後編

【後編】オルタナティブな未来〜一人ひとりが本領を発揮して生きていくためには〜

強い同調圧力の中で、しかし、分断が起こっていく。「自粛」と「粛清」のはざまで、ぼくたちのリアルな暮らしは揺れ動く。ひとりの人間としてできることは、それほど多くない。けれど、できる人間が自分の表現をしていかないといけないのではないか、とも思う。なぜなら、表現という行為は、いともたやすく他者や社会から圧殺されてしまうからだ。

自分の中の小さな「灯火」に誠実であること。これのみを大切にして生きていきたい。情報やデータはあくまでも使うものである。その主客が逆転してはいけない。

そして、ぼくは思う。「場」をつくる行為は、そうした同調圧力や締め付けから脱出することのできる数少ない方法なのではないか、ということを。対話の可能性とは、すなわち自分たちで自分たちならではの「答え」を出すことができるという可能性だ。

こういうときだからこそ、その可能性を信じたい。そして、そうした「場」をつくっていきたい。

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今回、ロングインタビューをしていただいている。今回の記事は、最終編(後編)だ。以下の記事(インタビュー)は前編。

下の記事(インタビュー)は中編です。

もし、お時間があれば、全編お読みいただければ幸いです。

インタビュー記事は、ほぼ原文ママ(意味が通りやすいように簡単に修正しているのみ)。全体で25,000字を超える長尺のインタビューになっている。大変長いため「前編」「中編」「後編」に分けてお届けできればと思っている。これまでの活動と思考を経て得てきた、自分なりの価値観や世界観、人間観などが散りばめられているので、みなさんのなにかのきっかけになればとてもうれしいです。

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黒田(以下・黒):相手の本質と自分の本質が交わるところじゃないですけど、なんかそういうところを大切にしているっていう言葉がどこかに書いてあったんですけど、それをもうちょっと聞きたくて。今の話と若干つながってる気もするんですけど、「自分の本質を見るために内省する」っていうのと「相手の本質を見るために探る」っていう二つのことをどちらもすることによって初めて「ここが落としどころだな」って分かると思うんですけど。それが初めてグワーッと発揮されたときにすごい良い場になるというか。でもこれが難しいなと思って。

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黒田 真衣(くろだ まい)
1997年京都生まれ。岡山大学卒業後、「一人一人が自身の可能性を見つけ、自分らしく発揮できる社会」を創るべく、広告代理店にて修行中。経済価値のみにこだわらない、(人間存在)価値主義社会を目指している。最近の関心ごとは、空間デザイン、コミュニティデザインなど。生活者の心に小さなワクワクを芽吹かせるには、街にどんなナッジを仕掛ければよいかを、インタビューなどを通してリサーチしている。会社だけでなく、大学在学中からインターン生として関わっているNPO法人ミラツクでも活動中。

藤本(以下・藤):ちょっと違う話になっちゃうかもしれませんが。たとえば、「ミーツ・ザ・福祉」など福祉的な活動に関わっているんですが「障害者支援」がしたいとは一切思ってません。だけどたとえば、自分と鈴東くんとか、自分と寺岡さんとか、それは言葉を重ねた数ではなくて、深い部分でつながってる感じがすごくするんですよね。

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藤本 遼(ふじもと りょう)株式会社ここにある代表取締役/場を編む人
1990年4月生まれ。兵庫県尼崎市出身在住。「株式会社ここにある」代表取締役。「すべての人がわたしであることを楽しみ、まっとうしながら生きていくことができる社会」を目指し、さまざまなプロジェクトを行う。「余白のデザイン」と「あわい(関係性)の編集」がキーワード。現在は、イベント・地域プロジェクトの企画運営や立ち上げ支援、会議やワークショップの企画・ファシリテーション、共創的な場づくり・まちづくりに関するコンサルティングや研修などを行う。さまざまな主体とともに共創的に進めていくプロセスデザインが専門。代表的なプロジェクトは「ミーツ・ザ・福祉」「カリー寺」「レトルトカリー寺」「生き方見本市(生き博)」「尼崎ENGAWA化計画」など。『場づくりという冒険 いかしあうつながりを編み直す(グリーンズ出版)』著(2020年3月発売予定)。

