしい。また、むしろこちらの方が重要だと僕は思うのだが、罪を犯した人間が罪悪感を消すために忘却椅子を濫用するケースもあったという。ここまでくると倫理学とか哲学、はたまた神学の話になる。

 看護師さんに名前を呼ばれた。これから施術が始まる。そうだ、最も重要なことである僕が何の記憶を復活させたいかを確認していなかった。
 ズバリ言うと野球でヒットを打った場面だ。10歳の時のとある大事な試合で僕はサヨナラヒットを放った。僕の一打が自チームを勝利に導いたのだ。その記憶はぼんやりとしており、どんな球をどんな風にスイングしてどこに飛ばしたのか憶えていない。脳裏にあるのは〈チームメイトと一緒に喜んだ〉という結果だけだ。大した出来事ではないかもしれない。だけど、それは人生を歩む中で幾度となく僕を勇気づけた。その記憶を曖昧にではなく明瞭にしておきたいのだ。
 僕は今でも草野球をしており、ヒットを打つことがある。でもその喜びは1塁ベースに到達する頃にはほとんど消化され尽くしている。少年時代という眩しい時代のあのヒットだからこそ、この上なく価値があるのだ。そして、それはこれからも僕を奮い立たせてくれるはずだ。
 このことは事前に医師に伝えてある。僕は期待に胸を膨らませて想起椅子に座った。

 病院を後にした。施術を終えて75分前後で指定した記憶が蘇るという。自宅で正座して待っているのも緊張するから喫茶店でコーヒーを飲んで適当に時間を潰し、自宅の方へと向かう地下鉄に乗った。車内で思い出すことになる。それでもドキドキしながら吊り革を掴んでいると、予想はしていたけれど突然・・と言っていいだろう、僕の脳にピッチャーの姿が飛び込んできた。あの試合だ。心拍数が上がる。
 右手にグローブをはめているということはピッチャーはサウスポーだ。僕は右バッター。2塁にランナーがいる。我ながら用心深い性格で、僕はカウントボードでアウトカウントも再確認している。1アウトだ。両者準備完了。ピッチャーがボールを投げる。外角のストレート。僕はバットを振ってそれを打ち返す。
 ……が、驚いたことに全然ヒット性の当たりじゃない。余裕を持って捌けるくらいの勢いで、しかも真正面のセカンドゴロ。万事休す——ところが、最終回というプレッシャーもあったのだろうか身を固くしたセカンドがボールを捕り損なって股の下をくぐらすように後逸——つまりトンネル——をして、ボールはライトへ転がっていく。慌てて前進してきたライトがボールを拾ってバックホームするも、ボールがキャッチャーに到達するより先にランナーがホームに滑り込んで点が入ってゲームセット。それを見届けた僕は1塁ベース付近でガッツポーズ。
 何ということだ。車内でうなだれてしまった。僕が見事なサヨナラヒットだと思い込んでいたのは実は相手セカンドのエラーだったのだ。

 この一連の事件はやはり尾を引くことになった。俗に言う〈黒歴史〉というやつだ。なかったことにしたい過去。過ぎし日の栄光(だと思っていたもの)に縋って、それを取り戻すために施術費であるまとまったお金まで用意した僕。恥ずかしい。一体何をしているのだろう。僕は弱虫だ。小心者だ。
 この黒歴史を吹き飛ばしてくれる忘却椅子よ、どうか早く座らせてくれ——

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