【紅葉空と影法師】

少しだけ 歩きに行こうか。

 紅の蓮より少し優しくて、柿色よりも少し辛い。

 そんな夕方4時37分の空。甘やかな茜をバックにした紅葉の木の下の地面に生存を許されたのは、背高のっぽの影達だけだった。



「…何してんの?」

 前方から吹き荒れて来た北風に身震いした途端、何処か投げやりに問い掛けた彼女の声が、やけに近く、耳に届く。
音に反応して、ユンク特有の鳥の羽を連想させるほっそりしながらもフワフワの触り心地を宿す優美な耳が、片方持ち上がる。声の調子からして、ただ何となく掛けただけらしく、相手は無理矢理会話を繋げようとはしない。なので自分も少々間を置いて、

「…別に、何も。」

 と、返した。く、と喉を軽く鳴らす様にして無造作に返し終えるが、表情は毅然として不機嫌さを隠し切れていない。眉間に寄った皺と、返答しながら苛立った様子で足元の赤い落ち葉の絨毯を軽く蹴飛ばした事が、その感情を露わにしていた。
もう一度、靴の先で地面一面に広がる紅葉やイチョウの葉を蹴り上げる。ぱさり、軽い音と同時に落ち葉が左右に分散して、今しがた蹴った箇所だけに茶の地面が覗いた。

 その様子を見ていたらしく、例のアルトボイスが笑った余韻を持たせて言葉を紡ぐ。

「前にもこんな話。したよ、ね?」

 その何気ない言葉に、今まで地面を睨み付けたり、更には頭上の空を見上げて視線を研ぎ澄ませていた男は、眉尻を吊り上げて「あぁ?」と、自然に語尾の跳ね上がった相槌を発した。
紅色の長髪は北風が吹く度に舞い上がっているせいか、多少乱れてはいるが、同じ色合いの鮮血の様な赤の瞳は凛と鋭い。
その容姿は不思議と、肉食獣を思い出させるのだが、ロングコートのポケットに手を突っ込んで視線を鋭くさせた姿はどうにもかなりの凛々しさが滲み出ている。

 本人はそれに気付いていないでか、相手の発言を思い起こして、右斜め前方の紅葉の木に体重を凭れ掛からせているプリケリマを見返す。

「…そう言われりゃ、そうだったかもな。」

 思い起こせば、まだ新しい記憶。

 思い出している最中、不意に目の前を真っ赤な、花と呼んだ方が相応しいんじゃないかと思う位艶やかな葉が目の前を横切る。横切った瞬間、殆ど反射的にポケットに突っ込んでいた拳を外の空気に向かって突き出した。
想像以上に冷たい空気が、手の神経を通じて脳に伝えた事で、一瞬背筋に寒気が走ったが気にすることなく、丁度目と鼻の先に舞い落ちて来た赤を掴み取る。

 反射神経の訓練の様な動きをした直後、掌にすっぽり収まった茜色を見つめ直せば、今までボンヤリとしか思い出せなかった記憶が無理矢理頭に浮かび上がって来た。

 まず思い出すのが、怒号と辺り一面がピリピリした空気に包まれた空間だ。ビルとビルの細い路地裏、怒鳴り声と同時に殴り返した拳の感触。思い出せば、連想ゲームの様に次々と浮かんで来る鮮明な記憶。今まで、何故忘れられていたのか思い出せない位、曖昧だった。
それなのに、無造作に捕まえた紅葉を見つめて思い出すなんて全く、らしくない。

 そして、また苦い記憶の中で誰かが囁く。

 まるで、君は紅の、蓮の、


 血を写し取って、少し薄めた様な茜は、今も頭上に広がっている。
数年前と変わる事無い懐かしの色は、見る者の時が動いてい事を錯覚させる。握っていた拳の力が緩んでいるのを横目で見ながら、プリケリマは深い紫の視線をデニッシュに向けた。
ひょい、とプリケリマが小首を傾げた途端。夕暮れの空と同じ色の視線が、自分を睨む様に此方に向けられる。否、この夕暮れよりも、もっと鮮やかで鋭い視線だ。

 「何?」と、薄く目を細めながら尋ねれば、「何でもねェ。」素っ気無い答えが直ぐ様自分に跳ね返ってくる。「そう。」と簡単に会話とも言えない会話に終止符を打った。それから、自分もトロリとした色合いの茜に視線を送った。どうにも、この色を見ると人は何かを思い出してしまう様に出来ているらしい。見つめればずっと、全く変わらない色合いはきっと、

「俺は、」

 ボソッ、吐き捨てた言葉にまた、視線を移す破目になった。
マイペースにゆっくりと、紅葉の雨が降る中で立ち竦む影が空を見上げながら、まだ言葉を続ける。

「…まだ終わりは、望まねェからな。」

 考えていた事を、見透かされた様な気がした。
一時、驚いた様子で紫の視線を瞬かせたプリケリマは、まじまじとデニッシュの顔を見返す。凛と、崩れない端正な顔立ちの中、僅かに口元が笑っている様な気がした。
 暫くその状態で、困った様な含み笑いを零す。そしてまた、「そう。」今度は柔らかく相槌を打った。それを確認してから、不器用に見せた優しさにも似た感情を露にして、デニッシュは何処か楽しそうに、また空を見上げたのだった。


 ヒヤリとした空気、雪の香り、顎の痛みと空に伸ばした拳の意味を、


  紅の蓮より少し優しくて、柿色よりも少し辛い。

 そんな夕方4時53分の空。甘やかな茜をバックにした紅葉の木の下の地面に生存を許されたのは、背高のっぽの影法師と、僅かな思い出達。

#小説 #ショートショート #短編 #物書き #小話 #擬人化 #記録用 #リヴリー #擬リヴ #創作

浅葱七海さんへ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?