その深い部分でつながってる感じっていうのは、過去経験してきた痛みとか傷とか悲しみみたいなところでつながってるような気がしていて。

で、ぼくはなんでそこでつながってると思うかと言うと、ぼく自身色々ブログなどにも書いているけど親がいなかったりとかいろいろする中で、自分の感情に蓋をしてきたというのが結構あって。当時、悲しいって思ってないと思っていた。でもそんなことはなくて、ちゃんと悲しかったし、怒っていたし、寂しいと思っていた。だけどその感情は出てきてはなかったっていう。たぶんそれを感じたら、すごく自分が苦しくなるっていうことが子どもながらにも分かっていたから、感じないようにしていたり、あんまりちゃんと覚えていなかったりすると思うんですよ。

人間ってそうやって蓋をしたりする中で、自分を守っていくから。でも大人になってその傷や痛みにちゃんと目を向けようと思ったんですね。で、実際に見ていったときに「やっぱり悲しいやん」みたいな。どんな気持ちだったか言葉にならないこともあったりとかするけれど話すことで少し癒やされたりしたこともある。

障害者と呼ばれる人たちの話をいろいろと聞いたときに、社会から阻害されるとか、やってきたことが評価されないとか、みんなに対等に扱ってもらえないとか、そういうところがあるって知った。もしかしたら全然違うかもしれないけど、それはぼくが子どもの頃感じてきたところの奥深い感覚と結構リンクするところがあるんじゃないかなと思ったんです。勝手な思い込みかもしれないけど。でもそう思った。痛みとか傷とかでつながった気がしたから一緒になにかができるんじゃないかと思ったんですよね。

共感っていうワードが結構ありますよね。ぼくは、共感っていうのはポジティブなものだけじゃないような気がしていて。よりネガティブなものというか「よりネガティブだと思われているもの」に対しての共感みたいなものが大事なんじゃないかなと思っています。

蓋をされたりとか見ないようにされたりするものに対して一緒に共感していくというか。そこをベースに共感していくと、めっちゃ意味があるような気がしていて。より強いつながりが生まれるような感じがするんです。だからぼくが単なるお祭り感、正しさや強さだけでつながる場みたいなのがちょっと苦手なのは「そういう部分が見過ごされてるんじゃないかな」って思うから。

アラウンドアンド③ (1)

黒:ネガティブ「だと思われている」こと?

藤:社会的にネガティブだと思われていること。家族がいなくなるとか、暴力や虐待を受けるとか、お金がなくなるとか、人格を否定されるとか、仕事ができないとか。みずから進んで言いたくないことってあると思うんです。でも、そんな負だと思われている出来事とかが実はすごく自分の人生観をつくっていたり、人格をつくっていたりするみたいな。

黒:そこにちゃんと向き合う。

藤:そこに自分でちゃんとアクセスする。それは自分ひとりではきっとできなくて、だれかに受け止められている場だからこそ可能になる。自分をちゃんと見つめられているときには相手のいろいろな部分を受け止められる自分になるというか。自分の本心を見つめられてないときは、相手の本心を見つめられないような気がするんですよね。これは感覚でしかないけど。

黒:自分の本質にも相手の本質にも相互に力を貸し合ってアクセスするみたいな。

藤:その感覚かもですね。その感覚。

黒:そうしたらつながるのかもしれませんね。

藤:つながる。なんのためにそういうことをやってるか、やりたいかというと、やっぱりその人が今まで生きてきた人生を肯定したいというか。なんかこれまではクソみたいやったって思うかもしれんけど、でも今、生きてるよねというか。今とか未来によって過去を規定し直せるってめっちゃ思ってるんですよ、ぼくは。

