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【青空を見て、君を想う】

 あの日、仰いだ空もこのような色合いだっただろうか。
鮮やかな空の色は、もう二度と思い出せないだろうに、無駄な努力というのは分かっている。
でも、私はあの日見た空の色を、あの日、鮮やか過ぎる空の色を、忘れられなかった。
鮮やかさよりも、あのときの記憶が離れない。忘れようとするのが、不可能というものだよ。


 風が、シトラスミントのような清涼感あふれる香りを運んできたのを、微かに頭の片隅で感じた。
アイランドを笑うように舞い続ける風は、一点の曇りのない、晴天の空を駆け回りながらその香りを運んでいた。
 一匹のムシチョウは、その香りを鼻孔に吸い込むと、閉じられていた目を開けた。驚くほど紫色の瞳が、一瞬太陽の光に煌めいた。寝転がったまま、体を起こすことなく空を見上げる。
 日の光が苦手ということもあってか、小さな木陰の中で覗き込むしかないが、空の色は確認できた。そして、驚いたように目を見開くと、ムクリと、体を起こす。間違い、ない。あの時の空の色だ。
 ムシチョウは、体を起こそうと、両手をついた格好で固まった。風の香りが変わったような気がしたのだ。シトラスのような香りはかき消されて、今度は、甘い独特的な粉砂糖の香り。カラメルソースの香りと似ていた。誰かが来るような予感。その予感は的中していた。

「随分とのんびりしているな。」

―予感的中。

 頭の中でそのよう四文字熟語が浮かぶと、現れた来訪者に向かって軽く目配せをする。
移動音を残して現れた来訪者は、軽く会釈をかえすと、ツカツカと足音を響かせて、暑い日差しから涼しい木陰に滑り込むように入ってきた。
 大人な、知的な印象を与える黒いパキケは、首下についているリボンを風に揺らしながら、ムシチョウの前に立ちはだかるようにして、止まった。腕組をして、新緑の若葉を連想させる目を細めている。目つきが悪い、と言われるらしいが、これはこれで凛々しい印象がプラスされる。

「島内警備隊隊長殿が何か御用?」

「御用だと?島内の警備だ。貴様の島に来るのは嫌だったが、な。」

 黒い笑顔を見せてパキケが笑うと、負けじと絶対零度の微笑を浮かべてムシチョウが言う。
二つのアルト・ヴォイスが重なるように、言葉を紡いでいく。

「じゃあ来なければ良いだろう。メルロデュー!」

「貴様最近会ってないと思ったら、性格がやけにひねくれたな。プリケリマ!」

 ゴゴゴゴゴと、黒いオーラが殺気のような感覚に変わった。ヒュオオオオと、冷気のような殺気も混じりあい、そこいらのスズメバチなんか見ただけで卒倒しそうな勢いで、二人はにらみ合っている。いや、見下ろしているのと見上げているのだが、

 刹那、ドガン、と、短いが鈍い音が響いた。もうもうと舞う砂埃の中で、先までムシチョウ、プリケリマが座っていたところには、大きな大穴が空いていた。
 パキケ、メルロデューは素早く踵を引き抜くと、横殴りに飛んできた右腕を避ける。
交わされたプリケリマは、踊る様にバックステップを踏むと、すぐに攻撃に備えて右腕を構えた。
次の瞬間、硬い何かがぶつかり合うような音とともに、風が止まった。

「腕…上がったんじゃない?」

「貴様こそ…バックステップ苦手だった…くせに!」

 拳を受け止められていた状態で固まっていたが、突如、メルロデューの体が消える。
軽やかなバックステップを決めると、次の瞬間目の前にあの、紫の瞳が迫っていた。
 左手で右アッパーを避けると、鏡に映ったように、同時に回し蹴りが放たれた。
 ガツンッという鈍い音とともに、二人は動かなくなった。一本の足で衝撃を支えるとなると、これだけ困難なことはないだろうに。
 突如、ストンッ、とメルロデューが腰を下ろす。今思えば、狭い木陰の中で戦っていたのだ。
少し遅れて、プリケリマも腰を下ろした。気まずいような沈黙が流れる。

―その沈黙を割ったのは――

「「今日の空は」」

 はた、と二人とも話すのをやめる。同じことを話そうとしていたらしいことに気付くと、またあの沈黙が流れた。

「あの時と同じ空の色だな。」

 やんわりと、空を見上げながら、メルロデューが独り言のようにつぶやく。
それを聞いてか、プリケリマも同じように空を見上げながら、笑った。

「そうだな。」

 ―島内警備隊隊長のメルロデューだ―
 今と同じような顔立ちをしたメルロデューが、私の島に来て、初めて言った言葉だった。
あの時のプリケリマの顔は、今でも覚えている。人を馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
会った突如に殴り合い。結局引き分け。あの日もこんな空の下だった。

「…また、空。見れると良いね。」

 今度は、プリケリマが笑うように言った。
メルロデューがチラリ、とその顔を見ると、微かにだが、プリケリマは本当に笑っていた。
その事実に驚きながらも、メルロデューは小さく微笑みながら呟いた。柔らかい光がメルロデューに降り注いだ。

「…あぁ。」

 


 あの時の空を、もう一度見ようと想ったんだ。
あの時と同じ記憶を留めていたいから。君と見た空は何処までも青く晴れていた。
大空の下、小さな木陰の中で、パキケとムシチョウは拳をあわせた。
風がまた、歌うように空を舞い始めた。


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