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映画「ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜」の感想

「ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜」という映画を先日見てきました。
それを見た感想や僕が思ったことを徒然なるままにお話しようと思います。
この映画は、認知症になったお母さんを90代のお父さんが支えていて、映像作家である一人娘が監督としてドキュメンタリー映画にした前作のその後過程を記録している映画なんですよね。
んで、端的に言ったらすごく感動しました。

キラキラだけではない、家族の日常

ネタバレになるのかな?この映画はお母さんの最後の瞬間まで収められている映画なんです。 僕は仕事柄いろんな方のお看取りをして。 最近はもう病院では働いてないから、そういう機会がだいぶ少なくなりましたが、最後の瞬間に立ち合うわけです。いろんな方々の締めくくりを見てきました。 ご家族の関係性みたいなものがこう最後の時間に集約されてくるというか、そこであぶりだされてくるというか。そういう場面を何度も見てきたんですよね。
本当に大切にされていたのがすごく伝わってくる家族もいれば、なかなかそうではない家族もいる。
まったく同じケースって無いんです。それぞれに背景があって、患者さんの思っていること感じていること、家族が思っていること感じていること、その家族の在り方は違うから、同じ病気、例えば「認知症の方」でも本当にそれぞれの物語っていうものは全く違うものです。。
今回この映画で表現されているのは、本当にこのご家族の日常なんですよね。
キラキラした素敵なところだけを切り抜いているわけじゃないんですよ。
もちろん全部じゃなくて、映画で部分的にスポットライトを当てておられると思うんですけど、キラキラしたところだけをみせているわけじゃなくて、このお二人が生きた歴史、娘さんである監督を含めたこの3人の家族の物語がここに収まっているんです。
いろんな葛藤とか、お母さんの感情、悲しみも含めて、包み隠さず映画で表現すること自体がまずすごいことだなと本当に思いました。

みんな命の終わりがくる

誰しも老いて行きます。年を取って段々体のいろんなところに不調が現れて、動きにくくなっていったり、体力が落ちたりしていく。誰しも通る道ではあるけど、特に最近は核家族化しているのでこういう場面に接する機会が少なくなっています。
で、ある時自分の両親に何かが訪れ要介護の状態になって、ええ?って驚き、最後の瞬間がきて、なんで!?って驚く。
もちろんピンピンころりで介護が必要なく締め括られる方もいらっっしゃいますが、いずれ最後の瞬間が来ることだけは確かです。死亡率100%。みんな命の終わりがくる。
なかなかそのことを日常生活の中で実感することが少ないわけです。
この映画には締めくくりに向かっていく過程が収められています。
いろんな大変な状況が生まれてくるんですが、悲壮感がないんですよね。そして喜ばしいことだけが収められているわけじゃないんですけど、それをオープンにみせているというのが凄いんだよなと思います。

お父さんの魅力

お父さんは、お母さんが元気で、いろんな身の回りのことを全部やってくれていた時よりも、生き生きし出しているように僕には見える。90歳になると人生もなんていうか、着地していく方向に向かう方って結構多いんじゃないかと思うんですが、お父さんは新たにいろんな家事を覚えて身の回りのこともして、さらに認知症の妻の介護をするっていう役割が降ってきて。それに対して一生懸命やっていくんですよね。それがまず凄い。その役割と、大切な人を思う気持ちがお父さんにとって原動力になっていたんでしょうね。
お母さんが脳梗塞になっちゃうんですが、歩いて毎日見舞いにいくわけです。凄いなと思ったんですよね。 こうやって映画になっているから、この父さんの魅力を僕は知ることができたんですけど、スポットライトが当たらないだけで、一人、一人それぞれに魅力があるはずだって思うんですよ。一人ひとりに物語があって、一人ひとりに魅力がある。僕はこの物語や魅力にスポットライトを当てたいって思っているから、この映画がすごく響いてきたんだと思います