過去にいろいろと大変なことがあった、悲しいことがあった、つらいことあったっていうことが、今が楽しければ、未来が楽しければ、その過去が肯定されると思うんです。それは自分自身に対してもそう思っていて。過去の経験があったがゆえに、今こういう楽しい人生が歩めているんだとすれば、過去はすべて肯定されるから。

そういうふうにして自分の人生を謳歌するというか、賞賛して生きていった方がきっと良いと思っていて。これはぼくの価値観かもしれないけど、でもそこに共感してくれる人がいるんやったら、一緒に遊びながらそういう部分に触れていければいいなって思ってる。

それがある種の「ケア」なんかもしれません。一緒にプロジェクトをやっていくとか、一緒に遊ぶっていう行為が、自分の人生を肯定していくようなプロセスになっているのかもしれないし、おそらくぼく自身そうなってきた。

まごころ茶屋オープン会議

黒:なるほど。

藤:楽しいよ、楽しい。楽しめることによって肯定されるっていうか、救われる。自分の弱みとかも含めて。

これはぼくがすごく大事にしてることなんやけど、加藤哲夫さんっていう人が『市民のネットワーキング』っていう本を書かれていて。ネットワーキングっていうのをイメージすると、自分が他者とつながることや他者と自分がつながるっていうことをイメージするかもしれんけど。でもそれも大事やけど、「大事なのは自分とつながることなんだよ」っていうふうに彼が言っていて。「見たくもない自分とか、自分の気づかない自分とかそういうものとつながっていくことに人生の喜びがあるんだよ、大事なことがあるんだよ」って書いてあって。

23歳くらいのときに読んだんですけど、これは真理かもしれないって思って、今でもめっちゃ大事にしてて。そこから自分の悩みや苦悩を見つめる作業がはじまった気がします。その前もちょっとやってたと思うけど、そこで余計に加速したような。

さっきも出ましたけど、自分の内面を見つめられていないと、相手の内面も見つめられない。そういうことは結構あると思う。つながりきれないというか。自分とつながりきれてないときに他者とつながりきれないみたいなところはある気がする。

黒:自分の内面を見つめるって、自己分析とは違うんですか。

藤:自己分析ってなんやろう。今ぼくが言っていたのは自分だけでやるものではないので、自己分析ではないのかもしれない。壁打ちとなる相手が必要で、問いを投げかけてもらって。当たり前ですけど、問いって自分で自分に対して投げかけることもできる。でも、自分で投げられる問いって自分で考えられるものでしかないから、自分が考えられないような問いは投げかけられないわけですよね。

だから、他者から問いを投げかけてもらうことってすごく大事やし、それがきっかけになって自分で自分につながっていくというか、考えるきっかけみたいなものが生まれるわけじゃないですか。だから、他者との交流というか、その対話の中に、自分の知らない部分につながるきっかけがあるはずで。それを加藤哲夫さんはネットワーキングと言ったんだろうなと思って。

生き方見本市⑦

だからぼく自身もネットワーキングする場をつくってみようと。他者ともつながるし、でもより自分自身とつながっていく場みたいな。黒田さんは対話とかしますか?

黒:はい。

藤:自己分析もするんですか?自分で。

黒:就活で。

藤:就活のときに。

黒:そのときにやったのと。そうですね、ミラツクの合宿が一年に4回あるんですけど、その合宿の最後の30分とか1時間をかけてやるぞ、みたいな。

藤:それはみんなでってこと?

黒:二人一組でです。

藤:なるほど。ぼくは一対一の対話を深めていくために必要だと思う時間は、4時間くらい。3時間か4時間かけてもたどり着かないですよ。その人の奥底の深いところまでは。砂利みたいなところ。

黒:砂利。

藤:上の方の草が生えてるところとか、柔らかい土があるところは簡単に話せるんですけどど。3時間くらい話して、あっそれかもみたいな。

黒:へぇ。

藤:自分の中でなんか実は大きかった出来事なのかもしれんね、みたいな。そういうのをたまに経験する。

黒:砂利の部分は変わらないんですか?

