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頑張るというコト。

頑張ると言うコト。
頑張りたい。
頑張らねば。
頑張ったら。
頑張った先はどうなっている。
頑張った先に求めるものは。
頑張った先に何がある。
頑張った先に考えるコト。
頑張った先に...........

子供時代頑張ったら いいもの買ってあげる。

そんな親の言葉で 頑張った記憶がある。
頑張ったら 買ってもらえる。
買ってもらうために頑張る。
どちらも、結構思っていた記憶。

頑張りがいいモノにすり替わる。
モノにすり替わる為には お金が必要になる。
そして 父親の一言

買ってやったんだから、もっと頑張れ。

と。
今から思うとあまりいい言葉ではないと感じる。
一番私が求めているのは、
お父さん お母さんに買ってもらうコトではなく。
頑張った経過を見て欲しいと言うコト。結果を見て欲しいのではない。
ホントに頑張れているとしたら、お金でモノにすり替えるほめ方ではなく ホントの私自身の気持ちが心から嬉しいと感じる 温かい気持ちになれる言葉が一番嬉しい。

一瞬 瞬間欲しいモノに目が眩んで、心ウキウキ。でも 一瞬 瞬間のモノは嬉しさも一瞬 瞬間に消えていく。

だったら心に残る言葉が欲しい。

なぜそんなに自分の子供時代のコトを今更綴るのか。

それは、ヒロさんのおじさんになっても取れない寂しさも、ひとつの要因がここにあると 私が夫婦生活の中で感じてきたから。親に褒めて貰ってないから、妻の私に褒めてもらうために頑張っているのが、凄く感じる。そんなに頑張らなくていいよと、いつも思う。自己犠牲というのか。

もう一つは、私が主宰する書道教室。長年子供達を見てきて、ほとんどの子供が持っている気持ち。上手く書いたコトだけを褒めるのは、ホントの褒め方ではないと感じる。お父さんお母さんが喜ぶからと頑張ってしまう。でも、自分が書く習字の文字は正直。のびのび書けるか、縮んだ文字になるかは、心から滲み出る。絶対、自己表現の文字は、心の鏡である。落ち着いて書けないのも、そんな気持ちの現れだと感じる。

頑張ると言うコトは、誰かのために頑張るモノではない。自分のために。自分のために頑張った先は、これまでにない幸せな気持ちに。

いつも暮らしの中で感じています。みなさんは、いかがでしょうか?

忙しさに意識がいって 自分のコトを犠牲にしたりしていませんか?

私も昔はそんな所もあったかも。やっと気がついてきました。何才になっても自分への問いかけは必要だと思っています。

福地家復活プロジェクト進行中!自分の気持ちに素直に向き合う。家族で家族を考える時代がきている 来てしまっている そろそろ本気で考えないと。そんな本気のディスカッションが出来る日が来るコトを夢みて………………








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