「胃ろう」を作ることの葛藤

あんまりこの映画では強くフォーカスされていないんですが、胃ろうというものがあります。
胃ろうっていうのは口から食べられなくなってしまった時に、お腹の表面から直接穴を開けて、胃までチューブを通して液体の栄養を注入することができるように作られます。
栄養の確保だと点滴を思い出す方もいると思いますが、点滴はほとんど水なので、なかなか難しい。やっぱりお腹、消化器、腸を使った方がいいですね。血管だけより。
胃ろうは場合によっては意識がはっきりしていなくても、直接栄養を入れられるので、場合によっては延命行為になるわけです。命の期間を延ばすから延命治療と呼ばれる側面もあります。
そうするとやってよかったのかなという葛藤が生まれるわけです。
僕も医療機関でいろんな状況をみましたが、どうなんだろうかって僕が思ってしまうことも多々あります。
映画でも、お父さんと娘さんがどうだったのかなって、葛藤しているんですよね。
でも、個人的な感想ですが、この映画では、この夫婦においては、陳腐な表現だけど、そこに愛があるわけですよ。
正解、不正解、正しいとか間違っているってことではないんです。
もちろん胃ろうを作って生きている側がどう思ってたかっていうのはわからないんですけど、お母さんが生きていることでお父さんの生命の輝きに繋がっているし、お母さんが生きているということそのものが二人にとってとても嬉しい、大切なことだったわけですよね。
もしかしたらお母さんは本当はやりたいと言わなかったことかもしれない、だとしても、お父さんと娘さんの気持ちは伝わるんじゃないかなと思う。そう願いたいっていう感じです。

その人の存在自体が家族の生きがいになる

例によって僕は自分自身のことを考えていくわけですけど。
僕は食べることがとってもとっても大好きで、僕が寝たきりで意思表示ができなくなってしまったら、基本的に延命はやりたくないと思っていますが、もし家族がコミュニケーションを取れないけれど、僕の存在そのものに価値をおいて、胃ろうを作ってでもここにあって欲しいと願うのであれば、多少の辛いことでも我慢しちゃうかもしれないなと思いました。
食べる楽しみを失ったとしても、僕の存在によって家族が喜んでくれるのであればまあいいかと。やるならやるよと。
でも迷惑をかける場面を想像すると迷惑かけたくないなって思います。あの映画でもお母さんは「迷惑」って言葉を使ってたような気がしますが、これは前にも「子供に迷惑をかけるのは」みたいなお話をしたかと思いますが。自分がそうならないと、本当の意味での葛藤を味わうことはできないのかもしれません。僕の中で迷惑をかけたくないという思いがもっと強く生まれてくるんでしょうけど、そこで家族や僕の周りの人たちの生きがいや成長、そういうものにつながっていくのだとしたら、それはそれで感謝として受け取るしかないのかもしれません。
なんて徒然なるままに、そんなことを思いました。

まとめ

まとめると、とってもいい映画でした。
見せたくなかったかもしれない姿も、ありのままにではないかもしれないけど、こうやって人の目に触れさせるその勇気が素晴らしいなと思うし、それを悲壮感を持ってやっているわけじゃなく、この3人だからこそ生まれる、なんというか朗らかさというか明るさみたいなものを感じ取れる、いい映画でした。
この映画をきっかけに、歳をとっていくこととか、どういう締めくくりをしていくのかとか、そういうことを考えるいいきっかけになるといいなと思います。
そのことをACP(アドバンスケアプランニング)っていうんですけど、人生会議をね、ACPを考えるいいきっかけだなぁと思います。
僕は、締めくくりのサポートをすることも大切ですが、もっと早い段階で家族をサポートすることができたらと思います。締めくくりの時間、その瞬間までに、もっと素敵な時間を過ごせる家族が増えていくんじゃないのかなって思ってます。
あと、人は役割や生きがいを持つこと、誰かのためにっていうのが生きる柱に、原動力になってくるんだよなぁと。
そのことを裏に返すと、だらかの世話になること、迷惑をかけることももしかしたら相手のプラスになることもあるんだろうなぁ。そんなふうに思いました。

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