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老いてなお迷走

まえがき

 「哲学をすることは死を学ぶことである」
古来より多くの哲学者のことばである。死を学ぶことは同時に、生きることを学ぶことでもある。生命の本質が「死」によって成り立つと前提すれば、おのずと生の意味を深く考えることになる。
 私が哲学を好む理由は、人間の本質や反社会的なものを曝け出し、「何故、何々なのか?」と論及するところにある。その問いに考え抜いて、自分なりの納得を見出すと生きる力となる。私は哲学によって、常に死に向き合う態度を修練してきたといえる。
 今、まさに老年期となり「死の接近」の現実味を帯びて来た。
 若いときの死を意識させるトリガーは、社会の不条理、人間関係、自分自身と明確である。ゆえに対峙するものに自らの存在を回復すれば、生の意義を見出すことが出来た。だが老年は人生の終盤を突き付けられ、回顧するなかでこれからの自分との向き合いが問われる。
 老年は諸々の柵から解放され、執着、私欲といった俗念から自分を遠ざけることが出来る。老年とは余命の使い道をいかようにも考えられる時間が与えられたということでもある。それを手応えあるものとすれば、満足な「逝き方」といえる。
 現代においても、まだ死を論じることはタブー視され、近親者は特に触れたくないテーマである。
 「終活」という言葉が流行し、生前による遺品整理を促す風潮にはなってきた。
 だがブームに乗り遅れまいと、身辺整理をしたのは良いが、「死のレッスン」がされてないため、余命の使い方が疎かになり、死を前にして悔恨の念に捉われ、生命への執着となり嘆き悲しむ。
 本屋の棚にも多くの作家の「老い」をテーマとした本が並べられている。
 哲学者、作家の説く「生き方・死に方」が私の思考回路を辿って、人生にどのように影響を与え、老いに到達したかを考えたい。

Ⅰ. キケロの「老年学」

 キケロの「老年学」を知ったのは、長井苑子著の、「生きつづけるということ」の中の作品であった。
 ローマ時代のキケロの語る「老年」の問題は、現代の老年の心情と通ずるものであった。
 キケロは老いをみじめにさせる四つの問題点を明らかにし、それにどう反応するかは自らの判断で選ぶことが出来ると説いた。

① 公の活動から遠ざける

  この問いに「老人向きの仕事がないというのか」と論を重ねる。

② 老年は肉体を弱くする

 「体の適度な使い方さえあれば出来るところで努力する。人生の各部分にはそれぞれその時にふさわしい性質が与えられている」と答える。

③ 老人はほとんどの快楽がないとするのは俗説だ

 「理性と知恵で快楽を斥ける事のできぬ以上、してはならぬことを好きにならないようにしてくれる老年というものに大いに感謝しなければならない。あらゆる欲望への服役期間を満了して、心が自足しているということ
は何と価値あることか」と説く。
 老年期の長い現代では、老人の性や快楽も考えなければならない問題であるはずだが、社会的にはまだタブー視されている。特に家族や介護現場では、嫌悪感すら抱く人がいるのが実情だ。
 老年は心が自足する快楽のあり方を収得するが、性的欲望が現存することも確かである。この問題を曖昧にせず論及することが、老人の生きがいに繋がることになるのではないだろうか。

④ 老年は死が近い 

  キケロは「やはり人間にはそれぞれ相応しい時に、消え去ることが望ましい。生きるということの限度をもっているが、魂は生き続け死は恐れるべきものではない。自分は日々、多くを学びつつ老いていく」と締める。
 キケロの説く「老年について」は、当時三十代の私に「老いの迎え方」の心構えをイメージ付けしてくれた。

Ⅱ. ジャン=ジャック・ルソー

 ルソーは、「私たちはいわば2回この世に生まれる。1回目は存在するために。2回目は生きるために」と言った。
 「長寿時代は存在するだけではなく、生きる目的をもって自分の生き方を自分で決めて生きていかなければ、充実した人生を送ることは難しい。若いうちから覚悟する必要があり、老いてこそ死を恐れずに生きることだ」
 この章の語る、「若いうちから覚悟する必要」を、若者はどう解釈したか、共に論じたい課題である。