藤:砂利は変わらない。でも砂利自体は変わらないけど、砂利の捉え方は変わるっていうことかな。概念が変わるみたいな。出来事自体を変えることはできないけど、その解釈を変えることはできる。

黒:なるほど。最後に「ユートピア」を語っていただきたいと思っていまして。

藤:「ユートピア」?

黒:「ユートピア」というか、めちゃくちゃ理想状態というか、こういうふうになってたら自分の居心地がいいなとか、相手の居心地がいいなみたいな世界。藤本さんにとって、それはどんな世界ですか?

藤:うーーん。考えたこともないね。やっぱりさっき言ったことですけど、人間ってそもそも自分で選んで生まれてきていないじゃないですか。それがもうその時点で悲劇やと思うんですよ。ぼくは。自分で生まれたいって言って生まれてきてないじゃないですか。

黒:はい。

藤:他者の都合で勝手に産み落とされる時点で悲劇やと思っていて。でも、その悲劇でもよかったね、面白かったねって、わたしとして生まれてきて結局はよかったねってできるだけ多くの人が思えるような社会になったほうがいいんやろなと思ってはいる。

でもそれを阻むさまざまな経済システムとか、政治のあり方とか、社会にはびこってる価値観とかがある。個人の輝きや生命の滾(たぎ)りみたいなものを遮断していく、あるいは上手く表現させないようにしていくようないろんな制度や仕組み、価値観があるような気がしていて。
きっとそれがなくなることはないですし、100点満点になることはないと思う。それが望ましいことだとも思わないけど。でももう少し、もう少しなんか、ぼく、わたし、これでいいやろ?って思っていきたいような。そういうふうには思ってる。

他者の傷とか悲しみに対してセンシティブになることは大切だと思っているし、ぼく自身そうなりたいと思っている。それができるときっともう少し優しくなるはずで。でもそれは他者の傷を先に見るんじゃなくて、自分の傷のほうに先に目を向けないといけないから、すごくつらい作業。特に、言語化が難しい人にはものすごい苦痛なのかもしれないと思う。言葉にならないこの自分の感情はなんだとか、さまざまな出来事の中で封じられてきた苦しみがあるのかもしれないとか。いろんな苦しいことに対して、それでも向き合っていくっていうこと。そういうプロセスの中で、他者の傷や痛みにもセンシティブになれるなと思うな。自分自身も少しずつだけど優しくなっていってる気がする。身近なところからそういうふうになっていったらいいなって思うね。

黒:優しくなれる。

藤:あとは今の話にもつながるけど「自分にも生み出せるんだ、自分でもつくれるんだ、自分でも変えれるんだ」って、みんなが自信を持つことはめっちゃ大切やと思っていて。これはきっと小さくてもいいから、その人なりの表現やその人なりのアクションすることが大事なんやろうと思う。

今の時代は、すごくオートマティックに生きていけるというか。なにも考えなくても生きていけることはないけど、ある程度自動的に動いているみたいなところはあると思う。そういう社会の状況がある。

でもなんか、自分で自分の責任でなにかをやるっていうことは、すごく大事なことのような気がしていて。それは社会の中でどれだけインパクトがあるかとか、価値があるか、意義があるかとかっていう尺度ではなくて。「わたしが興味あるからやる」とか、「わたしが大事やと思うからやる」とか、「わたしが気になるからやってみる」というような「わたし」を主語に置いたプロジェクトなり、プロダクトなり、活動なりをやったり、作ったりするってことなんじゃないかなと。

尼崎ぱーちー②

自分では変えられないと思ってるような気がする、いろんな人が。自分では変えられないから、人に頼むしかない。政治に頼むしかないし、この状況を変えてくれるヒーローを待つしかない。でもそうじゃなくて「ちゃんと具体的に行動すれば、少しかもしれないけど変わっていくんだ」っていう感覚をみんなが持っておくことって、すごく大事なことだと思っていて。それを応援しあえる環境っていうのをぼくは好きでつくってるつもりなんやけど。それがちょっとエンパワーしちゃうような相互的な関係性だと思うんやけど、そうじゃないと自分のやってみたい気持ちがどんどん連鎖していかないと思うんですよね。やりたいことや気持ちがよいスパイラルの中で連鎖していくことができていくと、社会自体も好転していくような気がする。

