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社内転職して趣味を楽しめるようになった話(長文)

今では毎日1回以上はカレーに思いを馳せて暮らし楽しんでいる私ですが、
少し前は趣味さえも楽しめなかった時期がありました。

今日はそんな話。

新卒から今まで転職したことはなくずっとおなじ会社にお世話になっているのですが、数年前と仕事内容は全く異なります。その流れをつらつらと思い出しながら書いていきます。だらだら長いですがお付き合いください。(笑)


■1年目
〜なんとかなっていた新入社員時代〜

新入社員だった当時の私は、
いわゆる【システムエンジニア】として採用されました。

もともと理系の大学出身というわけではなくがちがちの文系人間だったのですが就活での縁もありIT畑に足を踏み入れたのです。

研修中など、プログラミングをすることは難しいなりにもできたとき、理解できた時の達成感は良いものでとても充実していました。
自分で言うのもなんですが研修としてはそこそこ吸収できていた方だったと思います。
同期と遅くまで話し合いながらサイトを作った研修も良い思い出。


研修を終えた夏頃、配属が決まりいよいよ本業務開始。


配属先は、本当に恵まれた場所でした。
先輩、リーダみんな穏やかな人ばかりで、お客様も温かく迎え入れてくださりました。

先輩に頑張ってついて行かないと、とそれなりに健闘していたのですが、
あまり深く考えることをせずに作業をしてしまったり、言われたことを鵜呑みにしてしまうことがよくありました。
これは恐らく今までの生活で自分で深く考えることはあまりしてなかったからかもしれません。。

それでも先輩のフォローや教育のおかげで何とか仕事をしていました。
周囲にはとんでもなく負担がかかっていたことだろうな、、と今更ながら思い返していますが(笑)。
それでも厳しい言葉を突き付けられたこともなく、私は見放されたのかと絶望したりしていました。
単純にその先輩が偉大過ぎたのだと思います。

自分がへっぽこなせいもあると思いますが、プログラミングの数をこなして下積みをするべき1年目としては
特段に経験値が足りないまま過ぎてしまいました。
障害対応のお手伝いでひたすらプログラムを実行するボタンを押下したり、、データ変更作業をしたり、、

プライベートはというと、
この時すでにカレー好きではあったので、大学時代の友人と食べに行ったりたまに1人カレーをしにいく程度で趣味を楽しんでいました。
当時の彼との予定もあったりしたので、そこそこのカレーハマり具合でした。

あとは先輩や同期との飲み会など、今思い返せばありえないフットワークで色んなところに顔を出していました。
これによって人脈が少し作れたので良かったものの少し無理していたところはあったと思います。


■2年目
〜後輩のOJT担当・軽い挫折〜

周りのフォローのおかげでのらりくらりと過ごしていた1年を過ごしたのですが、
「教えることは自分のためにもなるから」、と先輩のノリの一言で、一見ポジティブな理由でまともに下積みをできていない私が教育担当に。
もちろん指導するためには自分が理解していないといけないので、教える前に調査・確認をとったりと自分の知識になることはありました。
けれど100%うまく説明できるわけでもなく、質問をもらったときには自分で調べたり、ほかの先輩に聞いたりしないと答えられないものがほとんどで自己肯定感はだだ下がり、フラストレーションはたまる一方でした。

幸いなことに新人さんはとても優秀で理解度もかなり高く、
言葉足らずな私の説明をくみ取ってさくさく仕事をしてもらっていました。
そんな感じで「優秀な後輩のOJTが私なんかで申し訳ない。。」と思う日々を毎日過ごしていました。

もちろんたまには充実感じるときもありました。
引っ張るタイプの先輩ではなかったですが、「一緒に考えよう」と一緒に複雑な仕組みを構築したときはかなり達成感がありました。それに深く考えるこ
そして後輩にネガティブな姿をあまり見せないように軽い冗談をいってみたりとか、自分に余裕がないときも声をかけたりとか
自分の能力キャパを超えた立ち回りをしていました。
今思えば後輩指導していたからモチベーションを保てていたのでは、と思います。

