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30歳で新聞記者から写真家に転身した僕という人間は心が複雑骨折していた

初めまして。noteに1つ目の投稿をします。初めての投稿を読んでもらえて嬉しいです。

最初に自己紹介やこれまでの経歴の話をしようと思います。名前はフジショー。33歳独身、現在都内のIT企業に勤めています。

新卒で入った新聞社を30歳で辞め、写真の学び直しをし、撮影した作品が評価され、週刊文春に特集されました。そして、銀座ニコン、大阪ニコンで個展を開く機会を得て、日本三大写真賞の1つに最終ノミネートされるまでに。国学院大から講師として呼ばれる機会も得ました。

ただ、僕は全然自分に自信もなければ、自己肯定感も全く高くない人間でした。僕以外のみんながいつも輝いて見えました。羨ましいし、嫉妬もする嫌な人間。

かなり心が複雑骨折していたと思います。今は治療中です。

新卒で新聞記者になったのは、肩書きが凄ければ多少は自信もつくのではという思いもありました。

正直、新聞記者時代は先輩たちに全否定され、打ちのめされ、ノイローゼになり退職しました。周囲からは記者をやっていたというだけで、評価され、もてはやされましたが、肩書きという殻を破れば何も残らない人間。

肩書きなんてほとんど意味ないです。結局は自分の気持ちが根本的に変わるためには、自分がどうしたいかが大事だなと今は思います。

自分は何ができるだろうと考えた時、頭の中に浮かんだのが唯一写真でした。

僕は学び直しをするため当時住んでいた神戸を離れ、上京しました。東京なら色々なチャンスがあるのではという安易な考えもあったと思います。

当時は、写真の学校で勉強をしつつ、ひたすら作品作りに没頭しました。この話はいずれ書きたいと思います。

それがたまたま評価され、色々な発表の機会を得ることができました。学び直していた学校は中退しました。

中退後どうするかは全然決めていませんでした。とりあえず稼がなきゃという思いから転職をすることを決意。それが32歳の時です。

写真で稼げたら良いのですが、僕の写真は不器用なので、売れる写真ではありません。

転職活動をする中で、たまたま今勤める会社から内定をもらいました。IT企業です。ITという仕事はもちろん未経験。アナログ人間だったので、不安しかなかったです。今の上司アサミさんに「写真続けてくださいね」と言われたことが、唯一の救い。

ここなら働いても良いと思えた一言でした。

2020年1月から今の会社で勤め始め、直後に新型コロナウイルスが流行し始めました。

今はコロナで写真を撮る機会が減りました。僕は主に人をテーマに撮っているため。

最近、仕事でインタビューさせていただいた朝渋の5時こーじさん、上司のアサミさんに発信をしようと言われ、ハッとしました。

写真を撮ることだけが写真家ではありません。今後は活字で自分の思いを届けていきたいと思います。

文字を書き、アウトプットすることで心の複雑骨折も治療していきます。

note、これからよろしく。




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