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「SFへの限りない憧憬」─『なめらかな世界と、その敵』

複数の並行世界をめぐる少女たちの青春を描く表題作のほか、伊藤計劃作品にトリビュートを捧げた恋愛小説「美亜羽へ贈る拳銃」、ソ連製の人工知能を描く改変歴史「シンギュラリティ・ソヴィエト」、現代の修学旅行生が未曽有の災害に巻き込まれる書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」など、2010年代を代表する傑作SF小説・全6篇!

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ただいま話題沸騰中の本書ですが,ちょっと前に読んだ雑感.
膨大なSF過去作品のレファレンスがあるらしいのですが,すべてに絶望しきった大学院生の頃にSFを読み始めたSF歴の浅い筆者は全然読んだことない本ばかりなので,本書を通してそれらの本も読んでいけたらいいなと思ってます.

とはいえ,別にそれらを知らなくても十二分に楽しめることができるし,どの層の読者にとっても読めるような短編集として仕上がっているのはとても素晴らしいことだと思う.

※弱ネタバレなので,注意

なめらかな世界と、その敵

その世界では人びとはいくつもの並行世界を自由に行き来する

散々言われているようなことだとは思うのだが,改めて.
まるで今敏の『パプリカ』や『千年女優』を文章化したらまさに,というパッチワーク状に広がる世界の文章表現が鮮やかでとても素晴らしい(はたまた筒井康隆の『虚人たち』を思い出すようなメタ的な世界とも言えそうだ).
これを巻頭作品に持ってきたというのは明らかに本書の導入としては大正解だろう.下記がその冒頭.

「うだるような暑さで目を覚まして,カーテンを開くと,窓から雪景色を見た.
青々と茂った庭の草木に,今もちらちらと舞い落ちている綿のような雪は,いずれ世界を一面の白に染めるだろう.路上に人の行き来は絶えている.昨日,川向こうの花火大会を見届けた窓にぺたりと頰をくっつけ,あたしはその冷たさと静寂に,ひとつ震えた.
夏も盛りになってきたけれど,朝起きて真っ先に,降り積もる雪を窓から眺めるのが,あたしの日課だ.半年ほど前に,大雪のせいで高校が休みになったことがあって,それ以来の習慣になる.七月であろうと八月であろうと,異常気象による大積雪の可能性が絶対絶無のゼロ,なんて日は存在し得なくて,だからあたしは毎朝,窓の外に雪を積もらせる.」


この世界では 「乗覚」と呼ばれるものが一般化しており,人びとは並行世界を自由に勝手気ままに行き来する.

「手足を怪我しようが視覚聴覚を失おうが家族を失おうが,少し居場所を変えればいいだけだ,何も苦しまなくてもいい.いつでも戻ってきてもいいし,戻ってもこなくてもいい.」

こうした感覚が当たり前の世界では死生観や人間関係,あらゆるものへの感覚が唯一無二の現実に生きる私たちとは異なっている.
とは言いつつも,実際の感覚としてはのらりくらりと世界を変えながら生きていくその世界の人間たちの感覚は,インターネットやSNSなどのディープウェブをはじめとしてさまざまな世界を持つようになった私たちと似ている部分もあるかもしれない.
この物語の世界観設定やストーリーは,世界を簡単に選び取れるが故に失われてしまうあるひとつの世界への解像度について問われているのかもしれない.


ゼロ年代の臨界点

1902年5月.日本SFの第一世代,ゼロ年代SFの歴史がはじまった.

「ゼロ年代の臨界点」と聞いて,おや,と思い読み進めていくと,開明女学校と呼ばれる学校に所属したある3人の女生徒にまつわる歴史が解説されている.
時代は1900年代,なるほどそういう設定か,と納得すると,まるで史実かのような詳細に描かれる筆致.日本最初のSF『翠橋相対死事』,ゼロ年代最大の作品『藤原家秘帖』...
思わずGoogleの検索窓に入力したって,そんなものは当然ヒットしない(余談だが,ヒットして一番最初に出たのは「藤原家の毎日家ごはん。」というブログだった).
設定に負けず劣らずの筆力が伺える作品.


