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【Pastel】

儚い、春ノ夢ノ如し。

 触れれば一瞬で、解けてしまいそう。


 自分が落ち葉を踏む音が、木霊する様に当たりに響き渡る。
慎重に、でもなるべく速く足を進めて行きながら、メロン色のラヴォクスはゆっくりと、目の前の茂みを掻き開いた。
 カサリ、と枯れ葉が擦れ合った音が想像していたよりも大きく耳に届いて、ヒヤリとした緊張感が胸元を圧迫する。一瞬だけ、その感情に戸惑って、前に向けていた視線を足元に落とした。

 今日は晴れている筈なのに、日光を遮る木々のせいで光は地面を照らさない。そのせいで、随分と視界が悪くなっている。
転ばない様に気を付けて、なるべく音を立てない様に歩く。

 不意に、頭の中にとある人物が一人、浮かんだ。良く知っている彼女は今、あるウイルスに感染し森で暴れ回っているらしい。それを小耳に挟んだ時には既に体が動いていて、今暗い森の中を一人で歩いている訳だ。
ウイルスに感染したって、怪我をしたら痛いに決まってる。血塗れで、全てを、自分を滅茶苦茶にしてしまう前に

 止めて、あげなくちゃ。

 湿っぽい落ち葉の香り、ゆっくり落ち着いて深呼吸をすると、澄んだ瞳をキリリ、強く引き締めると、落ち着いたボーイソプラノが詠唱した。

「/drive プリケリマ」


 暗い風景の中、聞き慣れた移動音と共に鮮やかに着地を成功させる。
同時に素早く、辺りに視線を走らせた。先程の落ち葉の香り、それに交えて鼻にこびり付く鉄分の匂いが辺りに充満していた。反射的に愛用のナイフを抜き出して、見え難い視界に目を凝らす。

 すると、ある一点でメロンの視線が止まった。
毒々しい程鮮やかなオレンジの巨体と、その影に向かい合う様にして立っている女性の姿が見えた。不意に、耳鳴りに似た羽音が、小刻みに上下する透明な羽から発せられる。超音波にも似た音に、思わず目を瞑り、耳を押さえて呻く。
蜂と向かい合っている女性も、片手で耳を押さえて苦々し気にモンスターを睨み付ける。蜂が、笑った様な気がした。

 鼓膜を震わす音のやかましさが緩んだ瞬間、頭痛を覚えながらも必死に足を踏ん張っているアサルトは、何とか開けた目に、とんでもない光景が飛び込んで来た。蜂が振り上げた前足、スローモーションの様にゆっくりと、現実では一秒にも満たない間に彼女の、白ムシチョウの腕に当たる。鋭い爪が肉に食い込んで、当たり前の様に左の二の腕辺りが裂けた。白いYシャツが血を吸い込むより速く、空間を紅が飛んで―――

「…貴ッ様…!!!」

 夢中、だった。冷たい外気で冷え切っていた体が、急に燃え上がった様な感覚に、一瞬酔いかける。
気が付けば既に抜いていた刃を構えて、怒り声と同時に落ち葉を蹴り飛ばす。空中を舞っている状態で、茶色の髪が空気抵抗をしてサラサラ揺れる。怒りに燃えた瞳が、標的を捕らえた。
アクロバットから一転して、体重を前に持って来て蜂に飛び掛かる。瞬時にナイフを薄羽に突き刺すと、力任せに薙払った。飛ぶ為の唯一の手段を切り裂かれて、驚きと痛みの悲鳴をあげた蜂を横目に、身軽に地面に着地する。
 着地すると、直ぐに傷口を押さえた彼女に駆け寄って、やや乱暴に手を取る。が、驚く位ゆっくり、彼女の紫の視線が自分では無く苦悶しているスズメバチに向けられる。そこに籠もっているのは、敵意と、冷たい殺意が垣間見えた。

 掴んだ手を通して、彼女ゾクッとした冷気を全身で感じた途端、背後でのた打ち回るハチの声に意識が戻ると、アサルトは一心不乱に手を引き、走り出した。


「…此処まで来れば、大丈夫ですよ。」

 森から少し離れた、まだ光の差す場所で、用心深く背後を確認しながら、アサルトは落ち着いた声色で言った。
目の前に座り込んで、傷口の具合を確かめている彼女は、濡れ烏の髪を掻き上げて無感動に、助けてくれた年下の恩人に問い掛ける。

