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【硝子が砕けた そんな気がした】

 黄昏に染まる硝子を見て、切ないような思いがこみ上げてきた。
脳裏に浮かぶ、金木犀の香り。小さな花が一つ一つ風に舞って、踊っているのを、遠い日に見た気がする。
 思い出したくもない記憶。自分で思い出して、深い深い溜息をつく。


 茜色に染まった空の光を浴びて、スナイロユンクは大きく溜息をついた。
その右手には小さなクリスタルガラスの置物が握られている。太陽の光を、飲み込んだような茜色。寝そべる猫の置物だ。小さくて、握り締めればスッポリ、手の中に納まってしまいそうだ。
置物の猫は硝子細工の目を太陽に輝かせて、幸せそうに伸びをしている。
見事なできばえの置物を、片手で握り締めているスナイロユンクは、小さく溜息をついた。
今にも寝てしまいそうに、深い藍色の目がトロンとしている。

「…アジュア。」

 不機嫌そうな声が小さく、そのスナイロユンクの名前を呼んだ。
Yシャツにネクタイを締めている、長身の女のムシチョウだ。切れ長の目をさらに細めて、夕日の光を眩しそうに、手でさえぎっている。
しかし、指先の間から入り込む日差しに、半分不機嫌になりながらも、ムシチョウ、プリケリマは口を開いた。

「その置物。誰から貰ったの?」

「…ん?」

 聞いてなかったように、首をかしげると、アジュアと呼ばれたスナイロユンクは振り返った。
トロンとした眼差し。短髪のなのに、阿呆毛が一本上にピョコンッと撥ねている。長いマフラーを首に巻いて、長袖長ズボン(サイズが大きいのかダボダボだが)腰に装着している拳銃が、鈍く輝く。そして、裸足のまま、島の土をゆっくりと踏みしめると、アジュアは眠そうな声で笑った。

「大切な人からだぞ。」

―だから、誰だって
 心の中でつぶやいて、笑ってしまう。昔からの付き合いだが、会ったのは何時だったか思い出しそうにもないほどの昔だ。そのころから眠そうな眼で、トロンとしていて、天然で、しかし不機嫌になったり、友達を傷つけられたりすると無口になる。不思議な存在だとうすうす感じていた。
 しかし、ほのぼのとしたオーラのせいか、アジュアにたいして怒ったことは、ない。
アジュアは大切そうに、置物を沈みかけている太陽にかざした。小さな茜色がクリスタルのように輝いた。正直、眩しい。

「…眩しい。」

「あ、そっか。プリケリマは太陽とか苦手だもんな。」

 悪い悪い、と笑いながら、アジュアはそっと、猫の置物を撫でた。触れれば壊れてしまう、とでもいうかのように、そっと、優しく。

「なぁ、覚えてるか?プリケリマが昔さ、硝子の鏡を見て言ったこと。」

 キョトンと、した顔で、プリケリマは紫の目を細めた。アジュアが言っていたことが一言一言、記憶を掘り出していく。そう、確か私は硝子の鏡を見て、脅えた声で言ったよな。
ー境界線みたいだね…。何か、嫌。ー

「なぁ、アジュア。」

 小さく声をかけると、ん~?何だ?と、間の抜けた声が聞こえてきた。
夕日が沈んで、微かな茜色は空に残った。空の向こうにはもう、一番星が輝きだしていた。

「だけど、あのときの鏡は「知ってるぞ。」

 話を途中でさえぎられる。アジュアはニッコリと笑った。
優しい、優しい笑みだった。頬が少し黄昏に染まっている。

「オイラが割っちゃったんだよな。『境界線が嫌ならオイラが割ってやる。』って言ってさ!んで、ガシャーンって、そしたらさ、プリケリマニコニコしてたじゃん。」

 そうだね。境界線がやけに怖かった。ニッコリ、プリケリマは笑うと、アジュア、ともう一度声をかけた。

「…夕飯食べてく?」

「食べてく!」

 トロンッとした瞳に、期待の色が浮かんだ。


 シャリ―ンと、硝子が割れた音は心地よく耳に響いた。目を開けたら、鏡の硝子はなくなっていて、境界線は無く。向こう側が透けて見えた。夕焼けだった。茜色の、綺麗な夕焼け。アジュアとプリケリマは笑った。幸せそうに、笑った。

 小さな小さな置物の猫は、満足そうに伸びをして、茜色に染まっていた。

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