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part.9 第3回全国ヨーグルトサミットinいわてが繋ぐ絆とレガシー

総合プロデューサー小林の誕生

はっきり言おう。
私はプロデューサーとして適任ではなく、優れた人間でもない。

では、なぜ総合プロデューサーという大役を仰せつかったのか?
そこには大きな後ろ盾となってくれた存在があるからである。

岩泉ホールディングス(以下岩泉HDと敬称略)の代表取締役である山下欽也(やましたきんや)氏はじめ、下道(したみち)副社長、佐々木(ささき)統括部長、そして、おおのミルク工房の浅水巧美(あさみずたくみ)専務取締役といった、上役でありメーカーという枠を越えた諸先輩方の支えあってこそである。
「若い人間が前に出なさい」。
あの時の意味を今になって分かる自分自身は、サミットを通じて本当に成長させられたのだと心から思う。

岩泉ホールディングス 山下欽也ここにあり

ここで話しておかなければならないのが、岩泉HD代表取締役社長山下欽也氏及び岩泉HDである。

先日、山下氏の講演を拝聴した。
心待ちにし、期待に胸を弾ませてた。
勿論、以下の話の一部は山下氏、そして岩泉HDの社員から聞いていた。
正直言おう。
結果は想像以上であり、県内、いや全国でも有数のリーダーシップと人徳を持つ人物であると断言できる。

サミット事業を伝えていく上で、山下氏を語らなくては次に進めない。
それを理解していただくが故、私がまとめた講演内容を伝えることとする。

不退転の覚悟

タイトル「価格や量とは別次元で未来を創る~度重なる苦境を乗り越えて~」と題し話は始まった。
岩泉HDの走りは岩泉乳業。
2004年設立、2006年操業と決して歴史が長い会社ではない。

株主は岩泉町・酪農家・JA・その他。
当時は50戸いた酪農家であったが、20戸弱まで減少。
西和賀町も同じだが、1次産業が弱ってしまっては元も子もない。

山下氏は地域酪農と岩泉HDは両輪であると語る。
10年以上行っていることとし、酪農家を都内に招待し、岩泉ヨーグルトの視察や売場体験を無償で行う。
自身で搾った生乳から作られた製品がどのように一般消費者に届いて売られているのか?
乳業・酪農家の相互理解だけでなく、モチベーションにもつながる。
近年では、自由に使っていいと酪農家一同に1000万円を寄付した。
用途は任せる。
そう伝えたところ、実に喜ばしい結果が出た。
酪農家たちが皆で決め、自発的に北海道で種牛を3頭購入したのだ。
その後、血統の良い牛が出来たのだという。
目先の利益ではなく、未来を自分たちで切り開いていく姿勢を山下氏に見せられ、自発的に行動に移したモデルケースだ。
「ドラゴンブルー」という品種の牛と出会ったら、岩泉から誕生した牛だと山下氏は嬉しそうに語る。

1次生産である酪農家さんに感謝の意を表し、そこにお金を惜しむことはない。
しかし、創業当初からこういったことができたわけではない。
話は2008年まで遡る。
当時岩泉HD、牛乳を中心とし販路拡大を目指すが、消費低迷・価格競争の激化により、次々と責任を問われ、1年間で3名も経営者が変わっていた。
その年、離職者は後を絶たず、従業員21名中、7名が退社。
赤字経営が続いた。
そんな中、2009年4月に山下氏が社長に就任。
ゼロからでなく、マイナスからのスタート。
そのプレッシャーは計り知れない。

