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【ロシアと戦った恩師③】石井紘基先生

 僕が学生時代に秘書見習いで4年間働いていた社会民主連合・江田五月代表の議員会館事務所で第一秘書だった石井紘基さんからは多くのことを学んだ。石井さんは社会主義を学ぶために旧ソ連のモスクワ大学に留学したがそこでソ連の崩壊と社会主義の失敗を確信して帰国された。  ソ連留学から帰国した石井紘基さんはソ連の独裁体制と社会主義経済の崩壊を予言し、日本もまたソ連に似た「官僚制社会主義」の社会であることに気付かれた。帰国後社民連で市民ネットワーク社会の実現を目指して選挙に立候補、僕は秘書の泉房穂さんと選挙運動で働いた。  石井紘基さんは落選の後当選して議員となり野党勢力の結集と民主党結党に尽力した。国会では特殊法人問題を追及してタブーに切り込んだ。しかし重要議題の国会質問の直前に2002年に右翼に殺害された。僕は口封じのテロリズムだと考えている。『つながればパワー』は名著です。石井先生、本当にありがとうございました。

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