Ⅲ. ショーペンハウアー

 ショーペンハウアーは「生きていること・意識があること」を否定的に捉えるネガティブな哲学者である。            
 「私たちの世界は理性ではなく、他のものを食い尽くしても生きようとする、貪欲な意志(欲望)によって突き動かされているだけ。もし人間の生の目的が苦しみでないならば、そのとき人間は真の目的に適合していない」というのである。そう考えるならば、生は苦しみの連続であり生きていることの証とも捉えられる。
 「人間は様々な欲望に駆られ、その欲望を満たすことが出来ず悩み、おのれの欲望を阻止され、生すべてが苦しみとなる」とも説いた。  
 ショーペンハウアーの「ヤマアラシのジレンマ」という寓話がある。
人間関係では、お互いの距離が近くなればなるほど傷つけ合う現象を、教訓とした物語である。
 「二匹のヤマアラシが雪の降る冬山の中にいた。二匹のヤマアラシはあまりにも寒いので、体を温めようと互いに近づくが、鋭い針毛が痛く相手を傷つけてしまう。でも寒い。近づいたり離れたりを繰り返すうちに、二匹は互いが傷つかない妥当な距離を認識し合ったことで、寒さを耐えることが出来た」
 この筋書きは、私なりのヤマアラシのジレンマの解決を脚色させてもらった。
 人間は「自我」というトゲを持っている。「人間社会のなかで心が傷つかない環境などあり得ない。ならば傷つけることのない一定の距離感をもって接することが賢明である。
 「人間がもし、困窮と苦悩が人間を悪に駆り立てる表れが、他人を苦しめ自らも悩むのであれば正直実直に生き、自尊心を持つことである」とショーペンハウアーは説く。
 また「人はあらゆる事物の虚しさ、この世でもてはやされるすべてが空虚なることを確信し、その虚像を眺める心の平静さを獲得するには、孤独に耐え孤独を愛する精神的境地を体得しなければならない」と言う。
 私たち人間は、孤独に生きるのではなく孤独を生きなければならない時代にいるのだと認識しなければならないと考える。

Ⅳ. ニーチェ

 「人間は自らの生命力によって生きる道を選ばず、何らかの理念を目標に掲げてその目標に引っ張ってもらうことで生きようとした。その何らかの理念が空しいものだと気づくに連れて、人間は重荷になってしまった。だから再び私達は自分自信を生かす「生命の力」に目覚めねばならない」と語る。
 ニーチェは二十世紀と二十一世紀について「信」なき時代、そして「知」が混迷する時代を見通したと言われる。虚無感と倦怠感に満ちた「ニヒリズム」の世界をどう生きるべきか。すなわち「価値」がもはやその効力を失い、人々が無力感に捉われた状態から、自らの考え、自ら選び、自らから創造する強い意志をもって自立的に生きる人間となるべきだと説いた。ニーチェの示す「力の意志」とは、自らの生を全面的に肯定する在りさまを、大事にすることである。
 ニーチェの哲学を知るに名言がある。
 ジュリアスシーザーは「人が見たい現実しか見ないものだ」というのが口癖だったという。ニーチェは「人が見たくない現実を突き付けてくる」という。そうすれば世界がどのように見えてくるのかを示した。
 人が見ようとしない現実を直視し、通常の見方を改めると、独自の価値観が生まれるとニーチェは語る。

Ⅴ. ボーヴォワール

 上野千鶴子氏著のボーヴォワールの著わした「老い」のなかで、社会が老いを言及するのに相応しくない恥ずべき秘密として見ている。つまり「老い」をみじめにするのは個人の努力で克服する問題ではなく、まさに社会の問題であり、文明の問題なのである」と。 
 変化の速い消費社会において老人は「廃品」として扱われている事実は文明の挫折を示しているという。このようにボーヴォワールは「老い」を徹底的にネガティブに捉えている。  
 だからこそ私は年齢に抗わず、老いを認識した上で老いの強さを持ちたい。
 介護保障の充実によって手厚く保護された老人は弱者のカテゴリーに入ってしまった。その中で、もがいている人もいるであろう。
 求人不足を補う働き手が老人といった社会事情は、失態が起こると容赦なく高齢問題にすり替わる。
 多くの老人は余生を質実に穏やかに暮らすことを願ってはいる。だがエネルギーを不燃焼させてしまった老人は、余生に能力を発揮する場を求めているに違いない。
 社会は情報処理能力の高い、若い人材を求めていることは当然だが、年齢層の活用ランクに「老人の叡智」は不要なのであろうか。
 老人の存在はその人が主観的にどう感じていようとも他人によって見られる仕方で定義されることも十分承知してのことである。