「変えられない」「自分じゃなにもできない」って思うこともある。ぼくもたくさんある。
だからできる範囲でぼくは一緒につくるんです。待ってるんじゃなくて、やるならきっとやれるよって。大きなことはできないかもしれないけど、ちょっとずつ自分自身を変えていけるし、自分たち自身を変えていける。それって結局、地域や社会を変えていけるってことだよと思ってる。だから「つくる人を増やす」ってことは、めっちゃ大切。つくるっていうのはモノづくりするっていうことじゃなくて、自分の責任で自分なりのアクションをしていくということだと思うんです。それが少しずつ発展していくと、世界は今よりずっと良くなっていく。

黒:つくる人を増やしたい。

藤:そうすることで「そっか、自分でいいな、そうやんな」とか。自分で自分に納得していくっていう。社会も変えながら、自分も変わっていく。

黒:なるほど。

藤:その評価は、相対的な評価ではなくて。他者にどうやって見せるかとかは、全然関係ない。自分で自分を肯定していくプロセスであり、自分の存在がそのままでいいんだって自分でちゃんと思えるようになる道のりというか。

黒:なるほど。これからは尼崎以外で、今みたいな自分の肯定感を高めていくような関わりだったりとか、自分を主語に置いたプロジェクトがうまれる場づくりとか、そういったこともはじめていかれるんですか?

藤:最初に言った「お金にならへんけどやってる」のは、それやと思ってるんです。たとえば「レトルトカリー寺」っていう企画は「新しい人に来てほしいけど、お寺の開き方がわからへん」とか「イベントってそもそもどうやってつくったらいいの?」とか「そもそもなにかやっても人が来るかどうかわからへん」って困ってらっしゃる方に対してやっていて。お寺の未来に対して危機感を持っているご住職がチャレンジしやすいようなパッケージをぼくがつくったり。

「生き方見本市」にしても、これからの生き方や、今ぼくらがどういうふうに生きていけばいいのかという悩み、多様なあり方や生き方、スタンスみたいなことをできる限りちゃんと肯定していこうよと思ってやっている企画やから。現代の「正常なレールじゃない」ところも大切にして、尊重していこうよって、そういう空気をつくっていこうと思ってやってる。

あとは、宗教化・教祖化しないオンラインサロンはつくりたいと思っていて。今後、『場づくりという冒険』という場づくりやローカルプロジェクトに関するテーマの本を出すんですけど。いろいろとやってきて、ある程度ノウハウだったりとか、やり方がわかってきた部分もあって。もちろんこれだけが正解だとはまったく思っていないけど、ひとつのモデルとしてお伝えできるようなものにしていけるといいのかなと思っています。全国で活動している地域の人たちにぼくがしてきたことのシェアをしたりとか。今まさにここで話しているようなこともシェアしたりしながら。

模倣はできないと思うんですよ。そもそも。まちづくりとかローカルプロジェクト、こういう活動って。大切なのは、どういう人間観や死生観、世界観をもっているかどうかで。そういうものの上に、多様なアプローチ方法やいろんなツール、企画があったりするわけで。その本当に根底の部分をどうつくっていったらいいんやろうっていうことをぼくは結構自分の中で考えてきたつもりで。来年30歳になるんで、今までのそういう経験もシェアをしていって、仲間が全国に増えていったらいいなって思ってます。
本を一つのツールにしながら、関心を持ってくれた人や関わってくれた人たちで新しい場をつくってみたりとかして。で、いろんな地域がまたつながっていって、ぼくらみたいな活動が増えていったりするといいなって。

あと「生き方見本市」って名前変えるんですよね。

黒:そうなんですか?

