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必要なことは、必要なタイミングで起きてくる

↑音声にもしてみました!

「運」と「縁」について考えてみました。
新明解国語辞典によると、

運『物事を成就させるか、成就させないかの(命が全うされるか全うされないかの)、巡り合せ』
縁『ある運命になる巡り合わせ』

だそうです。
巡り合わせってなんでしょうね。
偶然なのか、必然なのか。

偶然といえば、このまえ、「急に具合が悪くなる」という本を読みました。

哲学者の宮野真生子さんが、乳がんにより「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われている状態で、人類学者の磯野真穂さんと交わした10回の往復書簡を書籍にしたものです。

二人の魂の言葉のやり取りによって紡ぎ出される言葉のいぶきに、僕の魂も震わされました。偶然という言葉のもつ奥深さを知り、自分にとっての運命とは何か、考えさせられました。

この本をガッツリ紹介したらとても長くなってしまうので、いつか記事にできたらなと思っています。

そこに、アメリカの文化人類学者であるクリフォード・ギアツの言葉が紹介されていました。

「人は自らが紡ぎ出した意味の網の目の中で生きる動物である」

この言葉が妙に響いて、残っているんですよね。

僕はいつも、必要なことは、必要なタイミングで起きてくる。と考えています。

それでも、どうしてもそれが必要だったとは思えないことが起こることがあります。

今日のmy life story

僕は、医師になって最初の2年である初期研修を千葉で過ごしました。

その中で、忘れられない高齢女性がいます。
重症肺炎になり、本人の意思を正確には把握できない状態でした。

そんな中、僕は、命を救える可能性もあるから人工呼吸器が必要だと考えました。そして、人工呼吸器まではやりたくないという家族を説得しました。しかし、人工呼吸器を使用して回復を待ちましたが、結局、命を救うことができませんでした。

このとき、担当が自分じゃなかったら治せたのではないか。

薬の選択が、人工呼吸器の設定が、もっといい選択ができたのではないか。

そうやって、自分を責めました。

自分のせいで、命を全うさせられなかったのかもしれない。
その人は、自分と巡り合って、運が悪かったのかもしれない。
まだ、今でも少しだけ、心残りがあります。


振り返れば、改善点は見つかるものです。
残念ながら完璧な医療はあり得ません。
どんな証拠も確率でしか、表されていないからです。

医師は、その時点でもっとも確からしい治療を選択していきます。
さらに、治療の反応には個人差もあるので、何が正解なのかはわからない中で、最善をつくしていくことしかできないのです。

それでも僕は、このことをきっかけにして、名古屋大学附属病院の救急科に進むことにしました。そこでは、救急と集中治療を学ぶことができると考えたのと、最終的には直感でした。

自分はもう、命を取りこぼすということは、絶対にしたくなかったのです。

救急集中治療に従事して、僕は、完璧な医師になることを目指していました。

僕の目の前で、人が倒れていて、僕が関わってその人を救えなかったとしたら、自分以外の誰がいたとしてもその人は救えなかったんだと、そう思えるようになることを目指していました。

その結果、とても苦しみました。

名古屋行きが決まってから次男を妊娠したことがわかりました。頼るあてもない名古屋で、妊娠中のカミさん*と、当時4歳2歳の子どもたちと4人で暮らすことに。(*妻のことを神様のように感謝する気持ちを忘れないように、カミさんと書くことにしています。)

そして、救急・集中治療では、救える命と救えない命が目の前を通り過ぎていきました。

プライベートの時間を削ってでも、早くたくさん経験をして、完璧な医師にならなければ!

自分の修行が足りないせいで、命を取りこぼしてしまうかもしれないという恐怖に、日々怯えながら仕事をしていました。

自分のせいで、誰かが死んでしまうかもしれない恐怖。

でも、家族には自分しかいない。家族のことも自分がしっかりサポートしないと!!

そんな葛藤を抱えながら、10月に次男が無事に生まれました。

育休が許可されないという逆境にも負けず、なんとか2週間程度の育休代わりの休みをとり、一部の人から批判を受けたりもしました。(今となっては、育休が許可されないってあり得ない!って思いますけど。)

さらに、次男がRSウイルス肺炎になり、入院するなら親の付き添いが必要とのこと。

上二人の面倒は仕事を休んで自分がみなければ。。。無理やり育休とったのに、さらに休むのか。。。

(大学病院勤務中は、給料は外勤というアルバイトによって支えられますので、仕事を休んだら休んだで収入が激減します。)

ちょうどその頃、目の前を通り過ぎる救えない命を目の当たりにして、自分の命だって保証されているわけじゃないよなと気がつきました。

救急集中治療をがんばって、完璧な医者になってから、在宅診療とか人生に寄り添う医療を始めよう、と思っていました。

でも、自分があと何年医者をやっているのかなんてわからないじゃないか!

伊坂幸太郎の終末のフールに

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」〜〜「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

というセリフがあります。

当時の僕には、これがとても刺さりました。

いつか、家庭医療をやるつもりなら、
いまから、本当にやりたいと思っていることをやろう。

そう決心して、名古屋での救急集中治療の修行はたった一年で終えることにしました。

そして、富山大学の先輩と同級生がいたご縁で、筑波大学総合診療プログラムに入りました。

家族に名古屋までついてきてもらって、たった一年で挫折。
救急集中治療を極めた完璧な医師に、俺はなる!と決めてたった一年で挫折。
なんでもっと、ちゃんと進路について考えなかったんだろう。
直感とかいって、事前調査不足のただの言い訳じゃないか。
自分が恥ずかしいし、家族に申し訳ない。

しかも、名大病院、救急科医師9人が月末に一斉退職
参考(朝日新聞デジタル):https://www.asahi.com/articles/ASJ3Z30SSJ3ZOIPE001.html

この、9人中の1人なんですよ。ニュースになっちゃいました。

こんなことが、必要んだったなんて、思えるわけない。


でも、いま、なんで名古屋に行ったのかな、と考えると、そこにはちゃんと意味があったと思えます。

あの時、僕は完璧な医師になることを目指していました。

家族の危機がなければ、
人の命を救うという大義名分の上に、
家族を犠牲にしていたと思います。

あの時の、完璧な医師と家族の安全の間で、苦悩と葛藤があったからこそ、

いま、家族を大切にしたいという情熱がある。

完璧な医師にならなければいけないという呪縛が溶け始めたきっかけでした。

こうして、4年経って、やっと、あの一年に意味を見出すことができました。

「人は自らが紡ぎ出した意味の網の目の中で生きる動物である」

直感による名古屋行きという選択は、正しかったのか、間違いだったのか。

3年前は、間違いだったと思っていました。

今は、ちゃんと必要なことが、必要なタイミングで起きただけだったんだと思います。

正解とか不正解とか、その時点での意味付けでしかない。

きっと、いま、そこに意味が見出せないこと、深く傷ついていること、苦しいこと、何かしらありますよね。

明けない夜はない

止まない雨はない

確かにそうなんだけど、希望が見えない時は、明かりが欲しいし、傘が欲しい。

いま無理に、そこに意味を見出す必要はないんじゃないかな。

人はみな、何かしら抱えて生きています。

大切なことは、あなたは1人ではないということ。

必要なことは、必要なタイミングで起きてくる。
でも、いま、これが必要だと無理に思う必要はない。
いつか、きっと、これが必要だったと思える日が来る。

この記事が、どこかの誰か、必要な人に届くことを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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