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【眠り姫と毒林檎】

一口齧れば…後は、お楽しみに。 

 艶やかに輝く薔薇色林檎。甘い誘惑の香りに誘われて、一口齧れば仄かな甘味と濃厚な眠りをプレゼント。
 さあ、王子様が迎えに来るまで、硝子の棺の中。良い夢を。


 ボタンを押す指に反応した機械が、自分のグラスに金色の液体を注いで行く。並々と注がれた所で、指先の力を抜けば、突然ボタンを押していた力が無くなって、最後の一滴がグラスの中の液体と混ざり、ピタリと動かなくなった。
華奢な手を伸ばして、グラスを利き手の掌で包む様にして持つ。フワリ、林檎の甘酸っぱい香りが宙を漂い、鼻を擽った。思わず満足げな笑みを口元に浮かべてから、目の前に置かれた、店内の照明にキラキラと反射するグラスを取る。

 先程と同じ一般的な動作で、グラスを機械の下に置いた。自分と同じ飲み物を注ごうとした指先が、少しの間、戸惑った様に止まる。考え込む様に、ちょっと小首を傾げた後。満面の笑顔、と言うよりは何かを企んでいる様な悪戯っぽい笑みを浮かべると、今度は迷う事なくボタンに指が置かれた。


 ジュークボックスから流れるゆるやかな音楽が、店内を包む。
ゆるゆると流れるそれは、その場の時間をゆっくりにさせている様な錯覚を覚える。此処だけゆっくり、ゆっくり流れる時。
頬杖を着いて、ついうつらうつらと眠りの世界に落ちそうになったとしても、無理はない。

 欠伸を噛み殺し、眠たげに目を擦った直後に「プーケちゃん、ジュースだよー!」と可愛らしい声と同時に、薄く開いた視界の中、目の前のアンティークなテーブルの上に、コップが登場していた。
曖昧に頷いてから、完璧に目を開けば、あどけなくも無邪気な笑みを浮かべた友人の姿がある。
椅子に腰掛けた状態で視線に気付いて「えへへ、」と軽く笑い声を上げた彼女は、自分のグラスに口付けて、黄金に輝く液体を一口すする。
 フワリ、甘い香りが向かい側まで流れて行った。

「…りんごジュース?」

「うん!いい匂いでしょ。」

 口内に満ちた爽やかな風味を味わいながら、人懐っこく笑んだラヴォクスは、狐の様な、フワフワな耳を小さく上下させた。その際に、桜の様な、桃の様な、兎に角優しい花の名前が似合いそうな淡いピンクの柔らかい髪が微かに揺れて、甘い香りが漂う。自然と和やかな空気が辺りを包んでいた。

 軽く腕を伸ばしてコップを手に取る。流した視線で捕らえた中身は、濃いブラッドオレンジ色。りんごの濃厚な香りに掻き消されて、匂いまでは分からないが、色合い的にオレンジジュースだろう。簡単に予測してから、自分もコップに口付けようとした矢先、またもや鼻先を林檎の甘やかな香りが擽る。甘い。毒の様に甘い。
表現の曖昧さを実感しながら、アンリエットは脳内に浮かび上がった「リンゴ+毒=毒林檎」の文字式を作りだして、質問口調で口を開く。

「林檎って、何かの童話で登場したよねー?」

「…白雪姫?」

「そう、それ。…どんなお話だったかなぁ…。」

「…リンゴかじって、王子が助ける話。」

「…プーケちゃん。大事な所飛ばしてるよ。」

 少し頬を膨らませて、物足りなさそうに眉をひそめたアンリエットは、「読んだの、凄い昔だし。」と、呟き返したプリケリマを見返す。
その間に、もう一口。両手でコップを包み込み、ルビーの瞳をゆっくり瞬かせる。す、と自然に視線が緩まって、「王子様かぁ…」と、柔らかい口調が丁度、流れているクラシックのラスト部分。一番盛り上がる箇所のバイオリンの音色が丁度良く響き渡る。
 少し、沈黙が訪れた。ボンヤリ、と目の前で考え事に耽っているアンリエットを見つめながら、折角持って来てくれた飲み物を口に流し込もう、とグラスを掴んだ手を持ち上げた時だった。