抜本的な改革が必要であった。
主力であった牛乳から発酵乳、ヨーグルトに切り替えた。

市場で販売される牛乳は200円前後。
生乳の原価をご存じだろうか?変動があるものの、牛乳に処理した場合、約100円前後である。
これを殺菌して「牛乳」という、皆が安心して飲める製品になる。
お分かりだろうか?
皆が当たり前のように200円前後で購入している牛乳。
乳業メーカーには包材費・光熱費・人件費・輸送費などが発生する。
さらに、200円前後で販売する場合、スーパーや問屋には2~3割引いた形で納品する。
つまりこの場合、140円~160円が商品を納める価格となる。
改めて、お分かりだろうか?
市場で勝負ができないのだ。
価格を上げればいいだろうという声もあると思う。
一般消費者は500円・600円する牛乳を果たして毎日買うだろうか?
人々は殺菌温度の違いで牛乳を選んでいるだろうか?
否。大半は価格で牛乳を選んでいる

そこで、ヨーグルト。
こだわりやストーリーといった付加価値をつけて販売できるヨーグルトに着目し、主力商品を切り替えたのである。
この先見の明は流石と言えるであろう。

山下氏は不退転の覚悟を持って、新たな市場へ活路を見出した。
それが、ホテル・病院・通販・温浴施設だ。
岩泉ヨーグルトの誕生起源は業務用ヨーグルトにある。
元はホテルに卸していた業務用ヨーグルトを一般家庭でも召し上がっていただける仕様に出来ないか?
ここがアルミパウチヨーグルト発祥の起源

岩泉HD工場:小林撮影

アルミパウチは、光の遮光性や密閉性に優れ、品質を損なわず最後まで美味しく召し上がっていただけるという特徴がある。
これに加え、中小乳業だからこそ取り組める要素があると山下氏は語る。
①菌株の権威からの指導
②地元産(岩手県産)の新鮮な生乳を使用
③市場では稀少な「低温長時間発酵」に挑戦

中身の良いものを徹底したのである。
良い製品が出来上がった。

しかしこれではまだ足りない。物流問題だ。
岩泉町は岩手県の県北に位置する。
高速がなく、交通の便が悪い。
その逆境を乗り越えるべく、何度も足を運び、大手宅配業者(ヤマト)と連携。
365日全国どこでも商品を流せる環境を作った。
今では、岩泉町で集荷されるクール便の98%が岩泉HDだ。
製品・物流は整った。

あとは売るだけだ。先ずは知ってもらうことが大事だと考えた。
軽トラックにて町内行商をスタートさせた。
未だに続いている事業だが、先ずは住んでいる住民の理解。
通常で販売する価格より下げ、還元し、その分応援してもらう。
そして、スーパーやデパートに出向いての試食会だ。
お客様と対面し、手応えを掴んだ。さらに、町内の皆さんが知人に紹介をする環境、応援隊、サポーターづくりを促した。
当初、町では賛否が二分したものの、徐々に応援してくれる方が増え、今では町民殆どがサポーターだ。

広報活動にも努力を惜しまない。最も力を入れていると言う山下氏。
それもそのはず。
大きな経費をかけずに、社会に訴求できるからだ。
独り善がりでは意味がない。
県庁や広報にポスティングし、意図的にリリースをかける。
記者会見は必ず昼に行う。
これは、メディア関係への配慮。
内容を持ち帰り編集、そして夕方のニュースになるまでの余韻を作る。
だからこそ、メディアとの付き合い方は日頃から大事であると山下氏は語る。
こういったノウハウを伝えてくれるあたりが、山下氏の器であり、太っ腹社長たる由縁だろう。

社員教育にも余念がない。
「社長が会社にいると社員は気持ちよく仕事ができない」と山下氏は語る。社長は3年・5年先を見据えて行動する。
講演や社長同士での商談を経て、自身の知見を高めるという。
課長級以下には優しく、マネジメントに携わる副社長・部長級には厳しく。
当然であろう。会社の機関を担う存在なのだから。
下道副社長や佐々木統括部長は相当鍛えられているに違いない。

研修にはお金を惜しまない。
ここでいう社員研修は、人材育成の部分が大きいと思う。
海外研修や次世代幹部育成プログラムなど、社員の底上げを図る。
そのためのモンドセレクションエントリーと言っても過言ではない。
授賞式の際は山下氏本人だけでなく、社員も連れていく。
金賞連続受賞は、言わずもがな有名な話だ。