OJTをしていたものの、地頭のよさや理解度など後輩のほうが確実にレベルが高かったので、
年次が近いこともあり、比べてしまってさらに自己肯定感がさがったり、
自分も下積みしたいのにできない、プログラミングではなく設計をまかされることが多くジレンマを感じることも多かったです。
自己学習すれば解決なのですが、もともと継続な苦手な私が毎日の残業の後に学習する気力も体力もなかったのです。。(言い訳)
向いてないかな。。と「OJT終わっても辛かったら辞めようかな」と思ったりする始末でした。
これもプラスで捉えればOJTをしていたので辞めずに済んだ、という感じです。

そんななかでも気にかけてくれる先輩や同期にめぐまれて飲みにいったりする元気はありました。

プライベートはこのあたりはなんだか記憶がないです。(笑)
1年目に引き続き同期や先輩と会ったりはしていたと思うのですが、
そのほかはおそらくずっと寝ていたのでは…?という感じです。

ずっと疲れてていて頭の中がごちゃごちゃしている感覚。
このあたりから自分の生活が狂っていったような気がします。


■3年目
〜精神的支柱の先輩の産休によりメイン担当になる〜

2年目から3年目にかけて私がOJTをうけていた先輩からの業務の引継ぎをうけることが多くなりました。
先輩が産休に入ることが決まったからです。

先輩行っていた業務はかなり膨大な範囲と密度で想像以上でした。
いわゆる「親離れ」ができていなかった自分にはとても大きな壁で、先輩のフォローなしに業務をするプレッシャーに押しつぶされ、今後の不安もあいまって精神的にボロボロでした。
業務中トイレに駆け込み文字通りボロボロ泣いていました(笑)
当時はそこまで危機感はなかったですが、今振り返ると自分のへぼさでよくやっていたなと思います。

いざ先輩が産休に入られると、
メイン担当者として、ユーザとのMTGや設計、後輩へのプログラム依頼等さまざま担当することになりました。
ゴールを実現するために調査・すり合わせるのは達成感があり楽しさはありましたが、
ユーザの期待に応えることの難しさや責任の重さを感じるようになり、毎日不安を抱えながらすごしていました。

もうこのころには、かなりの頻度で夢で仕事をしてうなされていました。

とはいうものの、周りのメンバーはとても優秀かつ信頼できる人ばかりで、大好きな人ばかりでした。
夜中まで人生について語りつつ飲んだり恋話をきいてもらったり、
AM2時のオフィスで話しながら仕事したり。。そこまで昔ではないですがいい思い出です。

メンバーには恵まれたものの、自分の力不足もあり100%の品質ものを提供することができませんでした。
担当しているシステムはかなり古い仕組みで資料もそろっておらず、
昔から伝言ゲームのごとくシステムの仕様の情報がもれていたのです。

運用についてもさっぱり、プログラムをみて推測して進めるしかありませんでした。
基礎的な業務知識を本などで吸収して、ある程度理解できるものはあったものの、
その仕様をしらず仕組みをつくってしまうことも。
それもあり、毎回プロジェクトをすすめるときは「自分の力で調査した以外に、
他にも隠れた運用や仕組みがあるのでは、ほんとにこれで大丈夫なのか」等不安で仕方ありませんでした。
教えてくれる前任者もいません。
私も先輩の先輩、つまり詳しい人は誰もいなかったのです。
本番稼働の直前は本当に毎日夢で仕事していたし、休日も頭からはなれませんでした。

上記に書いたことは甘えでしかないし、仕事だからやるのが当たり前。
わかっていつつも苦しい毎日を送っていました。

プライベートはというと、これまた記憶にあまりないのですが、
プロジェクトが佳境になる辺だと泣きながら歩いて帰宅することがほどんど(なんで泣いてるのかもわからない。。)
休日は趣味を楽しむこともなく、疲れをとるために使っていたり、
予定を作ったとしてもダブルブッキングしてしまっていたり忘れていて当日すぎた後に連絡がきたり、、
1回ではなくかなりやらかしていました。
しかも毎回「あれ、ちゃんと確認していたはずなのに」と思うのです。
カレー屋さんめぐりも、ほとんどできていなかっと思います。

せっかくの友人との旅行(新幹線で早朝から移動)も寝坊してしまって
すべての予定を変更してもらった出来事もありました。
パンフレットまで作ってくれていたのにも関わらず台無しにしてしまいました。

彼氏とのデートにも遅れたり、ずっと心ここにあらずな感じでした。
「日曜日仕事だから」と早く帰る日も多々ありました。
家デートだとほぼずっとうとうとして、一緒に何かやろうなんてできていなかったかも。。

