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私には価値が無いのかしら?#001

私自身のことを振り返ると、幼少期に十分な愛情を受けられなかった経験は、私のその後の人生に深く影響を及ぼしていることに気づきます。特に、親から無条件の愛を感じられなかったことが、大人になってからも他者の期待に過剰に応え、完璧な自分を見せようとする原動力となっていました。今振り返ると、そのような行動は、自分の内側にある深い不安感や「自分には価値がないのではないか」という思いに基づいていたことに気付きます。そして、その結果、自分自身を苦しめてしまうことが多かったのです。

大人になってからも、私は他人の期待に過剰に応えようとし、常に「完璧な自分」を演じようとしていました。それは自分の内側にある「自分には価値がない」という不安感から来ていることに気づきました。結果として、自分自身を苦しめることが多かったのです。

愛されなかった感覚と自己不信

子どもの頃、私は他の子どもたちと比べて親からの愛情を感じることが少なかったように思います。学校で良い成績を取ったり、家の手伝いをしたりすると一瞬だけ褒めてもらえることがありましたが、その瞬間もすぐに過ぎ去ってしまい、また日常の無関心な態度に戻ってしまうことが多かったと思います。そのため、私は「何かを成し遂げない限り、自分には価値がない」と感じるようになりました。この思いはいつの間にか私の中で強固な信念となり、自分の存在を認めることができなくなってしまったのです。

中学・高校の頃は、友人たちと過ごす時間が増え、周囲との関係においても「認められたい」「愛されたい」という思いが強まりました。勉強でも運動でも、とにかく他の誰よりも優れていることで自分の存在価値を証明したいという気持ちに駆られていました。いつもテストで高得点を取らなければならない、スポーツ大会では常に活躍しなければならない、そうでなければ自分には価値がないと感じてしまうのです。そのために努力を重ねましたが、どれだけ頑張っても「まだ足りない」「もっと頑張らなければ」という感覚が消えることはありませんでした。

大学に進学してからもこの思いは続きました。周囲の人たちに認められるために、自分が本当にやりたいことよりも、他人が期待することを優先しました。アルバイトやサークル活動でも責任感を持って取り組み、周りからの評価を得ることに必死でしたが、内心では「本当の自分は愛されないのではないか」という不安が常にありました。

「完璧な自分」を演じることが、私の自己肯定感を保つ唯一の手段でした。周囲から褒められるたびに一時的な安心感を得ることができましたが、それが続くことはありませんでした。ほんの些細なミスや失敗で、その安心感はすぐに崩れ去り、自分の存在価値が失われるように感じました。そのたびに、また新たに完璧を追い求めなければならないという重圧に押しつぶされそうになりました。

このような経験を通して、私は無意識のうちに自己不信を深めていきます。「何かを達成しなければ自分には価値がない」という考えは、私の行動のすべてに影響を与え続けました。そしてその結果、私はいつも自分自身を見失い、他人の期待に応え続けることでしか自分を保つことができなくなってしまったのです。

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