Ⅵ. アルベール・カミュ

 カミュの「異邦人」から、いままでの本にはなかった異質な感覚が呼び起こされた。
 主人公ムルソーにとって重要なのは、現在のものであり、具体的な欲望だけが行動となる。母の葬儀、初対面殺人、自分の権利の剝奪に対しても無関心であった。この無関心は現代の世相にも表れている。
 「ママン(母)は、死に近づいて解放を感じ、人生のすべてを生き直す幸福を持っていたのではないか。死刑を眼前にして母を理解した自分もまた、世界の優しい無関心に心が開き始めて幸福感を実感した」
 「シーシュポスの神話」は神の怒りを買い山の頂上に岩を運んでは転げ落ち、運んでは落ちるという無限の労働の罰を受けた男の話である。
 この神話で語るカミュは「人生はそれ自体意味がない。意味のないことを繰り返すなかに意味が生まれ、生きるに値する」という。

Ⅶ. 空海の生死観

 当時、44歳の長兄は末期がんのため、骨身が露わなほど痩せた姿で、ベットに横たわっていた。
 その傍らにいた私に兄は、「お前たちは元気だよな〜。長男の俺が弟妹の罹る病気を、全部背負いこんだと思えばいいさ」と、抑揚のない声で呟やいた。確かに兄は、幼少の頃から社会で蔓延する病気を一人で罹かり、家族の誰よりも病院通いをしていた。
 だが、結核療養から戻ってからの兄は、精力的に働き仕事も軌道に乗り、家も新築して、生活の安穏が続くかと思えた矢先の病気であった。
 兄のこの言葉は、私の命には兄の命の預かり分があるという意識が、遺言のように心に沈着していった。
 激痛で苦しんでいる兄の姿に、思わず「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」と、空海の「秘蔵宝鑰」の序文を唱えていた。
 「三界(この世)で自分の行く道を知らない人たちは、自分の目標を見失っていることをまるで知らず、まったく気づいていない。人は次々生まれ続けているが、しかも生まれて来た原始(始め)については理解できず、次々に死に代わっていくのだが、しかも死んでいくその終極については解っていない。私たちは永遠に流転を繰り返す」という。
 空海は、私たち凡人が生死を理解しないまま生死を繰り返している愚かさを、説法しているのであろう。
 だが私は、死の苦海を彷徨っている兄の魂に、所詮、私たちが「生き死に」とは何たるかもを解からないまま、再生を繰り返すならば、「その痛みの孤独のなかで生きる闘いをするしかないよ!」と言いたかった。
 空海のこの言葉は、宇宙の闇を突き抜けブラックホールに吸い込まれていく命の壮大さを感じ、心に迷いが生じた時に唱えていた。

Ⅷ. 老いとの対峙

 哲学・文学などの書物から導かれた私なりの「老いと死」の哲学は、介護現場で実証されていった。
 いままでのトレーニングが、自ら老いて死を位置づけたとき、どのような生き方を示すのか?  
 余命が解放の序段なら、死は解放の総決算と考えると緊張感が走る。
 ある著名作家が、「老いはどんなに頑張ってもやがて枯れるもの。どんな事態になろうと悪あがきせず、ありのままの運命を受け入れるこんな老い方もある」と説いた。
 この言葉を私なりに語れば、「人間どんなに頑張ってもやがては枯れるものではあるが、枯れた花は実から種への収穫期(老年期)ともいえる。老いを認め肉体の障害を抱えた事態であろうと、情熱をもってなおアイデンティテの強さを、発揮出来る老い方もある」と思いたい。
 モンテーニュが「人生を楽しむには、それだけの手心が必要である。私は人生を他人の二倍も楽しんでいる。なぜなら享受の尺度は、われわれがそこにそそぐ熱意の多少に依存するからである。ことに今では、私は余生が極めて短いことを知っているから、これを重さに伸ばしていこうと思う」と言葉を残した。

あとがき

 哲学者の言葉は、私の浅学から独断の解釈を加えて紹介したものである。
 私にとって哲学者との出会いは必需であり人生への刺激だった。生きることを考えれば当然、老いと死にも直面せざるを得ない。
 老化は間違いなく訪れ、私も1年の間に変形性股関節痛と腰痛により歩行が辛くなってきた。
 だが身体の不自由や五感の衰えに抗うかのように、解放された精神は新たなリセットをかけ、未知への興味や感動、純粋さなどの感知能力を全開させ鋭くなっている。
 こうなれば、老いを老いとして享受し、阻む規範、抑圧に臆することなく、老いならではの迷走冒険に挑んでみたい。

  参考資料
  「老年哲学のすすめ」大橋 健二 著

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