モンドセレクション受賞:小林撮影

こういった弛まぬ努力により、2012年ついに初の黒字が出るのである。
ここから一気に事業が加速する、そのはずであった。



2016年8月30日㈫、突然の出来事だった。
全国各地に甚大な被害をもたらした台風10号。
工場の大半が氾濫した川の水に呑まれ、操業停止を余儀なくされた。
町の基幹産業となり、全国的にも知名度が上がり、これからというところ。
その虚無感は、私では到底推し量れない。

そんな中、全国から多くの励ましの言葉や復活を心待ちにする手紙が各所から届いた。
その数は1000通にも及ぶという。
90歳を過ぎた関東に住むおばあさんから「早く、私が生きているうちに、もう一度食べたいです」。
この手紙には本当に救われたという。
後日談。工場が再建してから、山下氏はこの女性に直接御礼の挨拶に行っている。
こういう所に、社長としての器だけではない、人間としての道徳を感じる。

この間、山下氏は社員を1人たりとも切ることはなかった。
そんな中、3人の希望退職者が出た。
社員を守ることができなかった。
このことを未だに悔いているという。
この人徳に支えられた社員は多いはず。
応援してくれる、みんなに岩泉ヨーグルトを食べてほしい。
そういった思いから、一念発起。
わずか一年で、岩泉HDは不死鳥の如く蘇ったのである。

ここで、私の持論を述べるのは、あまりにもおこがましい為、岩泉HD山下氏の真の言葉をそのままお届けしたいと思う。

【岩泉ホールディングス 山下欽也代表取締役社長】

昨年の8月30日に岩手県沿岸に上陸した台風10号により岩泉町は壊滅的な被害を受けました。
当社も例外ではなく3つの工場のうち2つが全壊し、本社工場は2階部分がかろうじて残りましたが製造エリアである一階部分が全壊したことで全ての製造能力を失うことになりました。
一時、製造再開は絶望視されましたが、国や県等の関係機関のご指導と、なによりも「全国の岩泉ヨーグルトファンの皆様」の心温まる応援メッセージや1000通を超える励ましのお手紙に役員社員共々「前に進む力」を頂きました。
心から感謝を申し上げます。
私たちはそのお一人おひとりに一日でも早く岩泉ヨーグルトをお届けしたい、その一心で今日の再開を迎えました。
応援して頂きました皆様とは、単にヨーグルトのメーカーと消費者の関係ではなく、もっと深く強い信頼と繋がりが生まれたと確信しております。
大変お待たせ致しましたが、この度ようやく製造再開を果たすことが出来ました。
是非、この蘇った「岩泉ヨーグルト」をご家庭で楽しんで頂ければと存じます。
今後とも微力ではありますが食に携わる者として皆様に「安心と安全と信頼」をご提供させていただきますので、今まで以上のご愛顧をお願い申し上げまして「御礼と再会」のごあいさつとさせて頂きます。


これが、山下氏そして社員が築き上げた岩泉HDである。
現在はHD内115名の他、きのこ産業130名、観光43名(2022年1月28日時点)の全てを取りまとめる。
3年、5年先を見据えて行動する、その言葉に嘘はない。

現に、化粧水事業やイタリアンジェラートVITOの展開、道の駅にてピザ屋のオープンなど、新たな事業を手掛ける。

VITO:小林撮影

2022年2月、地元生乳を使用したイタリアンジェラートの専用工場を稼働させ、岩手の玄関口である盛岡市にカフェの出店が決定している。
今後は他地域への展開も検討している。
地域の未来づくり・暮らしづくりのモデルケースになると言って過言ではない。
益々岩泉ホールディングスの取組から目を離せない。

話を小林に戻そう。
如何だろうか?こんな後ろ盾があっては、断ること自体が失礼。
小林にとっても不退転の覚悟をもって、2021年3月15日㈪総合プロデューサーとしての責を担いだのである。


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