夜中にコンビニご飯を買っては食べる生活をしていたので、もちろん太ったし、
笑うこともなくなって顔がたるんだ(言い過ぎかも)、思い当たることはたくさんあるかも。
一人暮らしの部屋も荒れていたように思います。
なんだか感情のコントロールもうまくいっていなかったとも思います。常に何かに追われているような感覚でした。
1日1回は「仕事辞めたい…」と思う始末でした。

生活の荒れようや自分の疲労具合はそこまで深刻に捉えていなかったのですが、
ふと先輩に、これからどんなプロジェクトに入りたいかを聞かれました。
すべてが無気力であった私は「バックオフィスの部署に異動したい」とこぼしました。

バックオフィスとは、エンジニア職ではなく経理や人事などの業務にあたります。
つまり、「エンジニア職からはずれたい」という意思を伝えたのです。

周囲にも過去、エンジニア職からバックオフィス職に異動した社員がいたので、
そこまで特殊ではないですが、利益を生まない業務なのであまり好まれてはいません。
会計系のシステムの仕組みに関わっていたので「経理に異動したい」とずっとなんとなく考えていたのです。
会計の経験として固有のシステムの知識ではなく、「経理」という汎用的に培える経験に触れたかったのもあるし、ただ単純に今の場所から逃げ出したいという気持ちもありました。
どちらかというと前者の気持ちが強かったと思います。

そこから管理職の上司に話が伝わり面談をすることに。
意向を伝え「考えるのでもう少し頑張ってほしい」といういったん結論に落ち着きました。


■4年目
〜支えてくれる人が増えたものの働き続けることがつらくなる〜

異動の希望を伝えた経緯もあり、
最初のころよりは周りがフォローできるような環境になりました。

ですが、このままこの環境から離れたいという気持ちは薄れることがなく、
自分の状況が改善することもありませんでした。
感情を抑えるのもかなりの努力が必要で、リスクを恐れるあまり異常に細かく確認をしたり、
頑固に自分の役割を線引きしたりしていました。

そのころ同時に大炎上(スケジュールに大幅の遅れがありのプロジェクトの手伝いをしていたこともあり、
役員達が効果に疑問をもっているプロジェクトに対してそのままにスケジュールが進み
「終わらないじゃない、終わらせるんだ」と身を削って働く毎日…
そんな仕事にも辟易してしまったのかもしれません。

再度上司に「異動をしたい」と申し出たのです。
申し出る前に簿記検定(3級ですが)を取得したことも伝え、意思があることを伝えました。
悪いことに、異動できなかったら転職を考えるとも伝えました。
実際スキルも実力もないのに転職なんてできるはずも自信もなかったのですが。

幸い、受け入れ口を見つけてくださり異動が決定しました。
上司の計らいで、当初の希望の利益を生み出さないためコストとみられるバックオフィスへの異動ではなく、
売上が発生する委託事務(経理)を行うチームへの部署異動が決まりました。

私としてはコストとなってもよかったのでバックオフィスに異動したかった気持ちもあったのですが、
異動が実現できるならと、異動を決意したのです。

引き継ぎも大変でしたし、
異動してからの1年は結構辛かったようにも思います。
事務なんて初経験、経理業務の知識もないし使う脳みそも違う。

紙資料なんていままでつかったことないのに、
マニュアルもすべて紙管理、引き継ぎはほぼ口頭のみ(なぜか手元にマニュアルがあっても口頭で引き継ぎされる)。
さらに困るのは「空気を読んで行う業務」。
メンバーの空気をようで作業する業務もあるし、
過去のメールをさがしてさがしてさがしてなんかよくわからないけど過去のをまねてみたり。。
指摘事項はどんな細かいことでも逐一報告。
依頼事項はメールのみの連絡(今までは口頭でも言わないなんてありえなかった)など。。

仕事の仕方というか、文化が違いすぎて慣れるのにかなりの時間がかかりました。
また、自分が紙媒体に異常に弱いことや、細かさが足りないことに気づいたりして落ち込んだりしました。
口頭で説明されるのも、文体のみでのマニュアルにも慣れておらずでなかなか業務を覚えることもできませんでした。
かなりわかりずらいマニュアルでも、悪いのは気づけなかった私。(そりゃそうだけど)
今までは、そんなわかりづらいマニュアルを作ったのが悪い!という文化にいたので、
カルチャーショックでした。
人間関係もわりと固くて表面上だけの関わりだったので、思ったことを言いずらかったりしました。
今までは結構意見ぶつけたりできたし、「w」を多用して話せて楽しかった。。

