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他者と関わる|組織と危機|人類学者・磯野真穂さんの講義受講ノート4

事前にテーマとわかっていたメアリ・ダグラスの「汚穢と禁忌」を購入して準備した。
(まず「汚穢」が読めない。「おわい」って読むらしい。)

が、かなり内容が難解で、というか講義までの時間がないという言い訳もあり、読むのは断念して臨んだ。

ということで、講義の内容も一部抜粋しつつ、自分の考えをまとめて行こうと思う。


素朴な正しさ主義

正しく摂食障害が理解されたら、世の中から摂食障害が解決するのか。
摂食障害は様々な言葉に置き換えられる。

今なら、コロナウィルスだろう。
正しく物事を理解することができたとしても、問題が解決しないことも多い。
それぞれが、コロナウィルスに対する正しい行動様式というものを持っていて、その正しさをお互いがかざし続けると対立になる。

今、世の中で、大なり小なり、対立がある。
命を守るのが先決だ。
経済が回らないと命だって守れない、だから経済を回さないといけない。
そんなこと言って社会的弱者の命を軽んじるのか!

と、人の数だけ正しさがあるのだから、正しさと正しさは対立をうむ。

だから、象徴という言葉がヒントになってくる。

象徴とは、新明解国語辞典によると

「言葉では説明しにくい概念などを具体的なものによって表すこと」

とある。

何らかの、言葉では説明しにくい抽象的な概念を、
コロナウィルスという具体的なものが象徴している

言葉では説明しにくい概念とはなんだろう。
象徴の裏にある、意味とかストーリーということだろう。

解釈モデル (講義外の内容)

この意味とかストーリーについて理解するには、解釈モデルというものが参考になるかもしれない。
解釈モデルとは、医師であり文化人類学者のKleinmann の提唱した概念で、その人が病気をどのように理解しているかということだ。

なんらかの体調不良で外来を受診したとき、医師は診断をして「疾患(disease)」という名前をつける。

一方で、外来を受診した患者さんには、同じような体調不良でも、ひとりひとり違った「病い(illness)」の体験をしている。
ところが、「病い」の体験は、具体的な事実を元に判断することができる「疾患」とは違って、多種多様で掴みにく抽象的なものである。
そのため、「病い」という抽象的なものを捉えられずに、「疾患」という具体的なことだけを診るということが起こる。
逆に、患者さんが「疾患」よりも「病い」を診てもらいたい場合、不満を抱えたまま医師への信頼感を失っていく。

具体的には、かきかえ(解釈、期待、感情、影響)と覚えることができる。
総合診療医には必須のフレームワークだ。

例えば、「咳が止まらない」ために受診した場合を考えてみる。
ある人は、接客業をしているため、人にうつるような病気なのかを心配しているのかもしれない(感情)
仕事中に咳が出ると困るので、とにかく良く効く咳止めが欲しいのかもしれない(期待)
もしかしたら、肉親を肺の病気で亡くしているため、自分もその病気に違いないと思っているのかもしれない(解釈)
咳のせいで寝不足となり困っているのかもしれない(影響)

コロナウィルスという象徴の裏にある、それぞれの解釈モデルに思いを馳せることができれば、お互いにもう少し理解し会えるのではないだろうか。

ああ、だから対話が大切なんだ。

『危険とは多種多様なものであり、それはあるゆるところに遍在している。もし個人がそれら全てに気を配っていたら、どんな行動もとれなくなってしまうだろう。不安とは、それらの危険からある種の選択をすることでなければならないのである』
メアリ・ダグラス「汚穢と禁忌」P.26

全てのリスクを避けるわけにはいかない。どんなリスクをとって、どんなリスクを回避するのか、そこには個人の物語がある。

選択した結果を正しい、正しくないと評価しあうから対立する。
その裏側にある物語、つまりプロセスだったら分かち合うことはできるのではないだろうか。

組織としての危機回避

もともと口の中に入れることができる食べ物が、洋服についた時点で「汚い」と表現するのはなぜか?

この問いは、普段何気なく使っている言葉と、その言葉にまつわる思考を考え直させる面白い問いだった。
この問いは、犬の◯ンチと人間のウン◯、道路に落ちていたらどっちがイヤかという問いにも通じる。

本来、そこにあるはずの場所にない、ということが秩序というものであり、その秩序が乱されたものを汚いと表現しているに過ぎない。
この秩序というものは、人それぞれなので、汚いと思うかどうかは個人差がある。

そして話は、組織論、グリッド・グループモデルにうつる。
この切り口は初めて聞いた。

グループ:組織の集合性の強弱
(自己の属する集団とそうでない集団の間に築かれた境界の強弱)
グリッド:組織の階層性の強弱
(組織内におけるここの動きを制限する権力の区別)
douglas.M Wildavsky.A “Risk and Culture”1982 磯野真穂講義資料より

グリッド強:グループ強 → 階層型(Hierarcchical)
グリッド弱:グループ強 → セクタ型(Sectarian)

リスクへの反応の仕方が、階層型とセクタ型で異なる。
階層型は、自分たちの利を率直に訴える
セクタ型は、大企業や科学が諸悪の根源とみなし、善と悪をわかりやすく二分しやすい。

システムとして起こっていることは、個々人の思惑の枠組みを超えていることがある。
個人個人の人格を責めあうのは、悲しいことだ。

まとめ

象徴の裏にあるストーリーを分かち合うこと
組織の型という構造によってリスクが変わるため、その中の人格を責めても仕方がない


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