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新しい人権

今年も忘年会のシーズンがやってきました。朝日新聞社による忘年会に関する世論調査の結果が、11月16日のヤフーニュース「忘年会は、もういらない…微妙なメンタリティーが表れた世論調査の結果 「参加したい」は23%に」等で取り上げられていました。同ニュースの内容を一部抜粋してみます。

~~コロナ禍の前までは、年末年始と言えば忘年会、クリスマス、新年会と会食の多い季節でした。帰省や旅行に出かける人の姿も、新しい年の到来を感じさせました。新型コロナウイルスの感染が減少傾向にある中、こうした「日常」は、元に戻りつつあるのでしょうか。11月6、7日に実施した全国世論調査(電話)で探ってみました。

世論調査で、「あなたは、今度の年末年始に帰省や旅行を計画していますか」と尋ねると、「計画している」は18%にとどまり、「計画していない」が80%でした。1年前の昨年11月調査で同じ質問をした時には、「計画している」は11%でしたので、少しだけ増えました。

今回の調査では、「今度の年末年始の忘年会や新年会に参加したいと思いますか」という質問もしました。全体では、「参加したい」23%、「そうは思わない」72%でしたが、男女で大きな差が出ました。

Q:今度の年末年始の忘年会や新年会に参加したいと思いますか。
参加したい/そうは思わない
全体=23%/72%
男性=31%/65%
女性=17%/79%
※その他・答えないは省略。

男性では30代以下と、50代の34%が「参加したい」。つまり3人に1人は宴席への出席に前向きな回答でした。男性は60代も29%、70歳以上でも26%と、女性の平均(17%)より高い結果になりました。

今回の調査では、コロナ再拡大について「大いに」と「ある程度」を合わせた「心配している」は85%。「あまり」「ある程度」を合わせた「心配していない」15%でした。1カ月前の10月4、5日の調査でも「心配している」は84%でしたので、再拡大への懸念の根強さがうかがえます。

ただ、「大いに心配している」に焦点を合わせると、心境の変化が見えてきます。「大いに心配」は今年3月には50%もいましたが、10月には37%に、そして11月は28%に下がりました。

コロナが心配は心配だけど、ワクチンも接種したし、以前ほどでは……
このあたりの微妙なメンタリティーの変化が、帰省や旅行の計画、忘・新年会への参加の姿勢に影響しているのかもしれません。~~

上記のニュースに対し、上位に表れたコメント(ヤフコメ)では、以下のような内容が散見されました。

「大人数の職場の忘年会は要らないですねー。お偉いさんの「今年も、、、皆さんのおかげです」みたいな話はどうでもいい。たいがい鍋が食べられず、グダグダに煮込まれてる。2、3人でちゃんと上手いもの食った方がいい。」

「管理職です。今まで毎年新年会の予約や準備をしてましたが、コロナのおかげで行事が無くなり精神的に楽です、嬉しいです、やりたい人は個人で勝手にやれば良いと思います。勿論今年もやりません。」

「今どき、忘年会を強制する組織も少なくなってるよね。嫌なら断れば良いし。旅行も個人の自由。他の人に何言われても気にならないし。」

これまでは、組織が方針を決めたら、どんな決定事項でも是非もなく「右向け右」で通用した側面もありました。しかし、今後はそれも難しそうです。

コロナ禍の発生で社会にいろいろな構造変化が起こりました。テレワーク勤務など新たに社会的に広がったシステムについて、ある程度元に戻るものの、すべては元に戻らないと言われています。すべてが元には戻らない大きな要因のひとつとして、「新しい人権」が認められるようになったことが挙げられるのではないかと思います。以下のような構図です。

・今まで疑うことなく当たり前のようにやってきたことが当たり前でもないと分かった。あるいは、当たり前ではないと気が付いていながら必要悪だからと無理して従っていた。

・それらについて、緊急事態宣言下で強制的に禁止された。禁止されてみたら、別の手段で補うことやそれをしないままでも特に不都合がないことが分かった。むしろ、それらをやることよりもそうしないことで、生産性が高まっているようにすら感じることもある。

・緊急事態宣言がとれて元のようにやってもいいよと言われても、やらなくてもすむと分かったものを元に戻すのは、合理的な説明も難しい。説明のつかないものは強制できない。

私たちは、基本的に「快楽を求める」と「苦痛から逃げようとする」が行動の源泉となります。緊急事態宣言下で手に入れた「快」は手放そうとしませんし、避けることのできた「不快」は取り戻そうと思いません

混雑時の満員電車での通勤(痛勤)などは、「不快」であることに気づいた事象の典型でしょう。同時に、テレワークという「快」を知りました。よって、労働者としてはテレワークという形態を手放そうとしませんし、組織の側も生産性が高まる可能性のある取り組みとして推奨し、そのままとなる。このように説明できます。

加えて、組織の側が推奨しないことでも、反対する理由が合理的に説明できないことについては、認めざるを得なくなるという流れです。仮に会社方針としてテレワークに懐疑的だとしても、なぜ自社ではそれが好ましくなくて決まった場所への出社が好ましいのかが合理的に説明できないと、一律出社戻しを強行することが難しいわけです。

この流れに加えて、個人の意思に反して様々な物事を強要するのをNGとする、ハラスメント意識の高まりの潮流もあります。忘年会がもともと任意参加という位置づけになっていたならば、「行かない」という選択肢の存在を知った人がその選択肢を権利として主張しやすくなりました。こうして生まれた「新しい人権」にどのように向き合うのか、今後私たちの事業活動や組織活動では考慮していく必要があるでしょう。

例えばセミナーという事業も、従来の対面参加もできるように復活させ、実施形態を「対面+オンライン配信」にしても、何割かの参加者はオンライン参加を選び続けます。オンライン参加で得たいものが十分得られる、あるいはオンライン参加のほうがむしろ生産性が高い「快」だと思っているからです。

大学関係者からも、「オンライン配信のみ」から「対面+オンライン配信」の実施形態に移行しても、やはり何割かの学生はオンライン参加を選び続けると聞きます。何百人相手ですし詰め状態の情報伝達型講義のためだけならわざわざキャンパスに行く必要はなかった、よって「不快」を避けるためにキャンパスへは通学しない。ゼミやサークル活動など対面を望む時だけキャンパスに行くという学生がいるわけです。

忘年会自体は意義のあるものですし、〇か×かの二択で結論を出す必要もないものです。忘年会以外のことも同様です。今後は、新しい人権も考慮すること、そのうえで各人にとっての選択肢を増やすこと、そして、自分たちの組織としてそれをどのように位置づけるのかを明確にすべきことが、求められていきそうです。

<まとめ>
新しい人権の高まりに対しては、選択肢を増やして対応する必要がある。


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