美亜羽へ贈る拳銃

「WK○六六」.その銃は多くの人びとを安寧に導き,あるいは数えきれない魂を霧消させたかもしれない

『ハーモニー』よろしく,「人間の脳を弄る」世界(なんたって「ミァハ」ですから)での物語.『特定の人間を永久に愛する』ための機械である「WK」.
ユートピアなのかディストピアなのか.人間の感情までもコントロールできるようになった世界はさまざまな作品に登場するが,そのどれとも異なる独創性を持ち得ていた.
(自分の少ない読書経験で言えば長谷敏司による『allo, toi, toi』を思い出す.「他人の経験を自分の脳にインストール」が出来るという夢のような技術「擬似人工神経:ITP」が登場する)


ホーリーアイアンメイデン

姉は人を抱きしめるだけで,その人の人格を変えてしまう

抱きしめるだけで凶暴性を持つ人間を善良な人間に変えてしまう,究極の博愛主義のような能力を持った姉.技術的な物語ではないが,『美亜羽へ贈る拳銃』と同じく「人間の感情までもコントロールできる」を題材にした作品だ.

本書の趣が異なるのは,この話は能力を持つ姉と,その妹による往復書簡の形式で展開されていることだ(しかしながら,姉の文章は登場しない).
こうした形式は同作者による「彼岸花」を思い出させるが(『アステリズムに花束を』収録),そちらとは違い,ここには一人の書面しか登場しない.またタイトルの「アイアンメイデン」という表現からも「人格をコントロールしてしまう」ことに対する妹の思いが伺える.
姉の「呪い」とも言える能力に対する,妹の「呪い」とも言える愛が文章形式や構成により巧妙に表現されている.


シンギュラリティ・ソヴィエト

「「我らソヴィエトの人工知能─『ヴォジャノーイ』は,技術的特異点(テクノロギチエスカヤ・シングリヤルノスト)を突破した」
世界標準時一九六九年七月二十一日未明,自由主義諸国はコイントスに負け,《連邦のシンギュラリティ》時代の曙光を呆然と迎えた.」

ソ連がシンギュラリティを超えた人工知能を開発した,というifの歴史を描く.
アメリカは人工知能リンカーンを開発し,およそ人工知能大戦というものでも展開されつつあろうかという世界.
ソ連ではすべての国民はヴォジャノーイに監視され,階級現実技術によって国民が認識できる概念や視覚情報などは制限されている(「党員現実」などのネーミングも面白い).路面には赤ん坊が行進するなど,異様な共産主義的風景が広がる.一方,アメリカはリンカーンによって構築された「資本主義が共産主義を打ち負かした仮想世界」(!)で多くの国民が生活する.

こうした多くの設定を抱えながらも本作で展開されるのは「ホーリーアイアンメイデン」が如く姉妹の愛の物語なのがギャップがあって興味深い.


ひかりより速く、ゆるやかに

「新幹線のぞみ123号博多行は,次の停車駅,名古屋駅に到着する.およそ,西暦四七○○年ごろに」

本作品集に最後に収録されるのが書き下ろし作品である『ひかりより速く、ゆるやかに』である.
設定としてはシンプルといえばシンプル.突如として,ある新幹線で経過する時間が26000分の1になってしまう.つまり,新幹線内で1秒が経過したときには,外の世界で26000秒が経過しているということだ.そこから算出されるのは、その新幹線のが次の目的地に着くのは数千年後だということ.
その新幹線にはある修学旅行団体が乗り合わせていた.そして,たまたま修学旅行に参加せず,新幹線には乗らなかった人物が主人公だ.

LINEやTwitterと言った現代のガジェットやツールが登場するとともに,「唐突に災害が起こることによる変化」が描かれている.新幹線の周りには乗客の親族が仮設住宅を建て,世間はその災害を「物語」として消費する.主要線路を失ったJRは廃れ,人々の行動様式は変化する.ひとつの現象が多くの状況を引き起こしていく様が詳細に描かれている.

それはなぜ起こったのか,解決することはできないのか,と主人公たちは奔走してゆくが,世間は目まぐるしく変わってもいく.
現代社会に対し,さまざまなメタファーを抱えているようにも読め,いまだからこそ読まれるべき作品となっているのは間違いないだろう.







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