お休みをとるのも都度「ご迷惑おかけし申し訳ございません」とメールに添える風習もあり。。
「世間の会社ってこんな感じなの!?」と息苦しく思いました。(今でもですが)
この風習は私が意見してなくしましたが、風習としてはまだ残っているような気もします。
同じ会社にいながら、こうも違うとは。。と驚きの連続です。

正直、最初の1年の残業時間はいままでと変わらずでした。
しかも帰りづらい雰囲気マシマシで違うストレスもありつつ過ごしていました。

仕事に慣れてきたのもあり、人員が増えたのもあり少し負担が減ってきたころ、
少しずつ、趣味に打ち込めるようになりました。
ダブルブッキング等でのドタキャンもなくなりました。
身の回りの物の整理もできるし、生活の質も断然高まりました。
気乗りしない飲み会や付き合いも断ることができるようになりました。
安心して眠れるようになりました。

今ではそう、1日1回はカレーのことを考えることができているのです。


■まとめ 

もちろん、今でも仕事は辛いし働きたくないです(笑)
どうしようもなく意識が低いけど、そうなのです。

でも、異動という社内転職をしたことで、仕事に対して一種の割り切りができるようになりました。
「本当に辛くなったらやめればいいか」、と少しは思うようになれたのです。
そうしたら本当に気持ちが軽くなりましたし、少しですが前向きに仕事に取り組むことができるようになりました。
転職しても楽しい仕事、辛くない仕事ができるなんてほぼないと思います。
異動して思ったけれど、どんな仕事も大変なのです。
そう考えたときに、どんな仕事でも同じなんじゃないか、何の仕事でもいいのではないかと思うのようなったのです。

人生で自分にとって何が一番幸せかを考えたときに、仕事ってそんなに大事なものではないかなと。
もちろん、人生で仕事をする時間が多いので仕事に幸せを感じたい人は別です。
私も答えがわかっていないし、仕事を楽しくできればなおよいと思います。
ただ今は「生活・貯金のために働いている」と思っているので、そんな気楽な気持ちでいいかなと思って過ごしています。


余談ですが、生活を見直すときに、「断捨離」で有名な【ミニマリズム】の考えを知りました。
そのおかげで生活を整えることができたし、貯金も増え気持ちにより余裕ができたこともあいまって、
「働くこと」に対してそこまで重く考えることがなくなりました。自分にとって大きな出会いでした。
生活資金を蓄えることも余裕を作る第一歩なのかも、とも思います。
【ミニマリズム】は、自分にとって「何が必要(大事)か、何か不要か(大事じゃないか)」を見つめる考え方です。


今の仕事はあなたにとって人生で一番大事ですか?


少しでも辛い人は考えてみてください。
そして少しでも辛いならその場所から離れてください。

エンジニアの職を離れたことは少し後悔があります。
多分、経理よりプログラミングは好きだし、経理よりは向いていると思います(笑)
かといって、異動したことは後悔していません。

事実、いろんな方に迷惑をかけました。
私がチームからいなくなって、元いたチームから2名が異動、2名が退職しました。
私だけのせいではないと思いますが、きっかけをつくったのはあるのかなと思っています。

合わせる顔もない。。と思っているなか、
その後も飲みに誘ってもらったり、オフィスで声をかけてくれたり、
「異動を決断したのは勇気が必要だったことだと思う」と言ってくれたり。
のうのうと過ごしていますが周りの方には本当に恵まれたと思います。

エンジニア職に新卒で入社したこと、この会社に入社したことも後悔していません。
この会社に入っていなかったら、未経験でPC操作もままならなかった私のままだったと思います。
ITスキルも0で、今対応している事務作業もできなかったのではと思います。
(かといって今の仕事を辞めたいわけじゃないけれど…

スキルがないから転職できないとか、いろいろな理由でその場を離れるのが難しいという方もいると思います。
そんな時は重く考えず社内転職を考えてみてはどうでしょうか。
なにもその場を離れるためには転職をしなくてはならない、なんてことはないのです。


この記事を読んだ方が、少しでも気持ちが軽くなればうれしいなと思います。

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