「…どーして、来たの?」

 ウイルスに感染したって、知ってるでしょうに。
何時もより赤みを帯びた紫の瞳が、何より自分、プリケリマの危険な状況を物語っていた。血を欲して、あの蜂も赤に染め上げる筈だったが、アサルトが止めてくれた。
先の静かな怒りや殺意で、無差別に血を貪っていたかも知れない。なのに、目の前の少年は自分の手を引いて、森から連れ出してくれた。不思議そうに問うたプリケリマを、穏やかな眼差しで見つめながら、アサルトは少し困った様子で囁く。

「…気付いたら、止めなくちゃ、って思ったんです…」

 自然と話そうとした回答を、後半部は俯きがちで言い終える。そして、困り切った苦笑を、一つ。
やんわりとしたオーラに、少々戸惑った様子で深い紫の瞳を瞬きさせ、やがて緊張が解けて肩の力を抜いた相手を見つめ、アサルトは心配と不安の篭った眼差しを向けた。ちょっと小首を傾げたせいで、サラリ、栗色の髪が柔らかそうな頬を滑った。
 何時もより赤味を帯びた紫の双眸。白い顔の、口元の部分だけに付着した鉄の香りに、思わず眉をひそめる。突然、唇の上に付着した紅を、目の前で舌が舐め取った。クラクラする位、妙に引き込まれる光景に、反射的にゆっくり、視線を背ける。

「…でも、来てくれた事は、嬉しかった。」

 唐突に、穏やかに微笑んで見せて、彼女が呟く。
予想外の言葉に驚いて、思わず背けた視線をもう一度、彼女に焦点を戻す。戻したと同時に、プリケリマの指が自分の顎を優しく掴んだ。芽を大きく見開いた時には、赤紫と間近に目が合う。クス、と笑った口元が、微かに照る日光の下で弧を描いた。
 華奢で、ほっそりとした肢体を奮わせたアサルトは、この状態に困惑しながらも必死で目の前の紫を見返す。濡れ烏の髪がゆっくり、音も立てずに、揺れる。

 暫く、と言うよりか数秒、この状態で見詰め合うと、突然ラヴォクス特有の柔らかく、音を聞き取りには過敏な耳に、プリケリマの顔が寄せられる。
鼻先を擽った甘い香りに、プリケリマは小さく溜め息を漏らした。ビクリ、と目の前で震えた少年の姿を、少々落ち着いた様子で見下ろすと、静かに耳元で、囁く。耳元で囁かれるので、相手の吐息混じりの声が脳内でゆったりと、木霊する。

「…ありがと、アサルト。」

 サアッ、とそよ風が頬を擽って、可愛らしい顔を小さく歪めたアサルト、をのんびりと解放しながら、プリケリマは当たり前の様に立ち上がった。
呆然と見上げてくる相手の頭を、軽く手を伸ばして撫でる。指の間を擦り抜けていく栗色をボンヤリと眺め終わると、突如踵を返して森へと足を向ける。

「…!プリケリマさ」

「大丈夫だよ、吸ってないから。」

 呼び掛けた優しいボーイソプラノに、痛みの走らなかった訳を返答する。
チクリともしなかった首筋を、呆けた様子で擦るラヴォクスは、メロン色の瞳を大きく開いて、不思議そうに「え?」と、声を漏らした。
 無邪気ながら微笑ましくもある光景に、ちょっと視線を緩めたプリケリマは、小さな弟に向かって片手を左右に振る。そして直ぐに、森の中へと足を進めた。その様子を見ながら、アサルトは徐々に肩の力を抜いて、今しがた撫でられた場所に、頭の上に手を乗せると、彼女が消えていった場所から暫く、視線を離さなかった。

 春の夢よりも淡い風潮の君を、壊してしまうより傍で笑っていて欲しい、と。

Pastelーあまりに柔らかいパステルグリーン。儚く麗しい、華奢なパステル。

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瓶ちゃんへ

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