「プーケちゃん。」

 呼び掛けられた声に、正式には彼女だけが呼ぶあだ名に反応して「うん?」と、軽い相槌を打つ。
真っ直ぐに輝く真紅の瞳、それが丁度紫の瞳を見つめ返している。好奇心旺盛の、彼女らしくキラキラと輝く双眸。それが、ゆっくり細くなって、明るい笑みを見せた。
そのせいで、ストレートロングの、サラサラした指通りの髪が、揺れる。甘い砂糖菓子の様な香りと、桃色の煌めきが、目の前で踊った。ちょっと頬杖をついて、例の悪戯っぽい笑み。
 甘える様な甘い声が、鼓膜を振るわせた。

「アンリに忠誠、誓ってくれない?」

 確か、以前話した時にそんな事を言われた様な気がする。
姫に仕える王子に必要な物、勇気と度胸。そして、忠誠心。姫を守る為の忍耐に、何処までも忠実に使える、凛々しさ。駄々を捏ねる子供みたいな言い方に、一瞬だけ翻弄された。
愛らしい姿で、何を言うか。今の言葉を男性にでも言ってみたら、絶対にノックダウンだ、と頭の中でボソボソと呟きながら、プリケリマは不思議そうに、アンリエットを見つめる。

 ふわふわのフリルに、レース。それが惜しみなく使われたゴスロリの服。当たり前な位、似合ってる。
桜とも、桃とも言えるであろう砂糖菓子の様な髪。真紅の、凛と輝く瞳。ハッキリと言い放った彼女。言われた意味を理解するのに少し時間がかかったせいで、また沈黙が生まれる。
不意に、苦笑と溜め息が一気に込み上げて来て、思わず苦笑を零しながら、軽い溜め息を吐き出した。


 そして、王子様とお姫様は幸せに、何時までも。

「…気が向いたら、ね。」

 その場凌ぎの様に、小さく呟く。小さく放たれた声に、「そお?」と満足そうに含み笑いを返される。少しの間話し続けていたせいか、喉が小さく渇きを訴え始めていた。
「気が向いたら。」もう一度念を押すように呟き返して、グラスの中に収まっているブラッドオレンジ。きっとオレンジジュース。それに、無造作に口付けて、喉に液体を流し込み―――舌が妙な味覚に刺激された。

 思わず見開いた紫。口内で波打つ液体を噴出しそうになるのを懸命に堪えて、四苦八苦して喉奥に押し込む。
一口飲み込んだ瞬間に、口の中に残る奇妙な苦味と、甘味が見事にコラボして独特の味を作り出して存在している。軽く喉元を押さえながら、グラスをテーブルの上に軽い音をたてて、戻した。コンッ、とグラスが無事着地した音にハミングする、クラシック。
何度か咳き込んで、今しがた飲み込んだコップの中の液体を睨み付ければ、涼しい表情で波打つ色合い。見た目はオレンジジュースに見えなくも無い。なのに、どうしてこんなに苦味があるんだろうか。まるで、野菜の様な、

「…野菜…?」

 此処まで考えて、思いついた言葉を口にした瞬間、目の前で肩を震わせているラヴォクスが目に留まった。小刻みに肩を震わせている様子は、一見泣いている要にも見えるのだが、この光景に何処に泣く要素がある。口元を拭ったプリケリマを見つめる視線は、悪戯を成功させた子供の様な表情が宿っていた。
クスッ、と控えめに笑って見せる彼女は、途中で笑い声が混じりながらもニコニコと朗らかに言葉を紡ぎ出す。

「悪戯大成功ー!!あのね、それ野菜ジュースとオレンジジュースを混ぜたんだよー。アンリの作ったスペシャルドリンクだよ!」

 犯人は、お前か。
唖然として恨めしげに眉をひそめた相手を見て、アンリエットは更に満足そうに笑い声をあげる。
悪戯っ子の様な、無邪気な笑顔。不意に、鼻先をさっきの林檎ジュースの香りが擽った。頬を高揚させて、如何にも楽しそうに笑う彼女を見ていると、先程の不機嫌さは何処へ行くのか、ゆっくりと薄らぐ。友人を悪戯に填めたのが、よっぽど嬉しかったのだろう。朗らかに笑い声をあげるアンリエットを見て、吊られて苦笑を零したプリケリマを見て、また込み上げて来た笑い声をあげた。


 カフェ、Doluce。オーナーが不在の不思議な、カフェ。くつろげる空間に漂うクラシックの音にデュエットして、柔らかな笑い声が木霊した。

 艶やかに輝く薔薇色の林檎。甘い誘惑の香りに誘われて、一口齧れば仄かな甘味と濃厚な眠りをプレゼント。

 さあ、王子様が迎えに来たら、優雅に微笑み浮かべて忠誠を誓わせましょう。


明るい笑い声をあげる、君に特製ジュースをプレゼント。

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