藤:もともと「生き方見本市」というイベントを数年前にやっている方がいて。ぼくらとは違う文脈なんやけど。先行者の方がいるっていうことと、「見本」という言葉の強度に少し疲れてしまった部分もあって。「生き博」っていうムーブメントに変えていこうと思っています。

黒:へぇ。

藤:「生き博」。

黒:「生き博」。

藤:息を吐くように。「博」ってすごく面白くて「広い田んぼに苗を植える」って意味があるらしいんですよ。自分たちはまさに新しい苗を植える活動をやっているよねって。全然お金にはならへんのやけど(笑)。でもぼくはあくまでも思想家として生きたいというか。ビジネスのために生きるつもりはまったくなくて。

こういう考え方やあり方がちゃんと社会に、それぞれの人の中に降りていく、落ちていくっていうことを人生を通じてやっていきたいと思っていて。ちょっと宗教家っぽいかもしれませんけど(笑)。宗教家かもしれないと思うんですよ、一部。自分のことを。まったくビジネスマンと思ってないし。なんかね、どうぼくを救って、どうみんなを救えるのかっていう。そこがテーマ。

生きづらさってすごくあるなと思うし、ぼくはそこにすごく敏感というか、気になっちゃうから。それをどうやったら軽減していくことができるんかなとか、どうやったらみんなでシェアできるんかなってすごく考えてる。新しい寄辺(よるべ)というか、指針というかそういうものをみんなと一緒につくっていきたいなとすごく思っています。

黒:なるほど。

藤:もちろん一応、会社をやってるんで、お金は要るんですけど。資本主義のロジックの中でもやっていく必要がある。でも、たぶん必要なのは違うロジックだと思うんですよね、そもそも。ぼくが勝手に思っていることですけど、宗教のロジックは「捧げていく」ということ。つまり、ギブアンドギブの世界。一方で、経済の原理ってギブアンドテイクじゃないですか。1万円払えば1万円のサービスを受けられるっていう。だけど、祈るとか捧げるといういうことは完全ギブアンドギブ。今はもしかしたら見返りを求めてやっている人も多いかもしれへんけど、本来的には見返りを求めない行為だと思う。

今は経済のロジックが圧倒的に強いからしんどいですよ。そこに乗れない人は。だから逆の価値観みたいなのをちゃんと立てていかないといけない。少し前までは資本主義と社会主義という考え方のバランスがあった。そういうふうにバランスさせていく必要があるんじゃないかなと思っています。もちろん、今を生きている以上、資本主義市場経済の中でやるんだけど、そうじゃない世界をどうつくるんやろうっていうことをずっと考えていて。その可能性としてすごく宗教や仏教に未来を感じているっていう。

雑誌掲載(ディスカバージャパン)

黒:なるほど。

藤:そういう意味でも宗教家というか(笑)。そういうことに興味があるし、やっていきたいなって今。すごく。指針とか、基準とか、寄辺。

黒:寄辺は、その人の中につくる、みたいなことですね。

藤:その人の中に、その人の居場所をつくるのかもしれないね。

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これですべてのインタビューは終わりです。長い文章でしたが、最後までご覧くださってありがとうございます。本当に長かったと思います。笑

編集もしていないローデータ(生のデータ)で読みにくい部分もあったかと思いますが、お読みくださったみなさんのなにかのきっかけになれば幸いです。

以下、ご案内があります。

2020年4月(3月だった予定が少しズレ込んでいます)に『場づくりという冒険 いかしあうつながりを編み直す(グリーンズ出版)』を出版します、ということです。藤本(株式会社ここにある/尼崎ENGAWA化計画)に関する記事をお読みいただいたり、活動をご覧いただいたりした方で共感してくださった方には、ぜひお手に取っていただければと思います。

【表紙完成・SNS用】場づくりという冒険

出版されましたらまたご案内させていただきますので、ご注目くださいますと幸いです。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。更新の頻度は不定期ですが、フォローなどいただけると大変うれしいです。